158.つれづれに一言で片づければ(33)ー35-(872)

〇「戦争、そりゃいつだって『お上』がやらかすことでしょ、わしらそのたんびに、花畑から戦地に駆り出される。それで爺様もオヤジも死んだ」・・・「少子化対策、教育援助?今のうちに兵隊さんの育成ってとこですかね、高齢者はやがて片が付きますものね、それにしても年金は減らされ、物価は上がり、年寄りは早く死ねと言っているようなもんでしょ。国から勲章もらった老夫婦でも、もう生活できない、早く御迎えが来ないものかなんて言ってたからね」・・・、「どうなっているの、ここ、国の体をなしていないよ」・・・

・・・「今の国民の生活、命も危うくなっているのに、軍拡で国民の命、暮らしを守るってか?守るのは自分たちのテリトリーだけで、国民の命、暮らしなど二の次三の次だ」・・・「ワクチンで、『全責任は私が引き受ける』なんて大見得を切っていた奴も、問題が起きれば『私は単なる運び屋』などと言い出す始末。これも一事が万事の典型だろう。」・・・「そろそろ、大地震も来るようだし、また想定外か?」・・・「また森羅万象の長が出てきて、アンダーコントロールか?」・・・「問われれば、仮定のことは話せないと言ってた者たちが、予算を組み、次世代について講釈を垂れる?やはりメチャクチャだな。」・・・「肝心なデータ隠しは日常茶飯事だし、悪いことはしていないと言っても所詮は無理な話」・・・「要するに、大本営発表を真に受けていたら、我々「臣民」は、どちらにしても天寿を全うすることはできないということだ」・・・

                     2023 1/24+

〇何でもかんでもダイジェスト版のお手軽軽便思考に慣らされていたのでは、やがて「ステルス改憲」に乗せられて来る召集令状もマイナンバーカードが送られてきた時のような感触しかなくなるであろう。放置すれば、後日、制服組が数人押し寄せる。極めて剣呑な流れである。すでに、その兆候はそこかしこで現れている。

               2023 1/21

〇やはり、超異次元の自民党対策が最優先事項であろう。

追記:この政党は、ホモソーシャルだけで成り立っているようなものである。したがって、合理的判断は困難で、知能程度も疑われるようなとんでもない発言が繰り返されるのであるが、それでも何とか「通って」いるのは、ホモソーシャルな緊密な関係性があるからで、言ってしまえば、それ以外には何もないのである。もっと、わかりやすく言えば、体育会系の一組織、あるいはその連合とみれば間違いはない。どんな筋の通らぬことでも、このホモソーシャルな腹芸で消化されてしまうのである。「批判より対案を」などと言ってみたところで簡単に飲み込まれるか、利用されるだけである。女性蔑視、同性愛排除などもこの政党の成り立ちそのものから出てくるもので、どれだけ取り繕ってもそれは実情にそぐわないのである。体育会系諸君がヒットラーに倣って「ステルス憲法『改正』」、どうなるかは火を見るより明らかであろう。

                  2023 1/14+1/18

〇天気がよかったので散歩しようと思った。そう思ってほんの二歩あるきだしたばかりだというのに、もう墓地にきていた。これはヨーゼフ・Kの夢であるが、もはや極普通のありふれた現としか感じられず、むしろ笑いさえこみあげてくる。すでに至る所で<死の舞踏>は始まっている。「曲」に合わせて踊り狂う者、踊らされるもの、静かに聞き入る者、われ関せずの者、そんなことにはお構いなく<死の舞踏>は例外なく突然訪れる。いくら緻密な段取りを組んだところでいともたやすく外されるのが<死の舞踏>の<死の舞踏>たる所以である。そこから不自然に湧き出る「希望」、「明るさ」などはすべて<死の舞踏>が放つ幻影で、その罠にかかったら、掘り起こされた墓穴に自ら転がり落ちるようなものである。

                    2023 1/10

〇「現実主義」とは、現実を見ることさえできない者たちがよく遣う言葉でもある。したがって、「非現実的」なのである。「現実そのもの」を見ているようで見ていない、要するに、見えていないのである。さらに言えば、自分が利する、その「思い込みの領域」でしか現実を切り取れていないということである。それは現実そのものとはまったく異質である。現実そのものを丸ごと捉え切れている者など皆無に等しいといっても過言ではない。それは大変な作業なのである。現役の「政治家」、「専門家」などは言うに及ばず、メディアに頻繁に出てくるおかしな「学者」、「政治家」、自称「ジャーナリスト」などには逆立ちしても見えない世界であろう。彼らには「現実」はまったく見えていないといってもよい。だから、信用できないのである。

