〇「故郷は遠くにありて思うもの」、それが実情であろが、このコロナ禍で父親に「絶対に帰ってくるな」と言われた者もいるようである。「キズナ」も簡単に解けるようである。いい機会である、じっくりと自分を見つめ直す時間とすべきであろう。「とにかく止めるわけにはいかない」、ただそれだけのことで動いているともいえる「go to トラベル」、案の定、各地で感染者は増大している。それについて問えば、「詰めの作業に入っている」、この期に及んで「詰めの作業」、やはり尋常ではない。ゴーサインを出しておいて、否自粛しろ!、行け!感染すれば自己責任、これでは国民の多くはダブル・バインドの状態である。ダブル・バインドは、意識に関わらず蓄積され、やがて様々な形で爆発する。
為政者、感染研など、為すべきこともせず、データ分析ばかりでは自国の民を実験材料に使っているとしか思われない。原発事故、廃棄物の問題の時にも言ったが、日本はさながら実験場のようになっている。無能な策士にとって、神の国という設定は、どのような過ちも許容の範囲内となる便利な方便ともなる。だから、「アンダーコントロール」などという言葉が平然と出てくるのである。「森羅万象の長」はその極みである。何があっても、日本は「特別」であるという思い込み、妄想で人々を動かすのである。選ばれし民などという妄想で突き進めば100%取り返しのつかない悲劇(徒死)をもたらす。その時はすべての終焉である。
要は、もっと冷徹に己と世界を見よということである。さもなくば、先はない。
2020 8/6
〇「新型コロナウィルス感染症対策分科会」の実態は、釜萢敏(かまやち さとし)の欺瞞的言説で、すべて白日の下にさらされた。これでは新型コロナウィルス感染症対策にはならない。まったくお話にならない。釜萢敏のような「学者」、「専門家」の存在自体が罪悪なのである。何のための、誰のための「学者」なのか、「専門家」なのか、根本的なところで再度考え直した方がよい。
2020 8/3
〇感染拡大がわかり切っているのに「GO to トラベル」、とんでもなく異常である。この異常性がわからないことが二重、三重に異常で、ホラーそのものというよりホラーさえ超えている。それを中和させるように使われてきた「経済」、これは単なる一部の銭儲けであって「経済」ではない。今や、この似非経済のために、マスクとエタノール片手に一億総突撃の様相を呈している。やがて、一敗地に塗れることであろう。すでに各地で忌まわしい感染結果が出始めているにもかかわらず、それを抑え込むようにPCR検査をさせない御用「専門家」たち、彼らが一丸となって作り出している「こと」は、いかなる弁解もできない歴史に残る愚行である。
2020 7/29
〇ALS女性患者の嘱託殺人、加害者は、これもまた優生思想に絡め取られた出来損ないのAIのようでもある。精神的に未成熟である。優生思想は精神的に未成熟な者に絡みつきやすいのか、その蔓延は看過できるものではない。それは、その社会がいかに脆弱であるかのメルクマールともなる。実際、どこを取っても衰退の一途である。英知とは対極にあるマッドなこの優生思想は、「人間」を神のごとくの高みにいともたやすく持ち上げるが、同時に「反人間」、「非人間」の領域に否応なく引きずり込む。そして、その領域内に内在する要因で自らを粉砕せざるを得なくなる。人間の自壊である。
2020 7/26
※「相模原障害者施設殺傷事件」の犯人なども、精神的にも未成熟なまま自壊した人間の典型であろう。このような「人間」に差別がどうのこうのと言ってもまったく無意味である。それ以前にやるべき重要なことがあるが、そこが完全に欠損しているのである。現在、こういう「人間もどき」が増殖しているのも実情である。
※後日、石原慎太郎が、この加害者を何ともお粗末な解釈で講釈、弁護していたが、まったくお門違い。こんな御都合主義的な合成的見解でよく自身が納得できるものであると呆れ返っている。要するに、知的レベルも創造レベルもこの程度なのである。仏教についても、まったく未だし、他に目的でもあるのだろう。総じて、常に機を見て皮相であった。
