17.私家版「アフォリズム」試論 第1章 その1より 平山勝

○裏表のない人間がもし存在し得るのなら、それは名付けようのないクラインの壺のような形をしているのだろう。とても俗物の踏み込める世界ではない。   ○「彼ら」の言う「自然体」とはどうも「理想」も「理念」も消え失せ… 続きを読む 17.私家版「アフォリズム」試論 第1章 その1より 平山勝

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16. Buscando mi vida (4)     M・Hirayama   

ーその昔、ロルカを朗誦する「怪優」がいたー  その風体たるや西洋乞食そのものであった。巡礼者気取りなのか、単なる自己顕示欲のなせることか、それは舞台衣装のまま往来を歩いているようなものであった。肝心のロルカの朗誦も一本調… 続きを読む 16. Buscando mi vida (4)     M・Hirayama   

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15.大道芸人 ギリヤーク尼ヶ崎のこと 

 毎年来ていたギリヤーク尼ヶ崎からの年賀状もいつ頃からか来なくなった。「ニューヨークに行ってきます。」「パリに行ってきました。」いつもパワフルな文面であった。確か、彼の良き理解者であった弟さんの死の知らせを受け取ったのが… 続きを読む 15.大道芸人 ギリヤーク尼ヶ崎のこと 

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12. Buscando mi vida (2) M・ Hirayama

  どの世界でも半可通ほど喧(かまびす)しい者はない。身の程知らずの「楽しい」集いであろうが、結局得るものは何もないというより、欺瞞的な人生を送りながら「自己」を失うことになるだけであろう。フラメンコの世界ではよく「フラ… 続きを読む 12. Buscando mi vida (2) M・ Hirayama

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15.ー月華独舞ー 2010年6月7日ー6月13日

 橋本ルシアのスペインでも稀な最高レベルのサパティアード(足さばき)と沈黙の舞いが織りなす月下の独舞に、今は亡き偉大なカンタオール(フラメンコ歌手)の歌が寄り添う。その舞台空間に迫る1週間に渡る連続舞台撮影である。(DV… 続きを読む 15.ー月華独舞ー 2010年6月7日ー6月13日

14.ルシアとニーチェ

もし私に信じる神があるとすれば それは踊ることを知っている神である。          <ニーチェ>  このニーチェの言葉は、橋本ルシアがその著書「フラメンコ、この愛しきこころーフラメンコの精髄ー」(2004年刊)のエピ… 続きを読む 14.ルシアとニーチェ

「ある日、その時」 (3) 2010年4月ー

  77.存在しない「街の声」   どれもが例外なくマスメディアにコントロールされた「声」である。それでも本人は「自分」の意見のつもりでいるから何とも恐ろしい現象である。その意見たるやTBS系、日テレ… 続きを読む 「ある日、その時」 (3) 2010年4月ー