                 2023 1/3+

 「異次元緩和」もそうだが、ここにきて今度は「異次元の少子化対策」、彼らの頭の中はSF映画状態なのではないかと大方の人が思ったことであろう。一番現実を直視しなければならない者たちがこれである。その内、異次元の国防対策、異次元の憲法解釈、異次元の原発対策、異次元のカルト対策、異次元の徴兵制度と切りもなく出てくるのではないかと思われる。言っている方も聞いている方もしたり顔だが何もわかっていない。御大層な言葉で現状を粉飾するのはもういい加減にした方がいいだろう。SF映画の中では、一応、起承転結があって収まるが、歴史の只中にある我々にはどうもがいてもそれはできない。「将来に禍根を残さないために」?さらに何をしようとするのか?もう充分過ぎるほど禍根を残しているのである。現在のことを疎かにして、「神」のごとく将来を語ることなど我々にはできないのである。傲慢である。異次元→超異次元→脱異次元、いくら言葉を連ねてみたところで、現実から乖離するばかりである。起死回生?いつまでもオメデタイ博徒のようなことをいっていては先はない。それはいつでも起生回死になるということである。(+1/5)

〇バンクシー、そのスタンスも申し分ない。顕示欲ばかりの、ナルシスティックな者たちが溢れている中で、変にものに執着しないところが風のようで何とも心地いい。彼は生き方そのものが詩人なのである。本来、詩人とはこうしたものである。彼を見ていると、大したこともないつまらぬ「我」に振り回されている、世にいう「作家」「芸術家」の類の大方が消し飛んでしまう。

 彼もまた、疲れを知らない、無限追求の道を歩むひとりである。

                       2022 12/23

 

〇「国民の責任」→「(我々?)の責任」→「次世代への責任」→「国民の義務」→閣議決定で国民に「義務」を課することはできないにもかかわらず「義務」という言葉を平然と規定事項のごとく遣うということは、ある意味の「馴らし運転」でもあろう。徐々に馴染ませる「心理操作」である。その内、国民の義務ということで召集令状(赤紙)が届いても、それ程の抵抗もなく、そんなもんかと思うのであろうか。

 ワクチン接種にしても、様々なところで問題が起きている(FDAも問題にしている)状況で世界もワクチン接種から引いている中、上意下達の日本だけがダントツの接種率なのである。さらに「国を挙げて」接種を推し進めているのが現在の実情である。しかし、何かあっても補償もせず、その責任は誰も取るまい。これもまた一事が万事なのである。思考停止状態で、ただ言われるままのカルトの「信者」と同様では、何をされてもわからないであろう。

追記:前にも書いたが、コロナワクチン接種は任意で強制ではない。要するに、何があっても自己責任で補償はしないということである。一方で、首相自らワクチン接種推奨の広報をおこなっている。あたかも、何かあっても国が補償しますと言わんばかりであるが、ワクチン接種は飽くまで任意で、補償する義務はないのである。たとえ、ワクチン接種との因果関係が見つかっても、任意だということで逃げ切る可能性が高い。因みに、肥満も基礎疾患として見なされるのである。

※FDAは、すでにファイザーCOVID-19のワクチンは血液凝固に関連していると発表している。(1740万人の統計的数値を満たしていることを発見している)

             2022 12/19

〇「彼」は死ぬ覚悟でやったのである。精神鑑定を受けるまでもなく、正常な人間が極限まで追い詰められた結果の一つの選択で、行為の終了まで正常であった。「彼」を精神疾患に仕立て上げるすべての動きは、真の問題をうやむやにすること以外にはない。精神障害者がやったことで片付けられることではないのである。

