〇テレビ朝日系のモーニング「ショー」、これも今では単なるショーで、まともにコメントを聞いているとズレて、やがてボケてくる。私はもう全く見なくなったが、先日も、自称ジャーナリストのテレビ朝日の社員が、厚生労働省はコロナワクチンが原因で90歳代の女性が死亡したことを認定したと告げ、現在までにコロナワクチンとの因果関係を認めたのは一例ということで、確率としては極めて低いとコメントした。しかし、これまでにコロナワクチンが原因と思われる死亡は何例もあるが、厚生労働省が認定していないだけなのである。「社会全体としてはワクチンを進めていくことが正しいと思う」ということを一介のテレビ朝日の社員(玉川徹)に言わせている厚労省の「姿勢」が危ういと思っている。もし、それが正しいと思うのなら、ワクチン接種を任意ではなく、強制にして保障すればいいだけのことである。なぜ、そうしないのか?テレビなどで、ショーの体裁で無責任な「空気」作りばかりでは、実質的には大本営発表の旗振りということになり、その存在意義はないと言うよりむしろ害になる。そう言えば、もともと朝日の社旗も旭日旗に似ていたか。
2022 7/28
後日、福島雅典京都大学名誉教授が厚労省を相手取り今までの怒りをぶつけていたが、当然のことであろう。御用学者を曲学阿世の徒と罵り、厚労省の組織的非を責め立てていた。すべてその通りである。因みに、ワクチン接種率は医者20%、国会議員15%、厚労省10%、国民79.7%(50%)(2022 12/4)
〇「左翼」?「右翼」?いつまで亡霊のようなコンセプトにしがみついているのか。もはや、そのようなものは存在しない。今や、カルトか、カルトではないか、それが問題なのである。聖書、仏典、哲理に従うのではなく、人間の指導者を拝め、偶像視することがカルトの大きな特徴をなしていると見るならば、現状は、内外問わずカルト世界と反カルト世界に大別できる。カルト世界とは、やがて衰退を余儀なくされる全体主義世界そのもので、反カルト世界とは完成することのない民主主義世界でもある。
※補注:ここで遣われている「反カルト」とは、言うまでもなく、「カルトではない」すなわち、「非カルト」ということである。未来永劫「完成」することのない常に検証を余儀なくされる民主主義を受けいれることでしか、「カルト化」は防げないということでもある。
2022 7/23
追記:後日、まったく違う文脈ではあったが、「反カルトもカルト」などというものもあったので一言付け加えると、それは、反カルトを正義の御旗にしてしまうことに対する危うさを言っているのであろうと思われるが、「反ナチスもナチス」と言っているに等しい短絡的な概念規定でもある。しかし、その短絡的概念規定もロシアなどの全体主義国家には「当てはまる」から厄介なのである。
2022 8/4
〇ついこの間まで、息をするように嘘を吐き、ようやく息をしている者たちを散々見捨ててきた御仁が、いつの間にか美化され「神格化」されていると聞けば、悪い冗談だろという気にもなるのが普通で、もっともらしく頷いているのはカルトの信者かその周辺の利害関係者だけであろう。しかし、この種のカルト的思考回路が一般化すれば、ジョージ・オーウェルの「1984年」の世界も目と鼻の先である。
あらゆる『真実』は、同等の価値を持たされた正反対の『情報』によって即座に去勢される。
そして、 伝えられることが、真実でないと知りながらも、どこかでそれが真実であってほしいと思う希望的観測から一歩も踏み出せないまま、やがてフリーズして解体される。そのようなことで誰が一番利するのか?それは、言うまでもなく、息をするように嘘をつく者たちである。これからますます必要になることは、孤立を恐れず、自分の感じたこと、考えていることを大切にして、怪しげな作られた「渦」に巻き込まれないことである。
2022 7/17
〇カルトを通せば、金の流れは不鮮明になる。それ以外にも、税金の使途不明金も多い。しかし、それにもかかわらず金の流れは手に取るようにわかる。それはその言動である。そして、すべては再確認、案の定で、意外な人物は一人もいない。立ち位置を公衆の面前に晒さざるを得なくなるということである。これも因果応報。すべては、現前に惜しげもなく示されているのである。しかし、出るわ出るわ・・・もはや隠しようがあるまい。隠ぺい、改ざん、ねつ造の「プロ」のお手並み拝見。
しかし、自国の民は放置して、諸外国に税金を湯水のごとく使い、単なる「社交辞令」程度のことを「世界から称賛」とは、恐れ入り谷の鬼子母神、鬼子母神ものけぞっている。このような所業を正当化するためにつかわれる陳腐な常套句「目先の卑小なことより、ものごとは大局的見なければならない」。重要な事柄がどれだけ「目先の卑小なこと」として葬り去られているか考えるべきであろう。
2022 7/14
〇盛者必衰の理、驕る者久しからずの類も、因果応報の範疇にあるだろう。
2022 7/9