〇「プラス思考」?何となくわかったつもりにさせ、よく遣われているが、現実回避思考の傾向があり、現実を見据えることもできずに希望的観測にすがる手立てともなる。マイナス領域の捉え方が的確かつ広範囲であればあるほどプラス領域も大きくなることを知るべきである。単なる言葉の置き換えに乗せられていると、実質的にいつまでもマイナス行動の域を出ない。今までにない概念を規定するために行う言葉の置き換えならその必然性もあろうが、概念自体は同一にもかかわらず言葉の着せ替えばかりを繰り返すということはまったく無意味であると同時に、根本的には何も展開できていないことの自己暴露にもなる。言葉の着せ替えばかりの為政者たちを見よ。それは歴然としている。
2020 7/24
〇「なぜPCR検査が増えないのか?」、これ以上、陽性者が出ても収容する場所も、治療するマンパワーも不足しているから「抑えている」というのが実情であろう。具体的方策も無策に等しく、一寸先も読めない者が仕切っているのでは話にならない。したがって、これ以上増えれば(実際は数値以上)瞬時にパンクで、その時はすべては手遅れで、なす術もなく、終末を待つしかなくなるということである。
ところで、偽陽性を厚労省が恐れているからPCR検査が増えないというのは、もっともらしい詭弁である。偽陽性が疑われるのであれば、2回、3回検査をすればいいだけのことである。実際、海外では行われている。肝心なところ(国民にとって)には税金を使いたくないという格好の事例でもある。
後日、確認すれば、今現在でもPCR検査は必要ないと言う「専門家」が中枢に巣くっているようだ。やはり狂っている。これでは正確なことはいつまで経ってもわかるまい。
2020 7/23ー7/29ー
こんな時に、「Go toトラベル」、五輪の「一年前イベント」(国立競技場)である。いかなる理由をつけようが尋常な神経ではないことは確かである。進化し続ける見えない最強の敵に、マスクと手洗いだけで挑む姿は、愚策が生んだすべての負け戦を彷彿とさせる。欲望に目が眩む時、無謀、愚行は繰り返される。そこには美化されるようなものは一点もない。
さらに一言付け加わえれば、何かと言うと「経済」を持ち出す者たち(政官財幹部クラス、提灯持ちは外す)、学生時代に接したであろう「経済原論」すら自家薬籠中の物としていないであろう。彼らが、そして彼らに乗せられた者たちがすぐに口にする「経済」とは、自分たちに都合の良い単なる目先の銭儲けに過ぎないのである。だから、すぐに焼き切れるのである。少しは思慮遠望のある現実的、具体的な経済論を展開できないのか。今回のことにしても、コロナ禍を回避しつつ同時に経済をうまく回す道はいくらでも考えられることである。無能なのか、山師の類か。自分たちのことしか考えられぬ、すなわち無能な、山師なのであろう。
〇読売テレビの「あさパラ」、これは重度の精神病棟そのものである。これが公共の電波を使い一般人を対象に流されているのであれば、犯罪にもなる。よくこんなものをやっていられると思うが、しかし、読売テレビもフジテレビも、見苦しく卑しいものばかりになった。これは堕ちるところまで堕ちたという証左だ。ここまで堕ちれば「閉業」しかない。多少なりとも日本人という意識があるなら恥を知るべき、ただただみっともない。今後また、背に腹はかえられないようなことばかりを繰り返していれば、奈落の底で、後は誰を道連れにするかということしかあるまい。蟻地獄事業の新たな展開か?馬鹿も休み休み言え、ほんとうに終わっている、あなた方は。Adieu pour toujours les escrocs
因みに、他局のすべてがいいと言っている訳ではない。
20207/22
〇某御仁の曰く「バカに読んでほしい」と、されど、見れども、聞けども悟らぬから痴れ者というのである。その様、真なるものを指させばその指先の形を見るごときで、決して真なるものには至らぬのである。たとえ、その本が真実を言い当てていたところで字づらしか追えない、「本が読めない」者にいくら言ってもせんかたなきこと。字面だけを追えば事足りる、派手目のバカでも読める本を書けばベストセラー間違いなしというのが昨今の実情なのである。ベストセラーについて一言言えば、ゲーテの作品がベストセラーになった時代と現代日本では書き手の質も読者の質、すなわち意識レベルが全く違う。心配なのは、悪貨が良貨を駆逐するがごとくに量が質に転化することである。実際、ベストセラーなど称されているもののほとんどはバブリーなものばかりである。因みに、本屋に山積みにされている本などには全く興味がない。
