153.蓋が開いて、底も抜けた

「反セクト法」を持ち出すまでもなく、私自身は、「法外な金銭的要求」があった段階で「宗教」とはまったく認めていない。それが、以前から問題のあるカルト組織(❍法外な金銭的要求 ❍生まれ育った環境からの誘導的断絶 ❍公共の秩序を乱す行為 ❍多くの訴訟問題 ❍通常の経済流通からの逸脱 ❍国家権力への浸透の企て等々)で、その上、政権与党との長年の絡みが指摘されてきたカルト組織であればなおさらである。それが今、再び白日の下に晒され、同時に底まで抜けて、隅に隠れることできずに何もかもが零れ落ちている状態である。そもそも「反セクト法」は、10項目の危険性を見分ける判断基準のうち一項目でも該当すれば「カルト」と認定されるのである。(※ヨーロッパでは、カルトとセクトは同義語) 現在、日本で問題となっているカルトは、「反セクト法」に該当する項目が少なくとも6項目ある。このカルトなしでは成り立たぬような政権で、ある者は開き直り、ある者は、知らぬ存ぜぬを決め込む、その様は、まるで自覚症状のない末期の患者のようである。

 因みに、日本は仏教国といわれているが、真の信仰をともなう仏教とは程遠く、神道同様、現世御利益的なものがほとんどである。そして、多くは自分は無宗教であると思い込んでいるが、実は生活の中に様々な形で入り込んでいることに気付かないだけなのである。いつとはなしに入り込む手法はカルトの場合は作為的な分さらに手が込んでいる。宗教などとはまったく無縁であると思っている人々たちの様相を見ていても、実のところ、たまたま宗教的領域に接することもなく済んだとということに過ぎないようなケースがほとんどである。だから、逆にカルトに付け入る隙を与えてしまうのである。民主主義の理解も小学生レベル、宗教に対しても何の抗体もできずに当たらず障らずではカルトの好き放題になるのは当然でもある。だから、政教分離の意味も分からず、分離の距離も測れず具体的方策も打ち出せないまま、蜜の甘さに酔いながら「何が問題なのかわからない」などと言い出す者まで出てくるのである。

 フランスで2001年に制定された「反セクト法」のカルトの判断基準は参考になるので、政府広報とは関係なく、個々がチェックするべきであろう。カルトに巻き込まれている政権には解体の覚悟がない限り再生の道は閉ざされているからである。今後、このカルトはウィルスのように名称を変えて変異増殖することが考えられるので最大限の注意を要する。しかし、今では全く無意味な「勝共」などというエサにつられて、自国(韓国)を「神の国」、日本を「サタンの国」と位置付けているカルトにここまで媚を売らざるを得ないメリットとは、相当なものなのであったのであろう。国家権力への浸透を企ているのであるから、組織的にも無償で動き、身を粉にして働く、さらに日本国民から吸い上げた莫大な金銭的支援もする。その見返りに、普通なら、脱税行為にあたるものも「宗教法人」として見逃され、果ては国家中枢で権力を振るう。もうすでに、権力はこの怪しげなカルトに乗っ取られているのであろう。次回選挙では、さらに変異増殖し、どのような名称で登場するか。

                2022   7/30

追記:何かというと「反日」、「左翼」と言い出す者たちが、実はカルト的反社の反日勢力に支えられていたという実情をどこまで直視できるか、もちろん金で買われた者たちは別として。「左翼」「右翼」などという言葉も、もはや空洞化された死語で、便宜上遣っているだけだが、どちらにしてもそれが指し示す内容自体がもはや空中楼閣でしかないということである。空中楼閣は一瞬にして崩れるのである。煽られ、踊らされ、勢い込んで崖っぷちから足を一歩踏み出す前に気付きたいものである。「右翼」の「お花畑」、「左翼」の「お花畑」もある。どちらも単色で面白味のないものである。是々非々の領域内の単なる政府批判さえすべて「左翼」とするのは、「右翼」が盲目的に愛でる「お花畑」に由来している。盲目的である度合いが強い分、カルトに引き込まれやすいということでもある。カルトが別のカルトと合体しているのである。一見現実的かと思われる勇ましい「ご意見」も、実はまったく現実が見えていない。それも「思い込み」の強さからくるのであろう。「思い込み」の怖さは、何といっても視野狭窄である。足元の陥穽が大地の模様にしか見えなくなるのである。

                 2022 8/12

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