〇日本が民主主義だという「思い込み」は常に検証されてしかるべきである。日本を優しく「優しい独裁国家」であると指摘した哲学者もいたが、私は「しだらなき独裁国家」であると思っている。したがって、「権威主義対民主主義」などという構図の中で、日本は実質的に二股膏薬的存在でしかないのである。一見民主主義的「正義」を守るという行為も、やがて愛国心の高揚に収れんされ、権威主義国家観、すなわち全体主義的国家観に吸収されていくという歴史的土壌がすでにあるから尚更である。さらにそのような動きを一層強固にするように、政権与党は常に二つのカルト集団、いくつかの別動隊組織、遊撃的組織を持ち、いくつかの大企業とは持ちつ持たれつの関係にある。そのようなことも危険因子としてある。つい先ごろも、消費税と法人税について聞かれると、「公共の電波をつかってデタラメを言わないでほしい」と開き直ってデタラメを言う者がいたが、これも一事が万事で、自己暴露と同時に自己証明でもある。特殊詐欺と何ら変わるところがない。「おとなしい住民と無能な行政の間には、悪徳業者がはびこる」と土石流で家族を失った者が言っていたが、そのとおりであろう。
話を戻すと、要するに、一党独裁の全体主義国家と近似の志向性を持つ国が「権威主義対民主主義」の枠組みでどのように収まるのか?最近では、中国ですら自国を民主主義などと言いだしている。「権威主義対民主主義」の枠の中で、日本と中国がいつの間にか入れ替わっていないことを望む。もちろん、欧米諸国の問題点も山積しているのは、否定しようのない事実。
2022 7/7
〇選挙公報が届けられたが、聞いたこともないような党の空疎な言葉が溢れていた。その量の多さに呆れ返る。もちろん、すでに周知の、見え透いた嘘を言い続ける政党も性懲りもなく耳障りなものは一切消して、粉飾味付けデコレーションである。見る者が見れば、その真贋は一目瞭然であろうが、これは明らかに票の分散が狙いであろう。そして、それを目論み、それで得られるものが多いところとは、どこか? 新聞の全紙面を買い取って出す程の金額であるが、これもまた税金である。
しかし、どの面下げて出てくるのかと思われるような、その臆面のなさにはいつも驚かされる。これも「無名より悪名」とばかりに所かまわず顔を出す拝金教のカルト的「勝ち組」信者が増えたせいもあろう。また、根も葉もないことでも言った者勝ちとばかりに、したり顔で言い放ち「印象操作」をするプロのプロパガンダ(情報操作、世論誘導)も実に多い。
さらに、付け加えれば、「無名より悪名」とは、言ってみれば、己の中の「悪魔」を何の葛藤もなく「健全」に育てているということである。これこそまさに人間失格者で、人間の境涯にはいない者と見るべきである。まともに接していると食い尽くされる。
2022 7/2
〇原発マネーが裏でどのように流れているか、さりげなく原発再稼働を唱える者たちの動きを見れば、よくわかる。そして、消費税が社会保障に回っているがごときの「印象操作」「詐術」についてもよくわかる。もし、万が一そうでないというのならきちんと説明、証明すべきであろう。この手の者たちが防衛費アップに特に熱心であるが、彼らに任せてその気になっていると、「現場」には補強されたはずの「もの」がまったくなく、「戦い」ようがないということにもなりかねない。しかし、これもまた一事が万事なのである。それでも騙されるか?恐怖を煽り、「奇」望を掲げ、今の足元を忘れさせ、一歩「前」(?)に進むことを強いられる。さらに、無暗と飛ぼうすればどうなるか、わかりきったこと。
こぎれいに抽象化されたスローガンには何もないと見るべきであろう。
2022 6/30
〇今日、百葉箱の温度(天気予報)は、34度だったらしい。我が家の玄関先の直射日光の当たらぬところにある温度計は37~38.5~39度を指し示していた。どちらを信用するか、当然我が家の温度計である。かなり危険な温度である。
2022 6/25
〇杉並区長選、象徴的であった。これでいいのだ。
❍弱者切り捨て、差別意識の高揚に微に入り細にわたり貢献、原発再稼働に反対する者たちに対する恫喝的行為等々、論っていたら際限もない前都知事の「都民葬」の話も出ているというから驚く。その意図は見え透いているが、改めて、税金を使ってまで祭り上げる意図とは? 彼の言動を「歯に衣を着せぬ」とか「❍❍節」ということで済ませてしまう風潮は悪しき風潮としか言いようがないが、それは許されざる「甘え」でしかないのである。
ふと、終生のボンボン作家、という言葉が通り過ぎる。己を何者かであるがごとくに勘違いした者の成れの果てであろうか。同調して、その気になっているとさらに悪くなるしか道はない。
2022 6/21ー23
〇「所得倍増」が、いつの間にか「資産倍増」となり投資の勧めである。投資などド素人がやってうまくいくはずもない。すなわち、これは詐欺師の典型的な手法と変わるところがない。また、ウクライナ情勢に便乗した防衛費の上昇、これも防衛費として遣われる内容が重要であるにも関わらず、米国の要求通りの必要もないものまでの爆買いの結果では話にならない。それによって、また「仲介業者」に膨大な額の税金が流れるのであろう。ウオーゲームの大好きなオッサンのようなオタッキーな講釈はすべて聞くだけ無駄である。総じて、オメデタイのである。あくまで専守防衛に則った内容となるべきである。
因みに、詐欺師は、例外なく人受けがよく、人をだますようなこと、悪事を働くようには見えないものである。それは、巷、「お上」を問わず変わるところがない。
2022 6/19
〇「しばらく」という時間の観念は人さまざまである。
