148.つれづれに一言で片づければ(23)ー32件ー(451件)

〇この政権は、「民主主義の根幹を揺るがす由々しき事態」をすでに何回も引き起こしているのである。「致命傷」と言われるような瑕疵も一度や二度ではない。それでもなお、今もってこれである。すべてが発展途上国並み?それは甘いであろう。腐りきって衰微の一途という点でも、後退途上国と言った方が適切である。事ここに至っては、四の五の言っている場合ではない。総取替えしかないと思ってやらないと、また足をすくわれることになるだろう。

                                                                                          2020 1/26ー

〇「消費税増税は是か非か」、それは「非」である。そして、「是」とする者は、必ず「社会保障」、「少子高齢化」などの問題を出す。あたかも社会保障を必要とする者がいるから、少子高齢化が原因であるかのような詭弁操作(これはさらなる分断化にもつながる)をする。それだけを見ても三流ブラック企業の無能な経営者と何ら変わるところがない。問題が起きても、すべては社員のせいにして自らの無能無策は棚に上げ、ごまかす。消費税増税を「是」とする者が出すもっともらしいデータらしき数値は、ほとんど「マジック」といってもよいであろう。自分たちに都合がよい勝手な切り取り、恣意的選別、割り出し根拠の不明瞭、必要もないのに相手に断定を躊躇させる煩雑な要素の組み合わせを敢えて提示する。一つ一つ追及したらそれこそ際限がない。これは単なる手品で、手品師は、目の前にいる者たちを攪拌し、すり替え、まんまと騙す、それがすべてでそれ以外は何もない。騙すことが第一義なのである。それは1%にだけ連動するミーファーストだから騙す必要があるのである。昔から「巧言令色鮮し仁」というであろう、やっていることを見れば「仁」などまったくないのは明らか、「徳」に至ってはもはや死語と化している。こういう者たちを持ち上げ提灯記事を書くにはマキアベリを持ち出すしかないのである。実際にそれをやっている者はいる。そして、それほどの才もない器量もない者がその気になり、人品骨柄はますます卑しくなっていくという具合である。

                       2020 1/23

〇カエルの子はカエル、カエルの孫もカエルであったということに過ぎない。代々、米国の手先として君臨したカエルたちが本来の「反日」なのである。自らが生き延びるためにだけ国を売り、国民を裏切り、手先となることでその地位を得たカエル、そのカエルを手本とするカエルの所業を少しでも批判すれば「反日、反日」と馬鹿の一つ覚えのように連発する者たちとは、焦点の絞り方、思考の展開過程に欠陥があると言わざるを得ない。完全にコントロールされてしまった自動反応装置ともいえるが、それはもはや正常な人間の領域にはいない「ものたち」と言ってよいだろう。精神科医の対象でもある。今時、戦前回帰?バカも休む休み言えと言いたくなるが、休む休み言っても同じであろうと思われる。彼らには思考の深化、展開の余地などまったくないからである。そこにあるのは実質的な後退、退行しかあり得ない。

                      2020 1/20

〇「日本民族は単一民族云々」などと、今もってわけのわからないことを言っている人間はまず自らDNA鑑定を受けてもらいたい。法廷鑑定でもよいが、超高精度鑑定を受ければ問答無用でその由来が判明する。いつまでも妄想にふけっている時ではあるまい。あまりにも低級、低能過ぎる。反社との境目も定かでない組織であってみれば然もありなんではあるが、とにもかくにも史上最悪の状態で2020年はすでに始まっている。オリンピックなどのお祭り騒ぎに浮かれている場合ではないというのが実情である。効用?効果?実は何もない。それは単なる目くらまし、むしろマイナス面の方が大きいだろう。まんまと乗せられてどこまで行く?早く気付かないと命はないよ。

