153.つれづれに一言で片づければ(28)ー35件ー 623件

〇一応肩書だけはありそうな「教授」「評論家」などを資金援助で絡め取り、プロパガンダのチームに取り込み、何やら取って付けたようなものを書かせ、次から次へと本屋に並べる。どうでもいいようなつまらぬ本の山を見れば、それは自ずと知れるが、それでも間に合わぬとばかりに、黒いバイアスのかかった私的メディアでヒトラー流プロパガンダの日々の垂れ流し。2流、3流の「学者」、「評論家」、「作家」、もはや全く展開の余地のない者たちの身過ぎ世過ぎ。彼らは形振り構わず何でもするが、はた迷惑は筆舌に尽くしがたく、その罪は極めて重い。そんな様々な「オワコングループ」に巧みに「救いの手」を差し伸べているのが、すなわち政官財と一体化した闇にカラスのごとき、後は野となれ山となれの「一次下請け業者」。そんな悪しき流れの中で、時折出番を間違えた三文役者のごとく現れて、とんでもないことを言い出す者たちも後を絶たない。

                                                                                                       2021 3/18

 

〇データサイエンス、本人は相当賢いことをやっているつもりなのであろう。それが、「格好いい」とも、「素晴らしい」とも思えない。それで何かわかった気になっているとは、かなりオメデタイか、マッドである。サイエンスを「絶対視」することも迷妄、データそのものにも様々な限界がある。そんなものにミライを託していると、やがてミイラを見ることにもなろう。

                                                                                                    2021 3/16

〇「批判よりも提案を」?、この標語にもなりつつあるような摩訶不思議な言葉の問題点については以前にも取り上げたが、また目についたので書くことにした。一見、実に前向きで恰好のよさそうな表現に見えるがいくつもの落とし穴がある。まず、正当な批判というものは、問題を浮き彫りにさせ、問題をより鮮明にさせるためには欠かせないものである。それをしないということは問題点も不鮮明なまま知らないうちに、すべてがなし崩し的に決められてしまうということになる。「批判」よりも「提案」を取ると、どういうことになるか、問題を問題化するより先に、実質的には出来上がった枠組みの中で「すり寄り」ながら「より良い」提案を政府与党に供給するということになるが、それ自体が、問題点をぼやかしながら「こと」を進めることにつながって行くということである。その結果、多くの国民はその経緯すら何もわからないまま、新たな不利益を被る現実と直面せざるを得なくなるのである。また、「批判するよりも提案を」ということの中には、「提案」できない者は、「批判」しないで、黙って従えという上から目線の強権的な姿勢が見て取れるのである。国民は、「提案」などできるわけもないが、する必要もない。「それは違う」、「冗談じゃねーよ」、「それは犯罪行為でしょ」、「何を考えているのか」等々、それで充分である。そのような「意見」、「感情」を取り入れ、それを叩き台として為政者が「より良いもの」に仕上げる、それが為政者の仕事である。批判と、単なる誹謗中傷とはまったく異質であることを明確にして、一つ一つ確認していかないと、国民は目隠しをされたままどのような「案件」も飲まざるを得なくなるということである。

「批判よりも提案を」とは、聞こえは良いが、為政者が国民を無知の状態に置き、その批判力を奪おうとする政策、すなわち、「愚民政策」の一環なのである。

                                                                                                               2021 3/13

〇「街の声」らしきものを聞いていると、大方が「欲しがりません勝つまでは」と大同小異である。軍国主義政権下でもあるまい、もう少し言うべきことは言った方がよいだろう。自分だけ良ければいいという末端肥大症的な自我意識も目立つ。健全な自我意識が未成熟なのである。もっとも、正直に言っても桁外れに自主規制の効いた現在のメディアである。カットされ、再構成されてしまう可能性もある。そして、いざとなれば、肝心なことは「記憶にありません」、「覚えていません」という者たちを相手にしていることを忘れないことだ。変な幻想は持たず、希望的観測でものを見ないことである。「飲み会を絶対に断らない女」と称し、登り詰め、ついには堕ちて行った広報官。また一方では、「私は飲み会は絶対に断る女です。絶対に行きません。友達とかいらないので」と、見た目とはまったく違うことを明快に言うタレント、女優。要するに、覚悟の問題なのである。覚悟ができていないから、隙ができ、つけ込まれ、騙されるのである。小賢しい言動とは、どこをどう切り取っても小賢しいのである。やがてそれと知れて、捨て去られる。

 誠実な者たちに、幸あれ!

                                                                                                  2021 3/4

 

〇第二次大戦中、米戦艦に突撃した特攻隊員の遺骨と遺品が遺族のところに送られてきたという。遺品はともかく、遺骨をどうやって収拾したのか、おかしな話である。もう一つ、おかしな話というよりバカバカしい話、ハーバード大学とは3流の大学なのか?そのハーバード大学のラムザイヤー教授とやらが、その論文の中で「慰安婦は強制的に動員された性奴隷ではなく、自発的な売春婦だ」などと主張しているらしいが、バカも休み休み言え、大体、「自発的」に売春婦になるものなどどこにいる。精神疾患、セックスジャンキーでもないかぎり、普通の女性が「私は売春婦になりたい」などということはありえないのである。このような状況の中では、弱者を騙す山師の類にひっかけられ売春婦になっていたという方がより現実的であり、的確であろう。この教授が世話になったであろう比較的自由な意識的な娼婦と、軍国主義が席巻していた当時の慰安婦を重ね合わせて「自発的な売春婦」などというのは、証拠となる「契約書」が出ようが出まいが関係なく、根幹部分を見据える眼が節穴としかいいようがない。