〇「復讐するは我にあり」とは「誰」が言っているのかは周知のことと思うが、あらためて問う。これもまた、心底わかる人にはわかるが、わからない人にはわからない。
2020 7/19
〇 総じて、見ざる聞かざる言うだけである。
〇黒幕の有無などとは関係なく、為政者は行ったことに対する責任は免れない。黒幕がいるのであれば共犯者という以外に歴史的規定はあり得ない。そこで「本心」などというファジーな領域は一切取り沙汰の対象とはならないのは歴史上では当然のこと。そのような自己の在り様を選び取ったということ自体が問題なのである。これは認識論の問題ではなく、存在論の問題である。
2020 7/16
〇「go to キャンペーン」について、「1兆何千億円」使うべきところはいくらでもあるだろうにまったくお構いなし。「選挙前に使い切りたいのだろう」と言う人あり。これまた、全くその通りであろうと思われる。官僚幹部に至っては多少の犠牲は想定内などと開き直っているのであるから、話にならない。戦時中の軍関係者のやり取りの中に、「勝算はあるのか」という質問に「5000人程度の犠牲で」と答えて何万という兵士たちを全滅状態にさせ、自分は最後まで悠々自適の生活を送った指揮官がいたが、現在の欲に目が眩んだ官僚たちは、実質的にその指揮官と見事に重なる。
それから、各テレビ局などの「被災地支援募金のお願い」、あらためて集めたお金はどこへ行くのかと聞きたくなる現状である。ある局は日本赤十字社を通して被災地へ送られるとしていたが、日本赤十字社は東日本大震災の時、集めた何千億かの募金を政府に丸投げしたところである。因みに、局自身は寄付はしないのか?貧者の一灯ばかりで、長者の万灯など、とんとお目にかかったことがないが。
2020 7/15
〇「『go to キャンペーン』は『go to Hell』」としか思われない。」と言う人あり。その通りであろう。「感染拡大防止策を講じながら進める云々」なども言ったまでの話で具体策はまったく見えない。「go to Hell」をまた「御用聞き」の広告会社が「go to Heaven」に言い換えたところで「有時」(うじ)の終焉という意味では一緒である。要するに、現実に生きている者の「想定内」の終焉ということである。
しかし、話は変わるが、ポストモダンのスジナシというのがピッタリのぺラ男にぺラ子、このような者たちが腰に「御用提灯」ぶらさげて大学で何を教えているのかと思うと、ゾワッとしながら噴飯である。大学もやはり堕ちるところまで堕ちた。何もかもが言ったまでの話で、それについて責任を取るなど思いも寄らぬこと。要するに、何もかもが「悪戯」、「悪ふざけ」の領域なのである。自らの生命をかけるだけの覚悟もない。当然、いざとなれば逃げ足も速いであろう。どんなかっこうで逃げるのか、逃げ口上も見定めたいが、すべては想定内のこと。締まりのない容貌もさることながら、言動も締りがなく、すべてが信用できないのは当然である。何をどのように言ってみても、これではせいぜい走狗のコピーをバージョン変更して世に送り出すこと位しかできまい。多くの者たちにとっては、「一体何なんだ、こいつら」というのがその存在自体の当然の在り様になる。顔も中身もあるようでない「カオナシ」に等しい。
2020 7/14
〇「ウィズコロナ」」?これでまた乗せられるか?どこへ連れて行かれるかもわからず。一見ポジティブな「感じ」のこの造語の危険性は手が込んでいる。まだケリのついていない現実の姿を覆い隠すからからである。一体何のためにこんな造語を作る必要があるのか、それは「止まる」ことができないからである。「絶望的な戦い」でも現実を見せずに攻め込ませるための方便である。こんなことで深刻にならず、ポジティブに成仏してくださいとでも言いたげである。何となくわかったように持って行くこの方便、極めて危うい。まだ不治の病であった時代にウィズ結核、ウィズペストなどという言葉が感覚的にも像を結ぶことはない。生死をさ迷う重篤なコロナ患者に「ウィズコロナ」などとは言えまい。それは心身の全面を通した死との「戦い」というのが実情であるからである。人間が「WITH DEATH」な在り様しかできないというのならまだわかる。それは「ウィズコロナ」」などという「こと」とはまったく異質である。