                     2020 1/19

 〇リンカーンではないが「顔が気に入らない」の一言で人を選ぶくらいのことができなければ、何をされても仕方がないということにもなる。現在の行政権を行使する者たちの顔、またその周辺の提灯持ちなどの顔を見ていると、どれも「顔が気に入らない」で片付いてしまう。もちろん、それは顔の美醜ではない、その顔つきから見えてくる、信を置くに足りるかどうかということである。やはり、顔にはその人間のすべてが表れているのである。ただし、それを読み取れるかどうかは、己自身をどれほど厳しく見つめていたかにもよるので、自分に甘い者は「直観的にも」顔の読み取りすらできないまま、その空疎な言動に巻き込まれ結果的には繰り返し騙されることになるのである。

トランプとソレイマニ(イランの司令官)、ブッシュとビンラディン、もっともらしい分析、危うい講釈、大樹に寄り添う軍事オタクが開陳する怪しげな「具体」事例等々を度外視すれば、一方は口八丁手八丁の詐欺師の顔であり、もう一方は義士の顔である。実際、ソレイマニもビンラディンも基本的には自ら陣頭指揮をとる司令官であった。安全地帯で大口をたたく詐欺師まがいの者とは全く異質なのである。すなわち、少なくとも「裏切り者」の顔はしていないということである。リンカーンが「顔が気に入らない」とにべもなく断ったのは、皮肉にもトランプやブッシュのような顔の人間であろうと思われる。

                                                                                          2020 1/6   

〇毎回思うことであるが、海外と比べて日本の「街の声」のレベルの低さ、それはやはり「ボーッと生きてんじゃねーよ」と言いたくなるような老若男女ばかりであるということである。これは「編集」のせいなのか、実際そうなのか、自主規制も含めて「編集」のせいであればこれも大きな問題であるが、実際そうであればなお深刻な問題でもある。

                                                                                         2020 1/5

 

〇「下山」も「登山」もあるまい。多くの者にとって、景気の多少の変動は感知、体感し得たにせよ、実質的に「登っていた感覚」も「下山している感覚」もない。それを感じられたのは「極一部の者たち」であろう。それも主に経済的な面である。大多数の者たちは、意識するとしないに関わらず実質的にも平坦な荒れ地を歩き続けているだけなのである。それも、さ迷い続けていると言った方がいい現状である。歴史の只中で一体どこにいるつもりなのか、ということにもなる安易な俯瞰的言説は避けるべきであろう。

                        2020 1/4 

〇「Told by an idiot full of sound and fury  Signiflying nothing」昨今ではこの手合いが至る所で跳梁跋扈しているようである。卑しい感情に身を任せ、騒々しいが、それ自体は何の意味もない阿呆の語り草。「You fool !」で終わりのレベルであるが、詐欺師の類になると巧妙でさらに厄介になってくる。現状の枚挙にいとまがない詐欺師たちの所行を見れば、それは明らかであろう。

                                                                                         2020  1/3

〇「門松は冥土の旅の一里塚」などとはどこかに活力も感じさせるが、今では、門松もあるかなしやの街となりといったところで、街の衰微していく姿しか見えてこない。

                                                                                     2019 12/31

〇しかし、阿呆の周辺、元へ、アベの周辺には塀の中にいてもおかしくない、塀の外の懲りない輩が何と多いことか。早晩、塀の中であろうが、そんなのが税金使ってやりたい放題ではたまったものではない。「反社の皆様」などという言葉が自然に出てくるのも当然で、自分たちと区別、線引きができなくなっていのであろう。それから、ものを言うのなら精神病院できちんと直してから言いなさいと言いたくなるような者まで引き連れているから始末に負えない。

                                                                                 2019 12/27

〇日本郵政株式会社、今回の「事件」の社長の対応を見ても、社内の社員の扱い方を見ても、民営化した時点でこうなると思っていたが、それにしてもやっていることは3流企業レベルである。これも大株主は政府である。こんな無能な者たちの下で働く者たちは最悪である。ただ鞭打たれるだけの奴隷に等しい。要するに、肝心の上層部が無能で、打開策を見出せないのだから、どうしようもないのである。今後もパワハラ、セクハラ何でもござれであろう。これは何も日本郵政だけに限らないが。