            2022 12/16

2022 12/24 奈良地検は、山上徹也容疑者の精神鑑定の結果、刑事責任能力があったと判断した。事件の全容が解明されることを期す。

〇防衛費増額の(増税)、「今を生きる国民の責任」? 責任転嫁も甚だしい。すべては、今でも生きているあなた方の責任である。

               2022 12/13

 翌日、「国民の責任」を「我々の責任」に修正していたが、そうであるならやっていることがまったく違うであろう。この党も、言行不一致が「党是」となって久しいが、あなた方の評価は何をどう言ったかではない。どのような行為を為し、いかなる結果をもたらしたか、それだけである。(12/15)

その後、「将来世代への責任」になったが、あなた方はどうやってその将来の責任を取るのか?もはやその時は、老醜をさらすか、あなた方の命はないだろう。後は野となれ山となれか、どこぞのカルトの教祖みたいなこと言っていないで正直に説明すべきであろう。やはり、本当のところは言えないか?しかし、言っても言わなくても、見え見えなのである。(12/17)

〇少し前、俳優・山崎努について、「すごい存在感のある俳優」、「怪優」、などと言って騒ぎ立てていたが、俳優として立派に成し得ているということで、周囲が「俳優」、「女優」などといえるレベルにはいないということに過ぎないのである。私は以前、イメージの中で、キャスト:山崎努、緒形拳、三国廉太郎、仲谷昇、岸田森、大地喜和子、賀原夏子、杉村春子、樹木希林、市原悦子(順不同)でドラマを考えたことがあったが、どこの場面も一部の隙もなくパーフェクトであった。本来、これが役者というもので、昨今の俳優(卵か?)は、感性の根幹部分が脆弱な上に、イマジネーションの貧困から、展開のしようがなく、何をやっても可もなく不可もなく小さくまとまってしまっている。言ってしまえば、学芸会の域を一歩も出ていないということである。これは観ている方にも責任がある。享受する側が、たとえば「砂漠の民」であれば、「季語」の味わいを含めた台詞などいくら言ったところでチンプンカンプンであろうが、普通にものが考えられ、感じられれば、当然味わい得るものであっても、普段から偽物に取り囲まれ、偽物に慣らされた結果、味覚すらも騙されてしまっているといった具合では「本物」に対して奇異な感じを持つのも当然であろう。だから、的確な「演技」が異様にみえるのである。

因みに、好感度として「程よさ」などということが取り上げられる「俳優」はもうすでに終わっている「俳優」である。

身近な具体例でいえば、映画「ファーザー」(監督フローリアン・ゼレール)出演:アンソニー・ホプキンス  オリヴィア・コールマンであろう。この作品は、ゼレールが2012年に発表した戯曲をアンソニー・ホプキンスのために脚色し、初監督した2020年の映画である。ホプキンスは「羊たちの沈黙」でも際立っていたが、この作品でも同様であった。彼を、「名優」、「怪優」などと騒ぎ立てるより、彼の姿勢、思考回路をこそ学ぶべきであろう。作家としてのゼレールは、すでにフランスで知らない者はいないが、この「ファーザー」の初監督でも斬新な面白い演出をしていた。

            2022年12/13

〇最近のさくら保育園の園児虐待について、「保育士が逮捕されることか」と私見を述べた田母神俊雄に批判、非難の声が上がっているという。これもまた当然の話で、一事が万事である。私は、そもそも「軍」幹部の基底教養の未習熟、未成熟からくる思考硬化については今までにも多くの事例があるので、彼らの「世界観」開陳についてはまったく信用していない。田母神俊雄は同じ防衛庁出身の評論家からも、「田母神氏の論文は、典拠の付け方や、典拠の選び方一つとってもシロウトの域を出ていません。しかも、内容的にも論理が首尾一貫していない箇所が散見されます。遺憾ながら、彼は、大将クラスの軍人のグローバルスタンダードに達していない無能な人物である。」と評されているのであるから、今更何をか言わんやで、改めて取り上げる価値もあるまい。それにしても、今頃現れて、また何をしようというのか?