2020 7/11
〇虚飾に満ちた嘘で自らを塗り固め、のし上がるためには手段を選ばず、邪魔になれば容赦なく捨て去る。そして、許されざる嘘まで、男社会で女が成り上がるための嘘として矮小化、正当化されることを改めて思い知らされた。それは、男が持つ野心を女が持ってどこが悪いという開き直りでもあり、男社会に大なり小なり恨みを抱いていた女性たちにとってはあこがれともなる。その中には「嘘ばっかりがとても他人のようには思えない」と感じて一票を投じた女性たちも数多くいたのであろうと思われる。しかし、それは飽くまで邪道であり、わが首に自ら縄をかける行為でもあることを忘れるべきではない。因果律の哲理からすれば、因果応報は当然の帰結で、嘘という空中楼閣はやがて空中分解するのである。
〇児玉龍彦教授、久しぶりに教授らしい教授を見た。立派な教授である。その言動、見解に全面的に賛同する。
2020 7/9
※本日、東京都で新型コロナウィルス感染者数は過去最多の220名以上。きちんと検査すればさらに多くなることは誰の目にも明らかなこと。やるべきことをやらないで、その付けが回ってきた時には遅過ぎるのである。想定外などとは決して言わせない。
〇「口直し」をしたくなるようなものが多くなったが、食べ物ばかりではない、「目直し」をしたくなるような、目に入るものの質の劣化は「口直し」の比ではない。さらに「耳直し」したくなるようなものも溢れかえっている。嗅覚、触覚などもまた然り。
「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」なども、今や砂漠の民に向かって言っているに等しい。目には青葉は入らず、不如帰、時鳥、子規、沓手鳥、しでのたおさ、たまむかえどり等々と呼び名あまたのほととぎすの鳴き声さえ知らず、初鰹の味も知らず身過ぎ世過ぎに追われ、やがて死出に到る。そして、魂迎え鳥を見てようやく己が姿を悟る、それでも悟れればまだよい方であろう。 2020 7/6
〇「観測史上初めての雨量」、「今まで経験したことのない雨量」と言っているそばから、「数十年に一度あるかないの雨量」などと言いだす。「観測史上初めての雨量」なら「数十年に一度あるかないか」などとは言えないはずである。すでに日本の四季は失われ、気候、環境の変動は今後ますます激しくなることは以前からわかっていることである。このまま行けば、今後も毎年その記録が更新されるような事態になるのは避けられない。「今まで見たこともない光景」は今後も確実に繰り返されるのである。
2020 7/5
〇「やらせ」、「効果」程度のことをわかった風に「演出」などという言葉で置き変えてしまうこと自体に大きな問題がある。「演出」とはそんな安っぽいものでも、軽いものでもない。こんなことすらわからないから文化の衰退など見えるわけもないのは当然である。言って置くが、テレビのディレクターあたりがやっているのは「演出」などとは程遠い「こと」である。これも一事が万事で、何もかも糞も味噌も一緒という状態である。「やらせ」、「効果」、「交通整理」程度のことを「演出」であると思っているとそこにある根本的な質の違いがわかるまい。それはそのまま読み取りレベルの違いとなってその人間を規定する。
自殺者を出したフジテレビ側の言い訳に、「そんな演出意図はなかった云々」、「製作側の演出意図に従う」などの文言、それは演出意図ではあるまい、より正確に言えば、製作上の狙い(主に視聴率)にあった効果を出す(必要以上であれば「やらせ」)ということで「演出」などとはまったく関係ない。単なる目論見、胸算用、心算の類を「演出」などという概念でくくってわかった気になっている、あるいは、ごまかしているだけなのである。それだけのことに何かあるごとくに恰好をつけるなと言いたくなるが、今度そのようなことを言った者に「演出意図」とはどいうことか聞いてみるとよい。大方はわかった風なこと言うが、本来の「演出」とは乖離しているのが実情である。