娘盛りを、マスクで過ごし、今じゃスマホが私の心 などと歌いたくなるような人々が、娘に限らず老若男女問わず街には溢れている。そこには奪われた時間に対する恨み節はどこにもない。中には、耳にはイヤホーン、口にはマスク、手にはスマホの出で立ちで大きな声で独り言のような会話をしている者もいる。彼らにとって周囲は、静止する風景か動く風景かの違いしかないようである。画面に出てくる絵と音声がすべてで、まったく付け入る隙がない。もはや、スマホはもちろん、マスクさえも手放せなくなっているのではないかと思われる。それは外部との遮断と、顔を見られないで済むという安堵感が常態化してしまったためなのであろうか。ただ、それは人との交流を断ち切れる程の覚悟のレベルにはなく、飽くまでご都合主義のレベルである。見たければ見る、見たくなければ見ないということである。それは見なくてはいけないことも見ないことを意味する。すなわち、現実直視をオートマチックに回避する回路を埋め込まれてしまったということでもある。これは、それこそ「ヤバイ」ことである。遠隔操作された目のない昆虫が歩いているようなものである。
2022 6/16
〇今日、かみさんに、「しばらく黙っとれ!」と言われたので、しばらく黙っとることにした。あしからず。
2022 6/13
〇エンゼルスのジョー・マドン監督は、解任直後「ショウヘイは、打つよ」と言っていたが、その通りになっている。「よく見ている」者とはこうしたものであろう。何でもそうだが、現象面だけに振り回されていれば、やがて過剰反応、度が過ぎれば的確な判断から乖離するばかりである。
以前、大谷翔平について、走り込みが足りないなどとしたり顔で言っていた日本の野球評論家がいたが、もはやどこにも出る幕はあるまい。
2022 6/11
〇「一億総株主」とは、狂気、笑止の沙汰。「一億総白痴化」の「成果」なのであろうか、「一億総活躍」を経てここまでくると、いよいよ次はむしり取られた挙句に「一億総懺悔」であろうか。しかし、執拗に繰り返される手を変え品を変えての陳腐な詐術、どうしてわからないのかと思われるが、如何せん欲深の上にせこいからすぐに足をすくわれる。知らぬが仏、知らば鬼、 されど鬼となるのも辛く、知らぬ存ぜぬで通す仏の顔も三度だが、三度目あたりはもはや三途の川で浮き沈み。
2022 6/8
〇酒がまずくなるので、サントリーはすべて廃棄処分した。DHC然り、見ざる聞かざる買わざるの対象企業である。また不買対象企業が増えた。頭が腐ればどうなるか、多くを語る必要もあるまい。悪因悪果、企業倫理のイロハも知らないでよくヘッドが務まるものである。腐れ亡者の成れの果てか。
2022 6/5
〇お笑い芸人たちの顔を見ていると、今までにないリアルな「仁義なき戦い」という映画が撮れるのではないかと思われる。「笑っている内に」寝首をかかれないことを祈る。これは笑えない。
〇どこからともなく、任侠の徒、飛車角が現れて、「古い奴だとお思いでしょうが、古い奴ほど新しいものを欲しがるもんでございます。どこに新しいものがございましょう。今の世の中、右も左も真っ暗闇じゃござんせんか。」
「何から何まで 真っ暗闇よ すじの通らぬことばかり 右を向いても 左を見ても ばかと阿呆の からみあい どこに男の夢がある・・・」。男の夢どころか、人の道があるかどうかである。しかし、日陰者にしかまっとうなことが言えないようでは、やはり世も末の末である。究極の末とは、「転換期」と言うことを意味する以外意味はない。
2022 6/4
〇時折、電車の中で見られる、宣伝広告。その時は、仕事について書かれた本のことだったが、「一流のプロ365人が贈る」とあり、その中には「人の二倍は働こう」、「脳みそがちぎれるほど考えろ」、「プロはミスしてはいけない。プロは自分のことを、人間だなんておもちゃいけないんです」等々。敢えて、名前は出さないが、「一流のプロ」などと称される者たちが言い得ることなどは、所詮この程度のものなのであろう。彼らは自らの行為をやはり的確に捉え切れていない。だから、その総体を見るとひどく貧弱なものになってしまうのであろう。単なる、功名心、権力欲、金銭欲に突き動かされているのが丸見えなのである。そういう意味では、やはり超一流でないとダメということになるが、超一流のレベルでは「プロ」などという言葉は蛇足に過ぎない。この程度の本は、飽くまで「経営者」などが書いた不平不満も言わない「労働者育成の書」というところが限度。それは、そのまま「兵隊育成の書」としても使える代物である。しかし、古今東西、もっとましな意味深淵な言葉はいくらでもあるだろう。あまりのチンケさに情けなくなってくる。これではだめだと思いつつ駅に降り立つと、「バカ踊り」の曲が流れてきた。
2022 6/1
〇沖縄の玉城デ二―知事が、米軍基地問題に関する有識者会議で自らを「ゼレンスキーです」と挨拶、直後に「冗談です」と打ち消したことについて、ここぞとばかりの叩きようには呆れ返るしかない。総じて、叩いている者たちは、ウクライナ情勢についても、沖縄のこれまでの苦渋に満ちた経緯についても「わがこと」として考えたことなどないと思われる者たちである。その浅薄な思考などもよくみえる。そもそも、今、こんなことを、こんな風に取り上げている場合なのか?何のために?