                  2022 12/6

〇「一事が万事」、私もよく遣うが怖い言葉である。それは一つの事柄、瞬時に現われた事、言、動きから、そのものの全体、すなわち「本体」が察知できるということである。これは、「華厳」にもある「一即一切」、「一切即一」と同様である。一瞬の言葉遣い、表情、動作でそのすべては推しはかられるというより、もろに全体像が見えるということである。それは何も人間事象に限らず、森羅万象についても然りである。したがって、それが既存の宗教的意味合いを超えて、現代物理学にも通底してることについても何ら不思議はないのである。それにしても、一事が万事ということを日々見せつけられることが多い。それも負の領域の一事が万事ばかりでは、万事休すであろう。が、しかし・・・

             2022 12/2

〇「白うるり」か「ぬらりひょん」か、カルト組織の「養子縁組」の口上、やり口をみていると、思わず「ブリーダーか?」と言いたくなるような行為である。それも一方向に向いているだけの狂信的集団の管理下で、「白うるり」か「ぬらりひょん」か判じかねるような者の、丁寧な口上に導かれてなされる行為、それを見てまだ距離を保てる者は薄気味悪くなってくるのは当然で、実質的に、これはカルトに都合よく「改造された」人造人間の大量生産ということにもなる。

                    2022 11/21

〇最近の危機感を煽った見え透いた国防談義を聞いていると、戦前、戦中に読まれた川柳などで現在、近未来の巷間の姿が生々しく蘇る。「血税で上る兵工廠(兵器工場)の煙」、生活に追われ「昼業と夜業に夫婦きりはなされ」夫婦が語り合う時間どころか会う暇もない。また一方では、追い詰められて「修身にない孝行で淫売婦」となった娘たちがいる。今では、「『教義』にない孝行」で春をひさぐことになってしまった者もいることであろう。見れども見えずか、見ようともしないのか、相変わらず「屍のいないニュース映画で勇ましい」といったところで、まったく現実が見られず流されていく。常に大樹の蔭の安全地帯にいる机上の操作人のまことしやかな、もっともらしい言説には取り込まれないことである。彼らの軸足は決して万民の側にはないということである。

               2022 11/15

 最近、デマゴーグ「作家」、デマゴーグ「ジャーナリスト」なる者たちの実態を再確認した。飼われた、あるいは買われた詐欺師たちである。

〇Twitterのトレンドは「自民党に投票するからこうなる」から「自民党に殺される」に変わったらしい。Twitterなどを見るまでもなく、こういう社会を作ったのは自民党であるということは明々白々なのである。こういう奇妙な社会を作ったのは自民党であるにもかかわらず、自分たちがやったという自覚がない。因循姑息に糊塗ねつ造を繰り返し、美辞麗句でありもしない幻想を作り上げ、人々の目を現実からそらす。反省も教訓化もできない者たちに明日はないのである。

            2022 11/5

 

〇人間の慢心を戒めるためにも、宗教は、ある意味で必要であろうと思われるが、宗教は危険でもある。その点は特に注意を要する。特に、悪質なカルトに絡め取られた人々を見ていると、その事理弁識能力の喪失は半端ではなくなっている。その様相は、禁治産者、準禁治産者、被保佐人の類である。総じて、「人間」の抜け殻を見ているようである。どうしてここまできてしまうのかと思われる。この段階ではもはや「地獄」も「天国」も「煉獄」も想定すること自体が無意味なのであるが、恐怖心だけが増殖され、僅かな刺激が「地獄」を巨大化し妄想となって追い詰められていく。多くは、現世ご利益的な安易な欲望(信仰とは程遠い)の「浅瀬」で足をすくわれ、流されている内に深みにはまり、戻れなくなったというのが実情であろう。このような人々が全国規模で増え、そのような人々を巧みに利用する者たちがいるということ、それはやはり亡国の兆しにしかなるまい。

            2022 10/31

 

〇「追悼演説」?総じて、後からは何とでも言えるということに尽きる。しかし、何のためにこんなことをいつまでもやっているのかと思われる。「肝心なこと」から目をそらさせるためだとしたら、それはお門違いであろう。「敗軍の将 兵を語らず」で、語れば語るほど、結果的に相手を美化することになる。自らを「かませ犬」などとたとえて、もう判定の出てしまったリング外でいくら吠えても、詮方なし。「かませ犬」は最期まで「かませ犬」であったということがよくわかった。

