映画監督・大島渚には「巨匠」などという名称も勲章も似合わない。やはり彼は闘将であろう。最期は死神に不意打ちをくらい、自由を奪われながらも不本意な戦いを強いられたが、漸く死が彼の全機能を飲み込んだ。自由を奪われた彼はどれだけその時を待ち望んだことであろうか。生と死以外には何もないその狭間で取り留めのないフラッシュバックはどれほど人を戦慄させ、あるときは酔わせるものか。そこでは明解な知性、理性などというものも時空とともに歪められあたかもブラックホールのごとき空間の流れを体感し得ることがある。そこでなされた会話は決して現実的には成立し得ない生と死が重なり合った高密度なものであるが故に生々しい「変形」としか捉えられないものである。今そのようなことを完全に否定しうる明解な根拠を見い出すことはできない。
私の青年期、大島渚はポール・ニザンの「二十歳が美しいなどとは絶対に言わせない」という言葉と共に常に身近にいた。
戦い疲れた闘将は漸く深い眠りについた。また一人全人格的に闘いを挑む者が消えた。
2013 1/19