昨今の流れを見ていても、概念を明確にするためにも、一つ一つの言葉を再度洗い直した方がよいと思われる。殺人を「ポア」と言い換えただけのカルトの教祖のようなことをいつまでもやっていては、極めて危うい。悪魔は、親し気に、何食わぬ顔で言葉を言い換え、すり替え、そこに何かあるがごとくに思わせるものである。それにすがれば、奈落の底は半歩先にある。
2020 7/3
〇WEBサイトのセキュリティなどと称してSSL対応を勧めるメールが定期的に送られてくる。SSL設定をしないとiPhoneではURL横に「安全ではありません」Googleでは「保護されていない通信」と表示されるらしい。費用は18万円程度。要するに、「いたちごっこ」を「仕掛け」ておいて利ザヤを稼ぐ商法である。いくら暗号化してもほんとうに狙う気であれば防ぎようがないのも実情なのである。それとも他に目的があるのか。しばらくすれば、また暗号化のレベルを上げることであろう。それ以外に稼ぎようがないというのがこの「仕掛け」の限界である。このコロナウィルス禍に「安全ではありません」と表示され、18万円払えないところは実質的に排除されていくのであれば、踏んだり蹴ったりであろう。「WEBサイトの利用者様を守る対策」というこの「もっともらしさ」に付きまとう胡散臭さは払しょくできない。こんなSSL対応などは無料で自動更新するようなことであろう。
本日、東京都の新型コロナウィルス感染者数107名、予想通りであるので驚きもしないが、実際はそれ以上であろうと思われる。私の推定は、すべて状況証拠によるもので、公の発表する数値にも、言説にも依拠するものではない。要するに、そんなものは信用していないのである。
2020 7/2
〇シベリアの永久凍土の溶解には驚いた。マイナス67.7度という世界最低温度の記録をもつ地域が、38度にもなるというのは極めて異常なことである。永久凍土溶解で、今まで封じ込められていた様々なウィルスが拡散する恐れもあるという。今までも、地球温暖化について、経済的視点でしか捉えられなかった悪しき「大人」たちの「楽観論」もやがて具体的に一つ一つ崩れ去ることであろう。もっとも、それまで生き長らえることができればの話ではあるが。現在、新型コロナウィルス禍で世界は右往左往しているが、永久凍土の溶解で、さらに新たな多くのウィルスが解き放たれたことを肝に銘じるべきであろう。自然の警告レベルはすでに超えているのである。
2020 6/28
〇肩書ばかりの大学教授がいかに多いか、金子光春ではないが「他に才能がないから大学教授をやっている」者たち、それならまだしも、重箱の隅をほじくり返してようやく博士号を取ったような者たちの、もっともらしい批判的言説を検証すると実にファジーで、根本的な思考回路に欠陥があるとしか思われないことがよくある。これは罪悪である。
2020 6/25
〇ひと昔、ふた昔も前、金子光春(詩人)が、自宅で詩人の集いを行っている時に、たまたま通りかかった息子について、「あれは他に才能がないから大学の教授をやっている」と弟子に言ったそうだ。今、頻繁にマスメディアに登場する若手の准教授、教授あたりの言動を見ていると、悪しき教育改革も着実に進んで、すでに功を奏しているのだと確認している。その異様な軽さ、口当たり、時流に乗った商才、それは無能無才を自覚している教授より質が悪い、というより罪深い。彼らの存在自体が新自由主義+ポストモダンの遺物で、到底新しい時代の要請に応えられる資質も器量も覚悟もないと思われる。
現在、経済優先などとということが、わかった風に言われているが、その具体的方策は、明らかに人の死などは想定内の二の次ということを意味している。
2020 6/21
〇どの無法者の物言いを聞いていても、そのすべてがアベ流である。こうも似るものかと驚いている。また、「襟を正さねばならない」という者の襟元は乱れて、眼付も落ち着きがない。これだけ愚行を繰り返して、その釈明、弁解もまったくオリジナリティがなく同一である。この恐るべき同一性はどこから来るのか、何のことはない思慮遠望の欠片もなく、単なる愚行だからオリジナリティがないのである。これは、すでに人間の境涯から外れているということの証明にもなる。
