ーその昔、ロルカを朗誦する「怪優」がいたー
その風体たるや西洋乞食そのものであった。巡礼者気取りなのか、単なる自己顕示欲のなせることか、それは舞台衣装のまま往来を歩いているようなものであった。肝心のロルカの朗誦も一本調子で味わい深さがなく、出版された本も観光ガイドブックの域を出るものではなかった。それほどロルカを愛しているのであれば、それを現代に生き返らせねばなるまい。しかし、どこにもその切り口もその跡すらも見えない。ただ安全地帯で回顧趣味的にロルカをなぞっているだけであった。それでは本業の芝居はと言うと、やはりどれもこれも一本調子で、変に歌うような台詞は一向に見ている側に届かない。いつだったか、泉鏡花の芝居であったと思うが、担当の演出家にどうして彼を使ったのかを尋ねると、「柄である。」と言う。もし、そうであるなら、「その柄」のとおりに表現として成り立たせる「要」の部分が弱いか、欠落していてないことになる。言い換えれば、その風体は単なる「装い」、恰好だけで、実のところはピントのズレた俗物そのものということになる。この怪優が舞台衣装のまま闊歩していた頃の日本のフラメンコ事情はついてはまた後日詳細に述べることにするが、それは、この怪優の本質的な部分と質的に大して違いはなく、その多くは今も変わっていない。そして、この怪優を慕うフラメンコ関係者がほとんどいないというのも、そこに己自身の醜悪な姿を見るからであろう。ポーズだけの本質的な部分の脆弱さ、それは結局、安手の見せ方だけに走り、それに終始するしかなくなるのである。凡夫は何を見ても悟らず、その「形」と「要領」だけを見る。月を指せば、指先を見るがごとくである。
ただ、以前とは確実に違っていることは、孤立を恐れず突き進んできた、先鋭化された頭脳明晰なアーティストの存在というものが際立ってきたことであろう。それは過去にはまったく考えられなかったことである。
2010 7/10