構造主義的アプローチは限られた領域内の分析的手法としのみ効果が認められるだけで、それを無制限に敷衍させることは危険なのである。それが現状の無残な状況を限りなく再生産させていることは、「周知」の通り。レヴィ=ストロースが人類学にこの手法を導入しその分析に効果を上げたが、それ以上は敷衍すべきではないとしたサルトルなどの見解と私は以前から同じである。そもそも構造主義自体には「人間」を解体させるだけで、「再構築」させる哲理がないのである。現に、この構造主義の「煽り」を受け「人間もどき」となってしまった有象無象が未だに我が物顔にそこかしこを闊歩しているではないか、しかし、構造主義、ポスト構造主義、ポストモダンなどはすでに終焉しているのである。
「構造主義生物学」、「構造主義科学論」などというものの、底はすでに割れているが、それ以上にかなり危うい。
それは、精密機械に対する専門的知識も総合的知識も半端なままで、解体し、元に戻せなくなってしまったテクノクラートにも似て、実のところは、帯に短したすきに長し。現実的には弊害ばかりを残し、何の役にも立たないということにもなろう。
2020 3/19