92.鬼女たち

 権力にすだく女たちは、一様に含み笑いをしながら夜ごと包丁を研ぐ鬼女に見える。男などは夜を待たずとも90%は日中に「読み解ける」。それが「読めない」のは「思考停止」で日々に追われる者達か、老化、リテラシーの問題か、敢えて「誤読」を意図的にしている者たちであろう。

 人の善意、温情を利用するところは許し難いが、詐欺がこれだけ日常茶飯事になるのも頷けるところはある。選挙民を舌先三寸、舌根から裏切っている者たちの所業は明々白々にもかかわらず、追従しかできぬ者たち、選ぶ側の安易さも同時に浮かび上がってくる。「八九三」、詐欺師の類は相手のすきに付け込んで骨の髄までしゃぶり尽すのが常識。「温情」と「欲」と「無知」は詐欺師たちをのさばらせる要因にもなっている。

 「政治屋」すなわち詐欺師、サイコパスに「考えていること」などを聞いても無駄であろう。彼らの「やっていること」がすべて、それ以外は問題にならない。したがって、多くの者にとって不利益しかもたらさないことについては、徹底的に否定する方向で行動しなくては民主政治は機能しなくなる。その時点で「人柄」、「付き合い」、言わんや「マスク」などという人間事象は一切関係ない。

 現実的に、「鬼女」とはかくあると思われる雛形の収集には事欠かないのもこうした時代の特徴なのかもしれない。其処彼処で確認できるのはただ「堕ちて行く」姿である。それも「衰弱化」しつつ半ば「健全に」堕ちているから始末に負えない。「堕落論」で坂口安吾が対象にしたのは戦後の迷妄に「悩む」人々であった。そこには「墜ちきること」で「人間存在」の正体に迫るというエネルギーがあった。現状は「衰弱」から免れているのはまれで、それは真摯に「悩む」者がまれということでもある。おそらく崖っぷち立たされても、落ちても「堕ちている」ことすら明確には認識できないままなのであろうと思われる。

 

                                             2016  2/11

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