                                                                 2019 12/23ー

 後日、郵政グループのヘッドが4人辞任した。責任をとっての辞任のように見せているが、やはり「逃亡」であることは明らか。そして、問題になっているにも関わらず、再び天下り人事である。この組織は今後も何も変わらない。したがって、被害者が言っていたように「それは詐欺」で、そのような「詐欺行為」は、謝罪、首のすげかえ、反省程度で直るものでもなく、また手を変え品を変えやらざるを得なくなるということである。高齢者はボケている暇はない。ボケれば身ぐるみはがされて捨てられるということである。

 

〇山口敬之、見た通りの、思った通りの食わせ者。最悪である。これもまた、すべてが凝縮されている。どの面を拡大させてもすべてが見えるのである。こういう人間は、司法解剖するがごとくに徹底的に検証、裁断すべきなのであろうが、すでに刑事でも「推定で有罪」なのである。さらに継続展開させれば、刑事でも有罪は確定するだろう。そして、さらに新たな、山口にとっては最悪の局面も見えてくる。民事で勝訴している伊藤詩織さんは徹底的にやるべきである。あなたはもう命を懸けることを何とも思っていないだろうから、何でもできる。一方の山口は今もって未練がましく保身をはかることしか考えていないのである。彼を完膚なきまでに追い込む絶好のチャンスである。こんな人間を社会に泳がしておいたら百害あって一利なしなのである。そして、これは決して小事ではなく悪しき国家権力が絡む大事だということである。この「事件」を何とか矮小化し卑小な事件に見せかけようとした者たちも含めこのままでは済まないだろう。

 後日、詩織さんに対して悪口雑言を吐いていた者が「私の表現の拙さ」などと言い訳していたが、それはオツムの拙さで、それが許される位置にはいない以上、辞めて責任を取るしかない。

                                                                                2019ー12/21ー

〇トランプが弾劾訴追された。「権力乱用」、「議会妨害」etc・・・

 そもそもこれで辞任する「人間」でもないし、上院の共和党議員の占める割合からみても罷免させることもできまい。しかし、アメリカの「良識」が僅かでも残っているのなら弾劾訴求はしなければならない。訴追したことで、トランプを史上3人目の「札付き」にしたのである。ミーファーストをアメリカファーストに巧妙に置き換えるナルシストには丁度良いクリスマスカードでもある。辞めるまで首にさげられていることになる。

 私は、アメリカに対して何の幻想も持っていないので、トランプは出るべくして出てきたと思っている。それは衰退とともに抑え切れなくなって噴出し始めた闇に息衝いていた劣情でもある。場合によっては、彼の口から「ジャップ」という言葉はいつでも出てくるであろう。

 日本にも縮小相似形の者がいるが、やはり野放図で周りもまったくの放置状態である。いくら飼い慣らされた「民」とはいえ、せめて「忘れない」というくらいのことはできるだろう。そうでなければいつになっても積み重ねのできない、すなわち歴史認識の欠如した認知症、何度でも同じ手口で騙されるということになる。北朝鮮を仮想敵国として、実は北朝鮮のような一党独裁の全体主義国家建設を目指す者。彼らには目覚めた国民は必要ない、すぐに忘れる意識活動の少ない「民」だけが必要なのである。

                                                             2019 12/18

※キリスト教福音派の有力紙「クリスチャニティートゥデー」が、ついにトランプは罷免にすべきとの見解を出し、呼びかけた。この影響力は大きい。(12/20)

 キリスト教福音派は、再度トランプ批判をした。トランプの支持基盤の瓦解は速度を速めるであろう。これも自業自得、そもそも福音派は「欲得」が肝心の組織ではない、トランプの「つっぱり」程度で、ひるむような相手ではない。(12/24)

案の定、証人の召喚が2020年1月末に否決され、無罪が確実となった。しかし、これもまた我々には有罪という認識しかない。それが変わることはない。

 

