貧乏劇団、金欠プロデューサーが担当する小・中劇場公演ならミスキャストは日常茶飯事、然もありなんでそれ程の問題にもならず後は引き受けた演出担当者がいかにその負をデフォルマシオンしつつ自分のあるいは近似の世界に引き寄せるかが問題になってくる。それが成功すれば今までにないユニークな世界を構築することも可能で、それも小中公演の楽しみ方の一つでもあるが、そのような危険なアヴァンチュールはあり得ない、また必要もないテレビドラマ、映画などであまりにも安易なキャスティングと安手の作りが多過ぎる。ある才能豊かな女性に言わせれば、それは「コソバユクなるような嘘っぽさ」なのである。これではますますテレビドラマ、邦画離れを増長させてしまうのは仕方のないことであろう。もはや守るものとて何もないにも拘らずアヴァンチュールを恐れるなどは論外であるが、そこまでせずとも成立し得るところで製作的な根本部分のブレ、演技の「深化」のまったく見えない役者、職安から連れてきたような軽便スタッフなど、そもそもが創作エリアにおおよそ無縁な者達が意思の疎通もなくいくら集まったところでろくなものができないのは道理なのである。これは演劇の世界だけのことではない。すべてにおいて日本ではミスキャスト、すなわちイミテーションMADE IN JAPANなのである。おそらく、口を開けて待っていることしかできない者達にはオリジナル(本物)は不要なのであろう。
2012 4/3