2022 5/29
〇「平和ボケ」、この言葉をよく遣う者たちは要注意で、危険である。ほとんどは平和の意味すらわかっていない者たちである。平和の意味がわかっていないということは、戦争がいかなるものかもわかっていないのである。「平和ボケ」、「お花畑」などと「平和主義者」を侮る者たち、一人として実戦体験者はいない。要するに、自らが平和ボケしたお花畑のど真ん中いることも忘れ、口だけ勇者になっているということである。こういうのに限っていざとなると逃避の算段で頭がいっぱいとなるものである。
2022 5/27
〇かなり前から、流されている情報から価値を見出せるものはほとんどなくなっている。大方が、自らの言説の再確認と「案の定」というようなことばかりだからである。そればかりか、私の見解の方が「先を行っている」ことの方が多いということもその原因の一つである。「今頃こんなことを言っている」、「わかり切っていることを繰り返しているだけ」等々。これは、単に「アンテナ」の高さの問題でも数の問題でもない。
2022 5/26
〇一頃、「情報弱者」などという造語があったが、IT産業の営業戦略用語、かと思われた。実際、猫も杓子も「情報弱者」などになるものかとばかりにスマホに係りっきりである。その割には、情報は飽和状態で、何が重要で何がそうではないのかさえ判別がつかない者が多いように思われる。作り出された情報過多が判別不能に陥らせるのも、一種の情報統制である。そもそも「情報弱者」などという造語は、社会的弱者を意味する以外には敷衍のしようがないもの、すなわち実態を不鮮明にさせる無意味な置き換えに過ぎない。社会的弱者の領域内にいる者たちが、「勝ち組」の切符を手にしたかの如く持ち歩いているのがスマホでもある。仕掛けられた「情報弱者」にはなりたくないという心理作戦は見事に当たったわけである。ある者はゲームに、またある者はSNSに、それはまるで「シャブ漬け」状態である。それで一手に儲けている者がいるということである。そう、これが資本主義経済の「詰まるところ」の話に過ぎないということである。当の本人は自分が「シャブ漬け」状態であることもまったくわかっていない。「情報戦」、それに乗せられた者たちの無残な様相は日々目にすることでもある。
情報など、全くなくても見事に生きられることを知るべきである。
2022 5/20
〇戦場とは、「やるかやられるか、ただ単にそれだけである」、それが正直なところであろう。しかし、ウクライナの惨状は、直接的な戦闘の実情を遥かに超えて陰惨である。殺戮は言うに及ばず、拷問、レイプ、強奪は日常茶飯事、悪行の限りを尽くし、果ては強奪したものを輸出までしようとする。これでは単なる野盗の集団と変わりあるまい。これが内政干渉にもなるような「ネオナチ退治」とは鬼も笑う話である。
おやめなさいよ 阿漕なまねは などとつい言いたくなると
言って聞かせて そのあとに 涙忍んで さかさ斬り である
おやめなさいよ 罪なこと 情け知らずの さげすみを
花を散らして みだれ斬り というところまでくると無限ルフラン
2022 5/13
〇またぞろでてきた「悪いのはプーチンだけなのか」、最近の米国タイムス誌のインタビューでのダ・シルバ元ブラジル大統領が言っていることとして「プーチンはウクライナに侵入するべきではなかった。しかし、罪を犯しているのはプーチンだけではない。米国とEUも有罪だ。ウクライナの侵略の理由は何だったか。NATOであろう。云々」さらに、「米欧は、『ウクライナはNATOに加盟しない』と言うべきで、それで問題は解決しただろう」などといともたやすく言ってのける。実にオメデタイ。やはり、ブラジルでしか大統領は務まるまい。「ゼレンスキーはプーチンと同じくらい戦争の責任がある」などと言わざるを得ないものとは何か?ダ・シルバの見解は、現実を見ているようで見ていない。パラダイムシフトを要求している現実が見えていないともいえる。彼の言葉は、辛辣でも「事実」を突いているともとても思えない。言ってみれば、陳腐なのである。また、日本が、ゼレンスキーの意図するものと似ても似つかないものを重ね合わせることでますます、ジョージ・オーウェルんの「1984年」の世界に近づくことも極めて危険である。オーウェルの「1984年」の世界は、ロシア世界そのものでもある。(富裕階層としか接点のないものにはそれすら見えないだろうが)それは、どちらにしても否定さるべき世界なのである。ウクライナ支援を掲げている日本の志向性は、実のところ、ロシアに限りなく近いということである。
2022 5/12
〇名も知らぬ有名らしい作家、少し気になることがあって、調べてみると、こんなにも賞があるものかと思うほど文学賞を取っている。芥川賞を始め様々な賞を取っている作家のようだが、今後も読むことはあるまい。読みたい本はいくらでもあるからである。最近では、賞の選考委員さえ知らないことの方が多く、見も知らない者の選評を頼りとすることもどうかと思われるので、ますます遠ざかってしまった。選評の中には、「よくまとまっている」、「最後まで飽きさせず読ませる技量がある」、「生き生きと描けている」等々。言うことも尽きたのか、何やら「綴り方教室」の総評のような選評が多い。