最近は、ほんとうに「人間」に出会うことが稀となったが、まだ「人間」は確実にいると思っている。
2020 6/19
〇今更、電通、博報堂などの話をするのも気恥ずかしくなるが、細部にわたってその動きが見えるのでついまた言いたくなる。この御用の筋のものたちが、さらに多くの大?中?小?の「御用聞き」を抱えて、微に入り細を穿つように間の抜けた陥穽を至る所に作り上げ、日夜イメージ操作に余念がないからである。「御用聞き」は表向きはどうであれ、実質的に政府広報として「プロパガンダ企業」にならざるを得ない。
自分たちの思う通りにならない人々については軽く「意識が高い系」などと称して、その負の部分を強調して、何気なく排除していく詐術などは、「御用聞き」の常套手段でもある。それは、当然の質疑に対して、黒塗りの書類しか提出せず、それ以上のことを質すと「下種の勘繰り」と言いだす者たちとさほどの違いもない。「意識の高い系」などとは所詮「下種」と同種と思わせる印象操作にもなっている。何かと表舞台に立っているAIか人間か区別のつかないサッパリスマート系のお兄さんたちの口車に乗っているとかなりヤバイことにもなろう。それは彼らの「注文主」にとって都合のいい「人間造り」であるからである。軽めの言葉、言い換え、簡便な分類、分析には注意する必要がある。
2020 6/14
〇何気なく気になることの一つに、ツルンとした顔で同じようなヘアースタイルの出来損ないのAIのような大学教員、研究者の言動である。研究領域は社会科学、情報関係などが多いようであるが、要するに、得意げにやっているその分析能力の資質そのものを改めて問わざるを得なくなるということである。やはり、見ているようで肝心なものは何も見えていないのである。すなわち、信を置くには不十分ということである。総じて小手先のことに終始しているが、そんなことはどうでもよいのである。敢えて言おう、意識するしないに関わらず、彼らもやがて軍産複合体に絡め取られる御用学者の位置にいるということである。どのようなことをいかにうまく言ったにしてもそのことに変わりはあるまい。だから何ら見るべきものはないというのである。よーく見ればそれは端々に出ている。根幹を変えなくてならないのは彼ら自身でもある。
2020 6/13
※古市憲寿、落合陽一等々
〇いやはや、笑止、失笑の連続であった。「スピード感もって行う」などもそうだが、これだけでもすべてが現れている。スピーディー(速やか、敏速)に行うとは言っていない、言えないからそれらしいことを言うのである。スピードを感じられるように行うということで、これもまた「振り」である。何もかもがポーズであった。ポーズで始まり、ポーズで終わったとも言える。これは言葉尻をとらえて云々というレベルの話ではない。正確に捉えようとすれば問題にするしかない、作為的な曖昧さ、詐術、虚偽が溢れているからである。「スピード感をもって行う」と言った時点で、これは二の次三の次になると捉えなくてはならないのである。こんな三文文士のレトリックにハマっているようではすぐに命に関わることになる。
2020 6/12
〇「政治のことはわかりませんが」などと、気の利いたことを言っているつもりになっている人が今でもいるようであるが、これでそのすべてがさらけ出されているのである。全体主義国家ならともかく、少なくとも民主主義国家にいる国民が「政治のことはわかりません」などと言って済まされることでもなく、「わかる、わからない」などという次元で言えば、当の政治家、官僚ですら本当のところはわかるまい、煩雑な事務手続きレベルのことをしたり顔で講釈している者もいるが、国民にとってはそんなことはどうでもいいのである。「それはおかしい」、「それは虚偽である」、「許されざるべきことに抗議する」、それが健全な民主義国家の在り様である。それについては「左」も「右」もない。現状は実質、上下(富裕層と貧困層)しかないのに、いまだに貧困層同士の「右」と「左」がいつまでもやり合っている。その三文芝居を観てほくそ笑んでいるのは富裕層であることを忘れないことだ。その三文芝居で、やはり富裕層の特にお気に入りは相も変わらずクレイジーピエロのライトウィングなのである。