             2022 10/25

〇「一元化」、さも合理的で便利なことのように喧伝されているが、果たしてそうであろうか? 一元化とは、「多くの組織・機構を一つの原理で統一すること(広辞苑)」である。身近な例でわかりやすく言えば、「オール電化」、これはすべて電気で済ませるということで便利なようであるが、電気が停止すれば、すべては停止、全滅なのである。一見、便利が最優先される合理化ということ自体の中に国民にとっては不利益となる問題が多々含まれているということである。実のところ、誰にとって一番便利なのか、少なくとも一般国民ではないであろう。この手のお為ごかしに乗ると割を食うのは決まって一般国民であるということである。実際、このマイナ保険証の喧伝のお先棒を担いでいるのは、顔だけは知れ渡っている怪しげな者たちばかりである。

※マイナンバーカードの事実上義務化を閣議決定? またしても国会を通さず閣議決定である。閣議決定で国民に義務を課すことはできない。明らかな憲法違反である。国の根本法である憲法軽視で何でも閣議決定では、何ら独裁国家と変わりあるまい。

 

                        2022 10/15

〇「人間としてシンプルに下等」、これはウクライナの児童公園のブランコをロックオンしてミサイルを撃ち込んだロシアに対して、日本文学研究者(東京大学名誉教授)が放った言葉である。この言葉を待つまでもなく、毎度登場するプーチンはじめ、スポークスマンのすべてに対して感じる吐き気をもよおす全存在的拒絶感。ここまで来ると、それを単なる感情論で括るのはまったく無理である。もはやその類のものではない。物質的にも、精神的にも、もはや何一つ取り戻すこともできず現実的に「『人間』の終焉」を見ているようである。「彼ら」が、いかなる形にせよ、今後どのようなことが起きようとも受け入れられることはまずあり得ないだろう。

 カルトの問題も、「人間の境涯」にいない者、「人間」の終焉をそこに見るということである。宗教を「最終ビジネス」とすること自体が、悪魔の手を借りるということを意味するのである。思考停止状態のまま「人間の境涯」を出ればどうなるか、「地獄に落ちるぞ」で震え上がるだろう。因みに、真の求道者は他者に対してそのような言葉は決して口にしない。

                 2022  10 /11

〇説明になっていない説明、意味不明の具体性のない言葉の繰り返し、果てしない言葉の空洞化、こうした動きそのものが民主主義政治から「霊感政治」に移行しているとみると、すべてはよくわかる。説明になっていない説明も、意味不明の言葉の繰り返しも、この不整合性も、果てしない言葉の空洞化も、「霊感政治」とみれば、すべては解せるのである。しかし、これは怖い。この道は極めて危険で、スパンの短い自壊の道でもある。皮一枚でようやくつながっている民主主義ともいえる。「理屈じゃねーんだよ、俺が言っていることがわからねーのは日本人じゃねー」このような御仁を閣下と呼ぶ「霊感政治」がこの先どうなるかは火を見るより明らかである。

              2022 10/4

〇確かに、論理では人は動かない、だからと言って「人を動かすのは実は主観の話」などとしたり顔で言うのも危うく、怪しげなものがある。言ってみれば、浪花節的な人情噺、三文私小説的なものが大衆を動かすには適していると言っているに過ぎないのである。「理屈じゃねーんだよ」と言った御仁にも相通じるものがある。「理屈じゃない」、人情の機微もわからない無粋な奴とでも言いたげであるが、昨今の事情を鑑みれば、理屈じゃなけりゃ何? 銭?霊感?とでも言いたくなる。今、再び問題となっている「霊感商法」なども、シモ二ア(聖物売買)の範疇にある。それは宗教的にも、法律的にも問題が生じてくる「無法の牧者」でもある。宗教的見地からすれば、地獄堕ちで、「倒懸の亡霊」のようにしかならないのである。神あるいは神的なものの名のもとに護身、免罪などと称して法外な額で売買する行為自体が法的のみならず宗教的にも罪となるのである。

追記:山形有朋も伊藤博文も、共に足軽出身で、成り上がる成功談に伴う浪花節的な人情噺作りには事欠くまい。

※アマゾンで一位などというものの実態も、かなり操作されたものであることがより具体的にわかった。もちろん中には誠実で、正鵠を得たものもある。要するに、読み解く力がないと振り回されるだけということである。 