太宰治から村上春樹まで芥川賞とは無縁の作家が「作家である」と思われることに何の不思議もない。
2022 5/1
〇自己欺瞞の「塊」でしかない「人間」が、人間一般について「多様性」を求め、様々な「見解」を排除せず認めるべきだという。いかにもごもっともな「見解」のようにみえるが、果たして、そうであろうか?それは、至上命令(定言命法)として措定すべき「汝殺すなかれ」、「虚言を吐くなかれ」というものとの葛藤すらない、何でもありという解放的「解体人間」を必然的に創り出すことにもなろう。実際、その実例は「上」から「下」まで枚挙にいとまがない。放置すれば、自己欺瞞を増殖させた「人間」の残滓だけが勝手なことを言っているということになる。「根源的」なことも押さえず、ただ、「多様性」重視ということで「様々な見解」を「容認」するだけでは展開も、深化もあり得ない。侵略戦争は悪だと言うことが「できない」ような大学は必要ないということに対して、侵略戦争は悪だという人ばかりの大学も必要ないということ、事実誤認デマは正す必要があるが「議論の多様性」まで排除してはならないという。もっともな話ではるが、しかし、排除する必要はないが対峙、批判する必要はあろう。侵略戦争は「善」だという人ばかりの大学とは、一体どのような大学なのであろうか?少なくとも、大学である必要はあるまい。
2022 4/30
〇ウクライナの虐殺はでっち上げというロシア側の見解は虚偽であることが具体的に証明された。(報道特集) その後、4/23にはオデーサもミサイル攻撃を受けた。オデーサ州知事は「ロシアを一生許さない。復讐する。地獄に落ちるだけでは許さない」と言ったそうだ。すでに至る所で、憎悪の「核分裂」は起きている。ウクライナ全土で始まっている、プーチンの「新帝政ロシア」の独裁権力、すなわち「Z」の暴挙に対する怒りの「核分裂反応」は全世界に伝播していく。もはや止めようとしても止めることはできないだろう。行き着く所まで行くしかないと思われる。そういう意味では、第三次世界大戦はもう始まっているのである。たとえ、この戦いが終わったとしても、その刻み込まれた憎しみと怒りが静まることはない。それは、物理的にも精神的にも大きく裂けて埋め戻すことのできない亀裂となって永遠に残る。
※「報道特集」:身を挺しての調査報道、唯一「報道」の名に値する番組である。ジャーナリストとはいかなるものか身を以て示している。
2022 4/24
〇ひねもす、マーケティング、マーケティングリサーチ、株価の動向に身も心もすり減らしている者たち。その様、亡者の足跡を見ているようで、血の気が失せてくる。人生は、実のところやり直しはきかない。振り回されたとか、振り回したとかは無関係に、それに費やしてしまった時間はもはや決して戻ってこない。そして、いくらそうではないと言ってみても、その費やされた時間の蓄積以外に「自分」は存在しないのである。それは映し出された映像などからもわかる。「よく見れば」、その人間の人品骨柄は一目瞭然で、隠しようもなくすべてが現れているものである。さらに発話後、1分以内にそれは確定すると言ってもよい。隠し通せると思っている方も、見えない方もオメデタイのである。オメデタイ者同士では、三文猿芝居を続けるしかあるまい。
2022 4/23
〇「パワーバランス」がどうのこうの、「ウクライナが核を保有していたらこうはならなかった」などと、しかつめらしく言う者がまだいるが、呆れるばかりである。「パワーバランス」が必要などと周辺国(例えば北朝鮮など)に合わせていたら、たちまち軍事国家にならざるを得まい。この狭い日本の国土にミサイル基地が林立。分け入っても分け入っても、ミサイルの頭なんてことになりかねない。また、ウクライナが核を保有していても、していなくとも同じこと、ロシアはそんなことは意に介さず「歴史的必然」とばかり、侵攻したのである。実質的に核は使えないからである。現在までの惨状を見てもすでに核使用と同じような状態となっている。よもやここまでくるとは思っていなかったであろうが、軍事政治力学にしか意識のいかない、反知性のファシストに過ぎない者の限界でもある。「Z」に象徴される「新しいイデオロギーと国民意識の象徴」、米国のシンクタンクのメンバーが言うように、「プーチンは、完全なファシストに近づいている」のである。以前にも言ったとおり、現在、共産主義国などは存在せず、そのすべては単なる全体主義的独裁国家なのである。ファシズム化した独裁者に合理的な思考は存在しない、その実態は、煎じ詰めれば、極度に感情的な阿漕(アコギ)でしかないということになる。そもそも世襲制の共産主義国家なるものがあり得るのかということでもある。ロシアのウクライナ侵略、これは今世紀最大の人類の汚辱で、人類が絶滅危惧種であることの証明の一端が垣間見えるのである。プーチンのことを「早く消えてくれ」と言ったロシアの作家がいたが、それが全世界の大方の見解であろう。さもなくば、人類が消えることにもなり兼ねない事態に発展し得るということである。
それにしても、ファシストが他国内のネオナチ退治とは、そういえば、どこかのファシストも「君と僕は同じ未来を見ている」などと三文台詞を嘯いていたが、どうしたものか・・・裏切られたファシストが今度はファシスト退治で攻め寄せるか?