6/7
〇しかし、世の中にはただ騒々しいだけという者もいるのだとあきれ返っている。何か騒いでいないと自分という者が確認できないのか、何者かが取り付いているのであろうと思われる。問題の取り上げ方も、奇をてらうというレベル以下、真摯に考えているのならこのような出方は到底できないからである。要するにすべてが欺瞞的なのである。売名行為以上のものはないということである。このような重要問題が山積している中、コロナ禍も収束していない混乱期に乗じて扇動するヤカラとは?「黒」い扇動者か、そのパシリしかいないであろう。それともそれも政党ノルマの内なのか。真情、ピュア度はゼロである。今、こんなこと(リコール運動)をやっている時なのか。誰にやらされているのか?今なお桁違いな血税を使って愚行を繰り返しているのは一体誰なのか?それすらも見えないとしたら全機能不全である。
※ここで言う「黒」とは全体主義を目指す集団の総称として遣っている。現在は「赤」などと言われている「共産主義国」は実質存在しないのである。現状は、全体主義国家と民主主義国家を志向する国の違いしかない。「共産主義国家」と称される国の実態を見てみれば一目瞭然。どこが共産主義なのかまったく不明であろう。「国家社会主義ドイツ労働者党」と称したナチスドイツと何ら変わるところがない。有名無実な言葉の羅列、合成で何か言ったつもりになっている「詐義士」である。
今のところ、各自が冷静に現状を見据え、手洗いをするように日々現状の動きをチェックしていくしか方法がないのである。今後、「安心、安全」がキーワードとなるのであれば、今、それがもっとも欠けているのは誰か?どこか?それも敢えて言うまでもなく明らかなことである。
2020 6/4
〇「新しい生活様式」?どのような位置にいる者が誰に向けて言っているのか?こんな言葉で丸め込まれてどうするのかと思う。現実とはかけ離れた、一見前向き風な欺瞞に満ちた言葉を発し、何を隠そうとしているのか。こんな言葉を量産するところは決まっているのであるが、その実態とは、追い込まれた苦渋に満ちた生活である。それを直視させないために今後もその手のプロによって様々な言葉が作り出されるだろう。その気になれば、やがて欺かれたことを思い知らされるだけとなる。その時は、後の祭り。その内に、後の祭りの後片付けまでさせられることになろう。
2020 5/30
〇#「政権批判は誹謗中傷ではない」、当たり前である。批判と誹謗中傷の区別もつかないようでは話にならない。そんな低レベルなことを問題にしなくてはならないことが情けない。的確な批判のないところには発展もなく、ただ堕ちて行くしかないのが普遍的な実情である。現に、日ごと夜ごと悪の縮小再生産だけが繰り返されているのである。カルト系の者以外なら、誰がどこから見ようが発展展開の余地はない。責任を認めるなら、責任を取らねばならない。間違いは間違いとして正さねばならない。いつまでもガキのようなことをしていては示しがつくまい。
2020 5/29
〇「プロが認めた」?、生活がかかれば何をするかわからないということでもある。それはどこまでいい加減か計り知れないことにもなる。「国が認めた」?、政権の成り立ち具合にもよるが、どの領域においても政治的介入があると見る方が賢明であろう。要するに、すべてが国民にとって不明瞭となるのである。「専門家が言った」?、その立ち位置だけで真偽は判断可能である。それは、専門領域にどれだけ忠実であるか否かということにもなる。いわんや、どこの馬の骨かもわからぬ匿名の「垂れ流し」に「振り回される」などは愚の骨頂である。
2020 5/26