                        2022 9/29

〇「自民党の統一教会汚染」3000日の追跡調査(鈴木エイト著)。現状がより鮮明に、より具体的に見えてくるはずである。ジャーナリストとして、いい仕事をしているなと思われる。また、彼を見ていると、身を挺してオウム真理教内部に潜入したフランス人ジャーナリストのことが思い出されるのである。よく聞こえてくることであるが、この統一教会のトップダウンの異常な動きの速さは、「一般」と称される人々の大半が実は「信者」もしくはその関係者であるということを物語る証左にもなる。なぜなら、一般人は、そんなに早くスピーディーに「スマート」に統制の取れた動きはできないし、たとえそうだと思っても疑心暗鬼とどこかにある違和感で、動きが鈍くなるのが普通だからである。しかし、今回の国葬、「総動員」しても2万人程度だということである。この国葬を何とか盛り上げないことには、統一教会の今後の動きにも大きな影響が出てくるからである。もっとも、すでに国葬としたことで、その目論見の大方は達成したと思われる。しかし、見送る方も見送られる方も、自ら、率先して反道徳的行為をしていて、「教育勅語」への回帰?まず隗より始めよとも言いたくもなるが、「狂信者」には、「普通の言葉」も、論理も通らず、質問さえも答えにならないものが返って来るだけであろう。しかし、放置すれば、増殖して異常同調圧力になるだけで、その異常圧力の中では、自由な個などは虫けらのごとく踏み潰されるということになるので、無視も、黙認も、忘却もできない。以前にも言ったが、忘却こそは、悪の温床、悪魔の揺籃、緩慢なる自死なのである。

因みに、そのフランス人ジャーナリストは、オウム真理教のスポークスマンを面前にして指差しながら、「You are a liar!」(あなたは嘘つきだ!)と言った。彼はすでに証拠となるものは押さえていたのである。

                                           2022 9/28

〇ジャーナリスト金平茂紀さん、お疲れ様でした。厳しい調査報道の道を歩まれたことに対して賛辞をおくりたいと思います。これからますますあなたのような存在は必要となります。

                     2022 9/24

〇「開催前日」、「開戦前夜」まで、「丁寧な説明をする」と言い続ける。もうすでに真っ赤に錆びついてしまった常套手段である。「今更止められるか!!」というのが本音であろが、覚悟すれば止められるものである。現状の状況にも一喜一憂せず「為すべきことを為す」とは、「カルトの手法」とも通底する。「状況に振り回されない」「為すべきこと」とは一体何か?それが問題なのである。

 それから、デモについて一言、やるだけ「無駄」、「今更『支出』は変わらない」等々のしたり顔の意見もみられるが、そのレベルでデモをしているわけではあるまい。「なぜか」この手のピンボケのどや顔も多い。「水をかける」発信者の位置は言うまでもなくわかりきった者たちである。特に現在、その意思表示は瞬く間に全世界に伝播する。そして、その国の人々の意思表示をりアルに伝えるのである。国民の意思表示を伝えられて困るものとは?「わかり切った者たち」で、彼らに信を置くことは決してできないのである。しかし、「ヒットラーに倣えばいい」などと平然と言ってのける御仁がいまだに中枢に巣食っているのであるから、後は何をかいわんやである。やはり、長い鎖国がもたらした封建的な鎖のしばりで、手足のしびれも、頭のしびれさえもが取れていないと思わざるを得ない。

             2022 9/22

〇このような時(時代)には、人の本性がすべてにわたって拡大提示され、見たくもないものまで否応なく見せられることになる。総じて、馬脚をさらしながらなお、どこ吹く風の口上には、滑稽を通り越して精神疾患を患っているとしか思えぬものがある。「激論」などと言ってみても、要するにディベートの類で、ディベートはゲームで議論ではない、勝った負けたの次元では、実質的に何の問題解決にならないと同時に、そもそも議論にはなっていないのでその中から見えてくるものも、さらに展開可能なものの現出もあり得ない。いつまでも勝った負けたの「お遊び」のレベルから一歩も抜け出せないのである。売文の徒の傍迷惑な虚しい営みである。偽り人の虚言に惑わされている暇はない。

                      2022 9/13

〇毒饅頭を食らった者たちの講釈が始まった。糊塗、ねつ造、すり替えの手慣れた配合で陳腐な講釈がいつ終わるともなく続く。思わずじっと顔を見る、飽くまで毒饅頭のお陰で悪びれる様子はない。しかし、猿芝居である。