〇年収1000万程度、それはアメリカでは低所得者で、年収4000万程度で中流、それが常識ということである。その常識からすれば、日本で年収300万程度というのは低所得者層というよりは極貧層。その極貧層の者同士がいがみ合い、さらには社会保障を受けて当然の弱者までも攻撃対象にする。向ける矛先がまったく違うのである。盲千人目明き千人などと言うが、実情は盲千人目明き数人というところなのであろう。無能な為政者にとっては、盲が多ければ多い程、それは結構なこととなる。

今でも、実際に朝三暮四の猿回しと猿、その関係に何ら変わるところがない。

                                                                                                                                                               2019  師走 某日

 〇「お世話になっている『反社の皆さん』には、いろいろ優遇措置も考えております。残念ながら、一般の皆様には優遇措置は一切ありません。すべては自己責任ということでお願いします。」これは現実に起こっていることでもある。

 実際には、「彼ら」は「反社」に対して「反社の皆さん」ではなく「反社の皆様」という言葉を遣ったのである。そこには、普段からの接し方のすべてが現れている。「彼ら」とは今更言うまでもないこと。

                                                                                             師走 某日 

 タイムスリップしたような話であるが、現在進行中の「現実」のことである。

 

〇「自衛隊派遣は有害無益である」と言っていたのは中村哲さんである。戦をしない国から戦をする国へ、それも米軍と共に動くとなれば今までの「非戦の国の人」という日本人観は一転するのは当然。その時から、日本人も戦闘員となったのである。中村さんのような状況で殺された日本人は他にもいる。実入りのない酌婦外交で金と危険をバラマキ、後は「自己責任」ということで放置する者たちの責任も問われてしかるべきなのである。中村哲さんのような人がいることで、辛うじて日本にも「すばらしき人間」がいることを改めて世界に知らしめたのは紛れもない事実である。税金で世界を飛び回り、何をしていたのかわからぬような者は、シュレッダー処理するまでもなく、やがて記憶の片隅からも消え去る。それが因果応報の摂理である。

                                                                              2019 12/15

〇「彼ら」には、大衆はconsumableかexpendablesの違いで、どちらにしても「消耗品」程度の意識しかないのであろう。「彼ら」の目くらましのように発する「美辞麗句」と、「啖呵」と「節」で織り成す空疎な言説に酔い痴れていては、すべては後の祭りとなる。             

                                                                                   2019 12/14  

〇これでは「特殊詐欺」の定義もできまい。自ら行っている範疇にも関わることだから尚更である。要するに、聞くだけ無駄で、説明どころか最低必要事項の伝達もできていないということである。「特殊詐欺グループ」が、「改憲」云々とは、前代未聞、奇っ怪千万、戦慄の「森羅万象」である。

 

〇「反社の定義ができない」? 定義など求めてはいない、社会的ルール(法律)上、「反社」は是か非かということである。付き合いが長すぎて言いようがないのであろう。しかし、「反社」の定義は簡単明瞭、法に反する行為をするものである。したがって、この期に及んで、言うに事を欠いてこれでは、自身が「反社」あるいは「反社」との共犯関係にあることを言明してることにしかなるまい。虫も殺さぬ顔をして合法的に「刺客」を放つ、スキャンダル、デマを流す、歯の浮くような美辞麗句の裏で、「その筋の者たち」が蠢いているのが具体的に手に取るようによくわかる。

 

 すべては嘘、そのすべてが嘘という作品化できないホラーを見続けている.。

「『当事者』とされた暴力団総長が真相を語る」(デイリー新潮)とあった。まず暴力団総長が「真相」を語り得るのか?一つの証言として取り上げている方向ではなく、あたかもそれが裏事情=真相という持って行き方である。見え透いた陳腐な手法である。いまだにこのレベルである。「反社」の親分が「真相」を語り、それがその通りだと認められるのなら裁判所は必要あるまい。