〇新型コロナウィルスの生態を見ていると、粗悪な人間と重なると言ったが、SNSなどで、主に弱者をターゲットに誹謗中傷を繰り返す匿名の者たちもその最たるものであろう。いざとなるば、コソコソ逃げ出す卑劣極まりないチンケなヤカラである。因みに、私は、SNSなどの負の領域を知っているので彼らと関わることはまったくないが、この変種のコロナウィルスのような者たちも、コロナ対策と同様の防御の仕方である程度は防げると思われる。彼らは、もはや人間の境涯にはいないものたちなのであるという認識がまず必要で、彼らに対する甘い考えは捨てるべきである。前頭葉が一部損壊した者たちにまともな交流は成り立たない。さらに悪いことには、そのような者たちを増殖させ、煽り、まき散らしている者がいるということである。彼らの使用言語から見て、思考回路は目詰まり状態で展開不能、一部焼き切れていて機能不全、ほとんど機能していないと言ってもよい。したがって、自分自身で展開することは不可能で、手ごろなターゲットに取り付いてはその反応で辛うじて息衝いているような手合いなのである。彼らに対しては、コロナ対策同様「ソーシャルディスタンス」がそのまま有効である。距離を置いて放置する。そして、折を見て提訴することである。その実態はたとえようもないほど貧相で、何の滋養にもならないという意味では地球生態系上の絶対「害」ともいえる。
※ここでいう「ソーシャルディスタンス」とは、正確には、「social distancing」で飽くまで物理的距離の意味合いの方が強く、社会学上の意味合い、すなわち「排除」を増幅、強調するものではない。言葉を安易に英語で置き換えることで、危うい状況も作り出されることを忘れるべきではない。
2020 5/24ー
※弱者をターゲットに誹謗中傷を繰り返すヤカラについて規制することは必要であるが、この機に乗じて国民監視体制を強化する方向に持っていこうとする動きがあるが、これもまた極めて危険である。国民監視体制強化が「正義の御旗」のように見えるようでは、誹謗中傷するヤカラなども、実はその工作員か、工作員に動かされているパシリに過ぎないのかもしれない。これは穿った見方でも何でもない何食わぬ顔ですべてを食い尽くす、陳腐な常套手段でもある。要注意。
〇新型コロナウィルス禍の最中、検査もろくにしていないのに「減少している。これは世界に誇れる」とは、これまた恐れ入り谷の鬼子母神。もし、このような「大本営発表」を真に受けているようでは、現状と乖離した現状認識のまま、すなわち、目隠しされたまま崖っぷちを歩くことになるということである。
要は、給付金など補償金を出したくないだけの話、そのための数値操作は朝飯前であるということである。その手に乗れば断崖絶壁で足を踏み外すことになる。
今日、駅前の居酒屋などでは、何事もなかったかのような客の入り様であった。しかし、この結果はやがて現れるだろう。もはやそのような時代は去ったのである。
2020 5/23ー
〇何のことはない、新型コロナウィルスの増殖過程の変異、「盛衰」を観ていると、粗悪な人間の様相と重なってしまう。それは、自ら独立して成長、展開はできず、自恃の念の欠如した、常に他者を傷つけ蝕むことでしかその存在意義を見出せぬヤカラということである。不可視なパラサイト、silly con。
2020 5/21
〇以前から、俗臭ふんぷんたるスキンヘッドを見ると、chauve(ショオブ)という言葉がすぐに浮かび上がる。それは「禿げた」という意味のフランス語であるが、それはそのままchauvinisme(ショオビニスム)「盲目的愛国心」、「排外主義」という言葉につながっていくのである。俗臭ふんぷんたる「禿げ」と「盲目的愛国心」、それは寄る年波に比して内容が深まらない空疎な自我がすがる唯一のアイデンティティーともいえるが、いつまでも金の尻を引く単なる下種と言ってしまえばそれまでのこと。
2020 5/16
〇「知能がシリコンなどであろうはずない」という文脈で、Silicon Valleyは、シリコンバレーではなく、silly(愚かな)con(詐欺師) valley(谷)というシリコンバレーであろうと笑った人がいたが、そうであるなら、この地は差し詰めしsilly con islandで、民を人間と思っていないSilly conたちが仕切る島なのであ、ろう。隙を見ては民を騙し、目くらましをかけ、民主主義を根底から蝕み、保身だけが正義、正論と心得るシリコンたち。放置すれば新型コロナと同様の結果となる。
2020 5/11