「暗転」とは、事態が悪い方に転ずるという意味ばかりではなく、舞台上で幕を下ろさず、暗くしたまま場面を転換するという意味もある。暗いので当然、観客からはその動きはほとんど見えない。その逆に、「明転」とは、照明をどこかに入れたままでの場面転換で、時間の経過とともに、どのように転換されたかが手に取るようによくわかる。これが舞台ではなく絶対一回性の歴史の中で起こるとどうなるか、「その時」が「暗転」で進行するか、「明転」で展開するかは、大方の人知の枠外である。今回の「統一教会問題」も、「暗転」で事が進行するものと思っていたところに、とんでもない角度から光が差し込み、突然「明転」となってしまったというところである。光はさらに照度を増し、その動きのすべてを国民の前にさらけ出すことになった。その様を舞台上に置きかえれば、馬脚を持って逃げ惑う者、尻を出したまま隠れる者、何を思ったかカツラを持ったまま八艘飛び、中には明かりが弱いとばかりに開き直る者、片隅では、御多分に漏れず、緞帳役者が小芝居を始める。概して、転換期とはこうしたものであろう。
特に、 権力を手中に収めること以外眼中にない者たちの、そのおぞましい姿があまりに露骨で、鮮明過ぎて、裸眼では見ていられない程である。実際、二股膏薬的にいくつものカルトと接点を持った者もいたようで、もはや主義主張など彼らにとってはどうでもいいという具体例でもある。主義主張などは、早変わりの一枚の布、お飾りに過ぎないのである。やはり、蛇の道は蛇、邪道と邪教は相通じるものがあるということであろう。
因みに、国葬は「旧統一教会」に勢いを与えると某大学の宗教部長も言っていたが、その通りであろう。それが国民に対する応答なのである。
実際、様々な問題が具体的に現れているにもかかわらず、統一教会のスポークスマンを「テッシ―」などという愛称で呼んでいるメディアがあるが、その感性、すなわち知性はかなり危うい。
さらに、統一教会は、自民党と国政選挙の際、事実上「政策協定」を結んでいたこともわかった。その「推薦確認書」には、
1.憲法を改正し、安全保障体制を強化する。
1.家庭教育支援法及び青少年健全育成基本法の国会での制定に取り組む
1.『LGBT』問題、同性婚合法化に関しては慎重に扱う
何のことはない、「憲法改正」をこよなく求めていたのは実質的に「反日勢力」である統一教会であったということである。その動きと連動するかのようにナショナリズムなどかなぐり捨てた「反日『右翼』」が陰に陽に動き回っていたということである。その「政策協定」は、さらに家庭、教育問題までにも敷衍されている。当然、その行き着く先というより原型は「教育勅語」である。この「カルト」は、宗教カルトに留まることは決してない。放置すれば、やがて政治・軍事カルトとなり、彼らが今やっていることが全国規模で強制力をもって推し進められることになるということである。その正当化のためにあらゆるフェイク、プロパガンダが金で飼われた者たちによって流布されるだろう。忘却は、冥土の旅の一里塚である。
因みに、米国では統一教会の親族が武器商人をやっているようであるから、後は推して知るべし。当然、トランプとも無関係ではない。
2022 9/15ー10/22