今後は、「反社とは、どいう意味や」と因縁をつける輩が出てくるのであろう。とりとめもなく愚かしく、狂っている。

            2019 12/12                                                          

 〇簡略、置き換え、省略化された言語がネットスラングなどとあいまって、あたかも新しいコンセプトを作り出しているかのごとくであるが、実のところ、それは単なる言い換え以上に貧相なもので、言語能力の劣化、すなわち思考能力の後退、脆弱化を招いているだけであろうと思われる。思考能力の低下を「本人」以上に「喜んでいる」のは、そのことによって人々を容易く動かせると思っている者たちである。「大衆よ、いつまでもアホでいてくれよ」それが本心なのである。大学から人文科学系をなくすなどというのも「無駄のない」専門バカの大量生産を狙っているだけ、文化は「無駄のないところ」からは育たない。そして、その一見無駄なところから想像を遥かに超えるものが生み出されてくるのである。専門バカだけの未来からは「明るさ」は消え去り、闇だけが残る。

 専門バカついては、枚挙にいとまがないが、最近でも東大特任助教の大澤何某とやらが「資本主義の文脈において、パフォーマンスの低い労働者は差別されてしかるべきです」などと言い出す始末。これで何か言ったつもりになっているようだが、これは思考の根幹が問題なのである。しかし、本人は一生気付くまい。このような思考の鍛錬もろくにできていない専門バカばかりになったら一体どうなるか、想像しただけでも吐き気を催す。

                                                                     2019 12/11ー

 因みに、ネットスラングに「脳内お花畑」というのがあるそうだが、そんなことを言って何か言っているつもりになっている者のオツムの具合は「脳内砂漠」で火でも出ればすぐに「脳内地獄」であろう。やはり、お里が丸見えなのである。

 

〇悪魔?  幸か不幸か、我々は今、現実に日々目にしているのである。「彼」の一挙手一投足、物言い、そのすべてが悪魔そのものではないかと思っている。このサイトでも7/14のこのカテゴリーで書いたが、あのホラーの第一人者スティーブンキングでさえ、自分の作品に出てくるブギーマン(不気味な殺人鬼)より怖いのがトランプだと言っているのである。ホラー映画を観る必要も、その手の本を読む必要もない、我々は現実に「そのもの」を目にしているのである。よーく観察しておくべきであろう。その「手先」の類も同様である。何をするかわからない、要するに、何でもするのである。「ここまでするとは思わなかった」などとは、よく聞こえてくることでもあるが、甘すぎる。一方では「令和のおじさん」、「美しい日本」、「未来を切り拓く」などと、学芸会並みの仕立て具合で乗せられると思っているのが日本の事情でもある。上下左右未成熟というのが適切であろう。これでは悪魔の手先も張り合いがあるまい、彼らに対峙する真の大人とは、何を「具体的に切り拓く」のか、また「切り拓いた跡地」が死地にならぬよう見守りつつ、そうならないように実践できる人のことでもある。もはや流されている猶予はない。

 地球も青息吐息なのである。四の五の言っている場合ではあるまい。それこそ人類の英知が試されているのである。

                                                                                    2019 12/8

〇2019年の流行語大賞は、「ワンチーム」だそうだが、今それがそのまま拡大されどこに至るのか、その延長線上を考えると危うい感じもするので賛同はしない。どちらかと言えば、三人寄れば文殊の知恵という意味も含めて「スリーチーム」の方が現状にはなじむ、というよりそういうことがさらに必要になってきているということである。

 ラグビーの本来の意味付けとは乖離し、変質拡大しながら大衆操作・誘導に使われやすい流行語ということである。「ワンチーム」という「意識」は、すでに作られた「絆」によってさらに強固なものとなり、やがて国益のためなら戦闘もいとわない一国至上主義の方向に進むことが自然な流れのように感じられるという状態を形作る。為政者にとって、ここまで大衆を誘導すれば、後は大衆の健気な犠牲的精神がすべてを補完し、自動連鎖状態でいともたやすく「一党独裁体制」を保持できるという寸法である。

 しかし、この手の見え透いた詐術に乗せられるようでは、やはり後進国の大衆と変わることはあるまい。今もって、民主主義の理解力は12,3歳程度というのでは、あまりにも悲惨である。