2022 4/21
〇ロシアの最重要艦船の一つ「モスクワ」が黒海で沈没。ロシアは火災が発生したためと主張しているそうだ。おそらく、この艦船は木材で作られていたのであろう。記念日を目前にして「モスクワ」が黒海で沈没、縁起でもない。さてさてどのように取り繕うか? また一方では 何かといえば核配備で隣国を脅す見上げた心意気、気違いに刃物とはよくいったものである。要するに、支配する領土が大き過ぎるからこういうことになるのである。そんなに一人で頑張らなくていいから領土を縮小するか、均等割にすべき。いっそのこと、ロシアはモスクワ周辺だけということにしたら、そうすれば、自他ともにもっと楽になると思う。これは中国、米国についても同様。どちらにしても阿漕は醜悪。是にはなり得ぬ。
今後、大国は細分化されるのが必定。「天下統一」など考える痴れ者が現れないことの方が万人のためである。百花繚乱、「できれば」それがいいのである。無理にまとめて何かある?共通言語はそれぞれの国でその歴史を踏まえいくつか設定しておくのがさらに良いと思われる。
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〇某タブロイド紙で、バイデンのロシアに対する問題発言について取り上げ、「市井のオッサンじゃあるまい、大統領が公の場でオダを上げ、云々」、市井のオッサンたちで辛うじて成り立っているようなタブロイド紙がそのオッサンたちを軽んずる発言。現在進行形の戦禍に、「精査中で、その結果次第で判断する」などといつまでも繰り返しているよりは、まだ臨場感はあるが、相手を必要以上に刺激しない方がいいということもある。とは言え、この相手に今どのようなことを言ったにしても、この期に及んでは同じである。むしろ、何を言っても格好の脅しの手段に使われるくらいである。知性のない阿漕の「合理性」とは、「理」を拠り所としたものではなく、飽くまで「欲望」を基準としたものに過ぎない。どこに行くにも核弾頭ミサイル発射セットのバックを持たせてビクついているのが実情なのである。何をするかわからないというのが唯一の強味でもあると思っているはず。こうなると、核装備していようがしていないだろうが無関係。しかし、いつかこうなることはわかり切っていたことである。
2022 4/17
〇東大の入学式を見ていても、日本の大方の行く末は見える。「然も言われたり」という箇所は一か所もない。況や、他の大学などでは推して知るべし。ただただ個々の奮闘を期するしかあるまい。
2022 4/14
〇ロシアも領土が大き過ぎる。これで、またさらに領土を拡げる?どのような講釈を垂れても阿漕そのものである。それが独裁者ともなれば尚更である。この際、大き過ぎる領土は均等割りにした方がいい。中国も然り、アメリカも大国という意味ではそうである。そうでなければ、共存の道を模索するしかあるまい。「欲に頂なし」というのは、古今東西の真実。「欲の熊鷹股を裂く」というたとえもある。股が裂かれる前に手を打つべき、続行すれば裂かれるのは必定。どちらにしてもこんなことをしていてはお互いのためにならないのは真実なのである。
2022 4/13
〇ウクライナでの虐殺は「自作自演のでっち上げ」と言う駐日ロシア大使・ガルージン。時系列的に映し出された衛星写真、各国のジャーナリストが目撃、確認して提出されているものがあるにも関わらずこれである。「そうした事実がないとどうしてわかるんですか?」と金平キャスター(報道特集)が聞くと、ガルージンは「それはロシア軍の発表だから」と答えている。呆れ返ってものも言えないが、終始それは事実ではない、それはあなた方の解釈で実際はそんなことはないという姿勢であった。「推定無罪」などという言葉まで遣って(明らかに誤用)、責任回避、正当化の繰り返しをしている。あらゆる視点からの目撃者もあり、衛星写真に撮られていてもこれなのである。DNA鑑定で黒とでても、白を切る悪質な犯罪者と同一であろう。しかし、馬淵にしても、ガルージンにしても、大使とはこの程度のレベルだということを自ら証明したようなものである。何をやっているのか?何を見ているのか?と言いたくもなる。
馬淵!、ガルージン!言ったことすべて Prove it!
