64.見透かされている立ち位置
「立ち位置」などという言葉も元はといえば舞台の演出用語である。したがって、私などはこのブログの中でもごく自然にわかりやすい譬えのひとつとし
「立ち位置」などという言葉も元はといえば舞台の演出用語である。したがって、私などはこのブログの中でもごく自然にわかりやすい譬えのひとつとし
8月、私はラベンダーとクレープマートルに囲まれたところにいることが多かった。そこには葉桜となった染井吉野の巨木もいくつかあった。外に出ると
2009年10月、パリで演劇を通して再会したフランソワ・ラヴォー氏のことについてはカテゴリー「五叉路」の(11)に詳しく載せている。彼はフ
「ロス・ガジョス」はスペインの老舗のタブラオである。ある旅番組で「本場スペインのフラメンコ云々」と例によってお決まりの解説らしきものと同時
「酒中の忙」とは漱石の漢詩に出てくる。幽居 正に解す酒中の忙華髪 何ぞ須いん酔郷に住むを すなわち、静かな生活を送っていると酒席,杯事のう
最近、俳句形式の筆のすさびに新たな意味づけをして活用しているのをよく見かけるが、私が10年程前にある俳人から頼まれて寄稿した文章の中にすで
世中を捨てて捨てえぬ心地して都離れぬ我身なりけり捨てたれど隠れて住まぬ人になればなお世にあるに似たるなりけり
「分け入っても 分け入っても 青い山」、誰でも知ている山頭火の句である。山頭火にしても、「咳をしても一人」の尾崎放哉にしても自らある境涯に
周知のとおり寂聴氏は作家でもあるが、実践面を見ても仏教者と作家という両者が程よく溶け合い、近年ほとんど見ることができなくなった仏教者と言っ
日本の大学生の卒業論文、大学院生の修士論文などの多くは引用、孫引きで構成されていると言ってもよい。しかしそこには出典が明確に記されているは