                                                                       2019 12/3ー4

〇今更言うまでもないが、特捜の理念は完全に崩れている。この組織は理念が全うできない以上その存在意義は全くない。その実情は日々目前で繰り返されているとおりであろう。この特捜を作った者は、警句を発していたが、やはりそのとおりになってしまった。

 

〇菅義偉さん、あなたは2012年文芸春秋社から「政治家の覚悟」という本を出している。その中で、「政府は、あらゆる記録を克明に残すのは当然で、議事録は最も基本的な資料です。その作成を怠ったことは国民への背信行為」といっている。その通りで、あなたのこれまでの行為のすべては、国民への背信行為なのです。まさか、「これは、私の書いたことではないので、細かいことまでは記憶にありません」などと答えるのではありますまいな。

                                                                                 2019 12/1

〇今回の「桜を見る会」について、「『桜を見る会』、何が悪いんですか?」などと平然と、それも恥も外聞もなく言う者とは、本当のアホか確信犯以外には在り様がない。さらに、「今、こんな小さなつまらんことに関わっている場合ではなかろう」などと言う、あたかもそれが「正論」であるような物言いをする者も極めて危険な確信犯であると言わざるを得ない。こんな「小さなこと」に対してもとんでもなくデタラメな対応しかできないのである。それが「大きなこと」をやる、無茶苦茶になるのは火を見るより明らかであろう。これは小さなことでも何でもない、本質的なことなのである。早く終わらせたければ、当事者が必要書類を出せばいいだけのことである。野党に矛先を向けるなどはお門違いも甚だしい。このような「事件」を軽く片付けているとすぐに民主主義は崩壊する。

 昨今でも、世界最大級の武器見本市が千葉の幕張メッセで行われていた。世界20か国90社、日本国内から60社が参加、戦車、ミサイルがぎっしり展示されていた。武器商人が揉み手で日本の改憲を既成事実のように喜んでいた。

「抑止力」?、ローマ教皇ではないが「偽善」であろう。「抑止力」、リアルポリティックス上で遣われるこんな言葉ですべてがわかったつもりになっていると戦争屋の思う壺で、明日は我が身が標的ともなり、悪の連鎖は止むことはないということにもなる。笑うのは、常に戦争屋だけ。この際、戦争屋とは具体的にどういうものかフィクサーも含め考えてみるべきであろう。勇ましい、美辞麗句の裏には常にフィクサーと武器産業の関係者が蠢いているのである。

 世界観を持たぬ、命を鵝毛のように扱う者たちと、明快な世界観を持ち続ける、命の尊さを説く人と、どちらを取るか、その先に見えるものはその選択で決定する。

 

                                                                             2019 11/30ー

 後日、「桜を見る会」に来たのは、旅行会社の旗持ちにぞろぞろ付き従うオメデタイ地元民やお追従が命のような幇間みたいな者たちで、自分とは全く人種が違うというようなことを、今流行の斜に構えたスタンスで物言う者がいたが、それなら何もここまでむきになって隠すことはあるまい。要するに大したこともなく、問題になるような人物はいないと言いたいのであろう。お里は、電通出身者、さもありなん。

 

〇「いつの時代にも、このままでは日本はダメになると警告を発する人がいます。彼らのことを『アラーミスト』と呼びますが、これはもう、明治時代から現代に至るまで、ずっと変わりません云々」これは社会学者の竹内洋がある人物について評したことであるが、警告を発する人を「アラーミスト」と呼んだところで何か意味があるのか、何もわかったことにはならないだろう。月をムーンと呼んだからといって月の実態がわからないのと同様である。「いつの時代にもいた警告を発する人」を「アラーミスト」と言い換え、それと「彼」は同様だという話である。この御仁にとっては、「警告を発する人」は、おしなべて「アラーミスト」、すなわち「人騒がせな人、心配性の人」ということに過ぎないのであろう。危機感を持つ者を一括して「アラーミスト」という、オメデタクハナイカ?社会学的視点とはその程度のものか。