「問うに落ちず語るに落ちる」で、言わせておけば問題点、誤謬をさらけ出す。当然、、論ずるに値しないものばかりである。せいぜい、毒饅頭の成分、吸収条件の分析くらいには役立つ程度。

 単に、買収されているだけのことで、何かやっている気になられては迷惑千万。買われて飼われた命の、若き者は、未来を括り、老いは晩節を汚し、老醜をさらすだけだということを知るべき。 

             2022 9/11

〇何をどう言ってみたところで、こういう社会を作ったのは、自民党だということを忘れないことである。さらに問題なのは、自民党自身にもこのような社会を作ってしまったという自覚がほとんどないことである。何をやらせても、自分の問題でさえ他人事のように扱う態度、開き直りにも、それは現れている。

 現在の少子化問題も彼らの施政の積み重ねがもたらしたものであり、教育、経済、さらに統一教会問題等々、どれ一つとっても自民党自身が関り、作ったものであることに変わりはない。「保守」などというものは、常に保守・点検をしないと成り立たないのである。しかし、それも限度がある。老朽、腐蝕などが進めば、「対症療法」で解決できる話ではない。

                    2022 9/10

 

 

〇「旧統一教会問題、もういいんじゃないか」、とんでもない、「旧統一教会問題」は始まったばかりで、これからである。ハーバード大学比較宗教学で各宗派の墓の建て方でも研究していたのか?問題の肝心な所が抜け落ちている。

               2022 9/5

〇かなり前に、策士として有名であった政治家が息子に、「まともな仕事などやることはない、政治家にでもなれ」と言ったということが某作家に取り上げられていたが、昨今の「旧統一教会問題」で次から次へとメディアに登場する「政治家」たちを見ていると、「記憶にありません」、「資料はその都度整理し、残っていません」等々の連発、やはり「まともな仕事」などは無理であろうと思われる。

 少子化が進む日本を見て、日本の滅亡を唱えた米国人もいたようだが、それだけではないことは火を見るよりも明らかである。まず、大中小の様々な過去の事象を教訓化できていないことである。何だかんだとこじつけて正当化する、この一事だけでももうすでに先は閉ざされているのである。それもカルトに染まっていれば正当化する度合いはさらに異常なものとなる。

  巷に目を移せば、「初級 いかさま講座 桜花伝」というノボリ旗がはためく、どこぞの芝居小屋にも立っていそうな演目のノボリ旗であるが、今では、パーティー、講演会場と至る所に、飲み屋のノボリ旗よろしく立っている。そんな光景がふとよぎる。

〇 最近の流れとして、閣議決定したことがすべてであるようだ。国葬についても、たとえ全国民が反対しても行う方向でいるらしい。もう充分に全体主義国家の様相を呈している。すなわち非民主主義国家なのである。「国民」などと言ってみても、表に出てくるのはビッグマウスの「カルト民」の類、また裏で蠢動する共謀共同正犯的な「カルト民」では、お話にならない。「国民の声」などどこで聞いているのかということになる。言ってしまえば、ここまでカルト的政治ビジネス結社に絡め取られてしまった者たちに、その関係を断つことはできないということである。

 忘却は、悪の温床、悪魔の揺籃 緩慢なる自死、そして空中楼閣を併せ持つ。

                   2022 8/27ー

〇アメリカの保守系団体が、トランプのことを独裁主義、民族主義のカルトと言っていたが、それはそのまま日本の現在の政権与党の実態にも当てはまる。要するに、保守党などと言うのもおこがましい状態であるということである。このような時は、どのようなことを取り上げるか、何を言うか、言わないか、物言い一つで金が流れ、すなわち「金流」の様相がよくわかるものである。

 民族主義のカルトの口車の出だしは、決まって「日本が好きなだけ」、そして日ごろの鬱屈した感情を刺激するというのも常套手段である。さらに関係が進むと、個人の今一番欲しがっているものにターゲットを絞り優しくてなずける。関係が定まったと見るや、「献金」、「奉仕」、「開運」などの名目で多額の金銭を求める。その延長線上には命さえも捨てることを余儀なくさせるシステムがあるということである。このような「カルト」は、自分たち以外の存在をすべて旧「左翼」のコンセプトで処理している。しかしながら、「左翼」、「右翼」などと言ったところで今や何のレッテル貼りにもならず、それを遣う者のオツムの具合を露呈させているだけなのである。