それが、あなた方の責任。
2022 4/10
〇現在、プーチンのロシアに対する世論の怒りは頂点に達しているようであるが、一方では「プーチンさんは悪くない、ウクライナの大統領はDS(ディープステート=世界を操る影の政府)の操り人形」などということがまことしやかに流されているようだ。一般的に「陰謀論者」と称されている「DS信奉者」、DS教の狂信者といってもいいような集団であるが、彼らには現実そのものが永遠に回避されていて決して見えない、見ようともしないのである。論証不可能なものを信じ込んでいて、そこに現にあるものさえ見えないということである。さらには決して「善」をなしようがないカルト的世界観に染まっていることなども、危険因子は多過ぎる。日本でのこのようなDS信者の流布には、元駐ウクライナ兼モルドバ大使の馬淵睦夫の「東ウクライナで、ロシア人を虐殺しているっていうのが、ウクライナ危機の真実なんです」などという趣旨の発言をした動画が一役買っているらしい。実際、DS信者のほとんどがこの動画を引用しているという。どうして、馬淵自身にそれが真実といえるのか?その根拠は?証拠は?と問いたださないのかまったく不可解ではあるが、それがDS信者の信者たる所以なのかもしれない。しかし、彼らもまた現実が見えていない分、充分危険なのである。
2022 4/7
〇ウクライナの報道ニュースを見ていても、肝心な映像はボカシがかかっている。残酷、不快感などの理由でボカシをかけているというが、周囲の状況もわからなくなるような大きなボカシである。それでは真実を伝えるということからは遠ざかる。これでは、何もかもボカシのかかった思考回路しか形成されまい。要するに、現実直視のできない、ものを見る眼のない人間を作っているのである。今、今世紀最大の大うつけが見せつけている愚行をじっくり見つめて自らの思考を鍛え直すべき時なのである。先ずは、それがウクライナで倒れて行ったすべての人に対する礼儀でもあろう。
2022 4/4
〇案の定、「現行犯」の個人史の「お広め」が始まっている。これでは昨今のサイコパスブームに乗って、うつけ者が、無名より悪名と思うのも当然であろう。「怪物プーチン」は、「ロシア特有の『コネ社会』から生まれた」等々。これは何もロシアに限らない。日本特有のコネ社会からもいつでもこの種のバケモノは出てくる。現に、出てきていたし、小粒な者ならいくらでもいる。今後も隙あらば、復活巨大化する危険性は充分あるということである。
2022 3/31
〇全世界の人々が、今世紀最大の大うつけが意地で支える大層らしいちんけな夢に、意識するしないにかかわらず、大なり小なり巻き込まれているのである。このような独裁者にとって、人の命などは、実のところ大地の肥やし程度くらいなものに過ぎない。今後、独裁者、あるいは独裁的政権を誕生させないために各自の「意識的な行為」がますます重要になってくるということである。同時に、核抑止力などということが、いかにおめでたく、きれいごとであったかということを思い知らされることにもなり兼ねない事態であることも忘れないことである。
今、現在なお継続中の「現行犯」の「犯行」に至るまでの経緯(歴史)解釈などしている場合ではないだろう。どのようにこの「犯行」(侵略)を早く停止させるかが最優先である。
ロシア国内の、正確な情報を伝えられていない人々の反応をみていると、他人事ではなく、世界は笑いの内に幕を下ろすだろうと言った者のことが浮かび上がる。
因みに、プーチンとABEは現在もなお実質的に相似であり、ゼレンスキーとは似ても似つかぬ異質なものであることを明確にしておくべきである。
さらに言えば、ウクライナの惨状を憲法改変のまたとない口実に仕立て上げようとしている動きもある。天皇を元首として祭り上げ、それを利用して独裁政権を築こうとする時代錯誤も甚だしい状態に持って行こうとしているのである。放置すれば、また独裁者の誕生である。ウクライナの事態を恐れるあまり、ロシアのようなことを志向しているのでは話にならない。近隣諸国に対抗するために軍備拡張をして、もし極東の最強の軍事国家となるまでそれが続けられるとしたらどうなるか?少しでも知能のあるものならそれによる様々な弊害を具体的に提示できるであろう。独裁者とは、例外なく知性に欠ける者たちで、それに付き従う者たちもまた例外なく未成熟な欠陥者に取り囲まれて、何が起こるか常に予断を許さないものとなる。要するに、全体主義国家には、知性は存在しないのである。
2022 3/27 + 4/7
〇「事実は存在しない。あるのは解釈である。」と聞いた風なことをプーチンの側近とやらが言っていたが、これなども殺人の現行犯が事実は存在しない、そういう解釈もあるだろうと言っているようなもので笑止千万、噴飯ものである。もはや人間崩壊、人間の体をなしていないことの証でしかない。日本でも、実際にこの近似例が数多くあった。一つの事実も一つの解釈に過ぎず、解釈次第でどうにでもなるという「世界観」は、構造主義の方法論的手法の悪しき援用、それをさらに敷衍してしまった誤謬推理のようなもので、人間の根幹を揺るがす許しがたい詭弁的世界観を構築してしまった。これでは歴史などはどのようにもねつ造糊塗されてしまうであろう。ただし、ウクライナで起こっていることは「事実」ではない「解釈」の問題であると言った者の言説も「事実」ではなく一つの「解釈」だということになるのである。こういう状況では大量のフェイクが流される。流す必要あるものは、「現行犯」もしくは「現行犯」側であることは言うまでもないこと。要するに存在論的な在り様からも割り出せるのである。