                                                                                                                                                                       2019 11/28

〇「トリセツ」、「ラノベ」、「マネドク」etc 一体何のことかと思われるようなケッタイなコトバの山、「殺人」を「ポア」と言い換えたような、実質的に何も変わらないコトバの操作だけのまやかし言語があふれかえっている。総じて、何のことはない陳腐なコンセプトなのである。昨今では人の生き死にを商売にする「稼業」も雨後の竹の子状態で、透けて見えるような安手のコピーを見ることも多くなった。団塊の世代をターゲットにして最後の荒稼ぎというところであろう。しかし、要は、「じじばば」に媚びることもなく、「ガキ」に媚びることもなく毅然として、矜恃を保って生きればいいだけの話。人間到る処青山あり 覚悟の有無にすべてはかかっている。

                                                                                      2019 11/27

〇白を切る 所作も目線も 堂に入り 後に残るは ただガラン堂   ー                                                          2019 11/22ー

 

〇「『冷和』の爺さん」は、何かと言うと「仮定のことは申し上げられない」と言う。「仮定」ではないことまで「仮定」にしてしまうからタチが悪い。これもお決まりの「逃げのフレーズ」文言集の一節であろう。それでは、予算のことをどうやって決めているのか?とつい聞きたくなるが、予算のことばかりではない、仮定のこと、すなわち想定し得ることを考えられない者を無能というのである。

 このような状態が続く限り、令和はいつまでたっても「冷和」であり続ける。すでに氷結は至る所で始まっている。

 

〇長くやってればいいいというものでもなく、継続は善でも力でもないという前代未聞の典型が最近誕生した。長く繰り返されればされるほど、それに巻き込まれて被害を被る周りの者たちが多くなるだけということになっている。これほどまでに「退場」を望まれながら、「椅子」にしがみついている者もいない。最長は最悪、厚顔無恥も空前絶後。総じて、亡者とはすりこぎのような神経しか持ち合わせてはいないものである。あらゆる意味で、やはり後進国であると言わざるを得ない。

                                                                                       2019 11/20

〇最近よく目にする「人生百年時代」とは、まゆつばもの、嘘である。それは人生の本当の意味を見失う虚辞、無意味なそらごとでもある。そのような虚辞を遣うことで、また一儲けをたくらむ者、欺く者たちがいるということに過ぎないだろう。実情は、どのようなことがあろうとも、常に老少不定であるということに変わりはない。

 

〇笑止、笑止、笑止、「どのような論功があったのでしょうか?」、「それは個人情報に関わることなので言えない」、どのような功績があったのかも言えない人々の「ねぎらいの集い」とはどんな集いなのか?これもまた一事が万事なのである。一事が万事という真意は、それが「すべて」で、それ以外にはないということである。したがって、大中小の懸案事項もすべてこの調子、この程度の説明で押し切るということである。要するに、何をやっても、それこそ「話」にならないのである。それでは、どうするか? それはわかりきったこと。

 

〇社会学者らの分析の結果、「ネトウヨ」が意外にも「高学歴」であるという。しかし、彼らの文章、発言をチェックすれば、とても「高学歴」であるというレベルにはない。たとえ、高学歴(大卒程度)であったにしても、その知的レベルは極めて低いと言わざるを得ない。感覚も知性の質に関わってくるもので、その感情を通して知的レベルもその成り立ちも見えてくる。どう隠しても、蓄積されたものが必ず現れるのである。さらに言えば、高学歴であろうとなかろうと、その「根幹部分」が何の検証もされずに放置されたまま育たなかったとすれば、その後の経験則でどのようにこじつけても、内実は「未成熟」なままとなるのは当然である。だから、発信している内容そのものが低劣極まりないのである。

 「虎の威を借る狐」というより、虎の威を借るネズミと言った方がいいだろう、その様相は実に見苦しい。それは、己を直視できない、己自身を知らない者たちともいえる。もはや「虎」の方も、「虎のイメージ」は全くなく、実体を伴わない単なる不気味な異常増殖細胞に近い、その異常増殖細胞の動きに、「餌」のことしか頭にないネズミが安易な同調を繰り返しているから目も当てられないのである。

 

                                                                                  2019 11/17

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