                                                                   2022 8/24

〇宗教は、金銭の問題が発生した時点で、内容のいかんにかかわらず、その純粋性は脱落する。まして法外な金銭の要求などとは、論外中の論外で、自ら「最終ビジネス」と言っているようなものである。そのようなところに神も仏もあるものではない。いかなる神も、悪魔さえも現れることはない。これは、宗教にかこつけた政治結社の最終ビジネスである。信教の自由云々ではない、法的に規制すべき危険なビジネスであるということに過ぎない。脱税の手段としての宗教法人でしかない単なる「カルト」が、現在もなお自分たちに都合よく法律を変え、憲法さえも改変しようとしている。一方、肝心の一般国民は陰に追いやられ、「カルト」体裁の政治結社に陰に陽に一国を仕切られているという現状。これは恐ろしいことである。一部に操られた、集団的意思しか持たない、個々の不在がもたらすものとは例外なく悲惨である。

                   2022 8/20

〇欲望に絡め取られているということは、言い換えれば、スキだらけであるということである。そのスキを突いて入り込むものの一つに「カルト」もある。マスメディアに登場する人々の、そのもっともらしいディスクールの中に、スキから入り込んでいるものの実体が見えることが多い。私は、このサイトでシンギュラリティなどは訪れないと言ったが、実際、政治家、学者、専門家達のディスクールについては、AIに任せておいた方がいい、すなわちシンギュラリティはもう訪れているようにも思えるのである。要するに、常にその程度のことしか言っていないということである。彼らは、一体何のために存在しているのかと思われる。コロナ禍一つとっても、いつまでも「前向きに検討」しているだけ。「カルト」に対してもそうである、「知らぬ存ぜぬ」、開き直りのオンパレードのままでは、中枢で反日勢力、間諜を飼っているようなものであろう。今後「カルト」はさらに潜行し、変異増殖を繰り返し、ますます「素人目」はわかりにくくなり、知らなかったという口実を与えやすくなるだけである。「カルト」と合体した政権は、必然的に全体主義を目指すことになる。実質的に民主主義国家は崩壊するのである。言葉ではなく動き自体がそれを実証している。

 

                        2022 8/17

〇国葬の賛否? 今回の国葬ついては、法的根拠もなく、憲法違反にもかかわらず、国民に対して丁寧な説明らしきものさえないというのが実情である。当人の毀誉褒貶、功罪、外交効果、挙句はお涙頂戴の三文ドラマ仕立ての論調等々は登場しても、民主主義国家としての肝心なことが問題とされず、完全に抜け落ちている。国葬の賛否ではあるまい、まずそれが存在し得るのかしないのかが問題で、充分に検証されてしかるべきなのである。いつまでも興行師、ヤシ、山師、三百代言の類の口車で動いているようではカルトの門はすぐそばである。

                              2022 8/10

❍アムネスティ・インターナショナルの調査報告書については、驚きを禁じ得なかった。この段階でウクライナの非を論うことが、どのようなことになるのか、それもロシアの大きな非についてはスルーでは、ロシアのプロパガンダと言われても仕方あるまい。あまりにも無知過ぎる。そして、後日、「我々の報告書は、ロシアによる(人道法)違反を正当化するものではない」と言ってみても、動きそのものが「正当化」する方向に向いていることを知るべきである。また、ロシアから金が流れているのかと「勘ぐられる」ことにもなる。言動の在り様が、自ずと金の流れを決めてしまうこともある。

❍「反社の規定は難しい」などと言っている政党に何が期待できよう。それでも「他に適当な人がいない」などと言っているのでは、「反社」に身を任せているようなものであるから、何があっても受け入れるしかあるまい。これもまた一事が万事である

❍ASD、アスペルガー症候群、カサンドラ症候群、若い女性に多い解離症候群etc 精神医療用語は実に多い、これだけ見ても「カルト」の付け入る隙はいくらでもある。しかし、「病名」は多いが、本質的な領域ではそれほど代り映えのしないものである。したがって、本質的な領域に軸足がある者にとっては「カルト」は無縁なのである。また、「思考停止状態」の者や、すでに「拝金教」という「カルト」にどっぷりつかっている者などは、別の「カルト」は必要ないというだけのことである。

              2022 8/8ー

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