2022 3/20
〇錆びついたアンテナで、何もかもマーケティングリサーチの類に依拠してやっているようではすべてはそれまで。また、そこから派生した言語で括る作業も現状分析とは程遠く、展開の余地もなく、やがてことごとく裏切られるだろう。
さらに付け加えれば、「その結果」(?)、若者に媚びるような姿勢は逆効果で、番組製作に絞れば予算が取れなくなっているというのが実情であろう。
2022 3/17+
〇第二次大戦中、日本でも、「軍事について、素人が口出しするな」と豪語していた軍人が、戦局が怪しくなると見るも無残な情けない精神状態となったそうだが、要するに、「現実」が見えていないのである。今でも、時折この手の御仁が、平和主義的なことを言う人々に対して「きれいごとを言うな、戦争は力と力ぶつかり、軍備拡張、核抑止力は必要」などと得意げに言う。言って置くが、核抑止などということ自体が、「きれいごと」なのである。どこかに狂人がでればすぐにそんなパワーバランスは崩れる。そして、勝者も敗者も存在しない復興など決してあり得ぬ目も当てられぬ最終結果だけが残されるのである。
2022 3/16
〇ロシアの女スパイが「ウクライナは自国を爆破をしている」と言ったそうだが、これなどもfakerがフェイクを垂れ流し、恥知らずが「恥知らず」を連発する典型であろう。あろうことか、「ロシアが爆撃している証拠を見せろ」などと言うに至っては、現行犯が証拠をみせろといっているようなものである。日本でもこの手の事例は多かったが、案の定、プーチン派のこの女スパイはトランプともつながっていたようである。もっとも、どこのスパイかわかっている者に「表舞台」で聞く方も聞く方である。スパイ行為が発覚した時点で「当局は一切関知しない」というのは昔のことで、最近のスパイは裏も表も関係なく、裏で使い古され面が割れれば、表に出てきて「表工作」ということだけのことなのかもしれない。
2022 3/11
〇ロシアではアノニマスの活動が水を得た魚のように活発である。やはりあの仮面を見ると2005年製作の映画「Vフォー・ヴェンデッタ」を思い出す。いい女優だなと思ったナタリー・ポートマンのことなども思い出し、改めて活性化させられる思いがする反面、ウクライナの惨状は現在進行形でどこまで行くかというところである。今世紀最大の大うつけが付けてしまった底知れぬ汚点の影響は測り知れないものがある。この大うつけの頭の中では到底わかり得ないものである。
日本で、昨今一段と蔓延している安っぽいニヒリズムなどは、マインドコントロールされた結果でしかないということ。すなわち、飼い殺しをするのに丁度いい精神状態にさせられているということに過ぎないのである。それは、独裁者にとっても都合のいい人間の一種だということである。さらに言えば、阿Qでしかないのである。
2022 3/8
〇各自の「意識的な行為」の集積とは、どのような大きな力もやがて後退、自壊を余儀なくさせるということである。特に愚かさだけが際立つ今回の「ウクライナ侵攻」については、決して、拭い去れない、限りなく浸透拡大する汚点を残した。現在のロシアは、戦中の日本の状態と同一で、自国に都合の良い情報しか流していない。すなわちフェイク情報の垂れ流しで、最悪の状態である。これは末期症状で、どちらにしてもそれほど長くは持つまい。ここで出てくるのは、中国で、うまく立ち回り、漁夫の利を得て、やがて株を上げることにもなろう。プーチンより一枚も二枚も上手である。しかし、同時に危険な兆候も現れている。
〇歴史の絶対一回性の流れの中で、「たらーれば」談義はまったく無意味。最近また、ロシアのウクライナ侵攻について「たらーれば」談義が多くなった。そんなこととは無関係に、この最終戦争の契機ともなり得る「ウクライナ侵攻」について、今後は、冷徹なまでの現状分析と「各自」の「意識的な行為」の集積がやがて集積回路を形成し、妥当な方向を指し示すことになると思われる。現実を見据えているとばかりの現実主義者の傲慢な「現実」観なるものなどは、所詮、現実そのものとは程遠い、虚仮の見聞に過ぎないのである。その証拠に、どこを見ているのかと思われるほど、始終その現実に裏切られているであろう。
2022 3/3
〇ヒットラー然り、ムッソリーニ然り、スターリン然り、・・・そして、プーチン然り、彼らに共通しているのは知性の成熟度にかなり問題があるということである。プーチンのウクライナ侵攻、どのように捏ねくり回しても非を打つしかあるまい。総じて、軍人、軍人上がりに知性を求めてもまったく無駄という事例には事欠かないが、それだけに怖い面もある。そして、このような機に必ず出てくる軍拡路線の口だけは勇ましい平和ボケしたタカ派の微に入り細を穿つ扇動。もはや、いかなる戦争も人類が絶滅危惧種であることの証左にしかならないということである。こんな愚行をいつまでやっているのかと思う。あらゆる手を使って「ルール違反」にはそれなりの「世界的罰則」を与えるべきであろう。ただし、武器でではなく。やがて、そのような流れになって行くというより、そのようにならざるを得ないだろう。核抑止などとはもっともらしいが、言ってみれば、人類自ら絶滅危惧種宣言をしているようなものなのである。
2022 2/28+
〇今、一番気になる人と問われて、咄嗟に出てくるのは、大谷翔平、藤井聡太、山本太郎(順不同)くらいだろう。後は何をしているのかといったところである。