                                                                                                          2021 2/27

 この教授は、言ってみれば、現実観察が不十分で、現実説明力がないということである。また数学的思弁ばかりが「近親繁殖」をしていては、その内容は貧相にならざるを得ないのである。

 

 大体、軍国主義政権下で、「強制連行」、「強制動員」などなかったとする方が無理があり、「非常識」と言うレベル。それは日本がどうの、韓国がどうのとは無関係、どの国でも軍国主義政権下では同じようなことになる。したがって、軍国主義政権の誕生、存続自体が非であることは言うまでもなく、また、そのような軍隊が撤退、敗退する時には証拠となり得る文書はすべて廃棄処分、すなわち証拠隠滅が常識となっているのは、周知のことでもあろう。今の日本でさえ、残さなくてはならない文書の改ざん、情報開示拒否をしているのである。況や、軍国主義政権下では都合の悪いところはすべて完全消去であることは敢えて言うまでもないこと。

 

 後日、この「論文」を擁護しているコメントをみると、どれもこれも同じような視点の、お粗末な同一内容、その感情の現れ方をみても、これはこの教授に金を渡して(資金援助?)、その筋の者が書かせたものであろうと思われる。何のために書かせたかも、それでよくわかる。要するに、書く必然性もない、必要性もない事柄を「ある目的」のために論文という装いで書かせたもので、それについては、事細かに敢えて反論するほどのレベルではないということである。時間の無駄である。それより、少なくとも論文というのであれば、日本の軍国主義の特殊性そのものについて、すなわち本丸に切り込む位の方が、まだ読むべきところは少しはあったかもしれないが、この力量では無理。

 さらに、このラムザイヤー「論文」擁護で、早稲田大学の公文書研究をしている有馬哲夫という御仁は、「批判者であるソク教授は、アジア中の個人宅を家探しして、ラムザイヤー論文を根底から覆すような「朝鮮人女性の契約書」を提示する義務を負っている。彼女が義務を果たすかどうか見守ろう。」と宣う。アジア中の個人宅を探して云々、ここまでくると何をか言わんやであるが、得意げにそんなことはできまいと言っているのである。そんなことに時間をかける意味も、価値もあるまい。しかし、この御仁の公文書研究とやら、言うまでもなく、見るまでもなくつまらなそうである。改めて研究のスタンスを聞きたくなる。そもそも公文書にどれだけの真実があると思っているのか、公文書などは書かれていることをそのまま鵜呑みするなどは愚の骨頂、その歴史の文脈のなかで解読されなければならないことである。この御仁もまた、現実観察、認識が不十分なので、公文書からその当時の現実を再現することなどは及びもつくまい。ドクター論文が通らなかったのも頷ける。

 この公文書館のネズミは、確たるスタンスも、証拠もないまま歴史の一部の事象を取り上げ、泥団子をこね回しているようである。

 

                                                           2021  2/26

〇世の中全般が、本当に転げ落ちるように堕ちているというのはこんな状態なのであろう。まざまざと見せてくれるのは、タガが外れてしまったとしか思えない人間の様相である。タガが外れて、中の汚水を垂れ流し、それをさらにまき散らしているにもかかわらず、ウソはつくもの、だますもの、認めてナンボやとばかりに白を切り通す。いやいやクサイ、臭い人間たちがゴム風船に書いたような題目、講釈唱えながら転げ堕ちて行くのだから、残り香などもたまったものではない。

 それでは、我々は、どうすべきか、それはわかり切ったこと・・・

                                                                                    2021 2/25

 

〇私には、大阪なおみのテニスコート上での蝶の接し方、扱い方で彼女の勝利は揺るぎないものと思われた。そして、すべてはやはりそのようなものであると改めて確信した。要するに、すべては「現れる」のである。

                                                                                               2021 2/20

                                                                                                                      

〇無知であり、無恥でもある前代未聞ということが多過ぎる。新聞社がスポンサーになったことも五輪史上初めて、その結果、問題をきちんと問題化することもできずに骨抜き状態となってしまった。そして、東京五輪組織委員会会長が開催を目前にして辞任、それも世界に散々醜態をさらした挙句の果ての辞任である。これも史上初であろう。しかし、よく見れば、すべては必然的な流れでもある。なるようになっただけの話なのである。それに気が付かないというのはやはり欲に目が眩んだ蒙昧としか言いようがない。それは、狂信のなせる業なのか、欲望だけに絡め取られてしまった結果なのか、その両方であろう。

                                                                                                                  2/17

                                                                                                

〇愛、誠意などは欠片ほどもない、己の欲望にのみ突き動かされている者たち、その言動、容貌のすべてが、これ以上ないほどに具体的によくわかる日々である。

 東日本大震災の余震もまだ収まっていないのに、「復興」?「復興五輪」? また、何ら科学的根拠もなく、その客観的事例さえ見つからない状態のまま「アンダーコントロールはできている」などと神のごとくのご託宣をオリンピック誘致のために振り撒いた者など、それは「罪状認否」などに関わらず、歴史的にも永続的に追及されることになろう。その周辺にいた者たちも、「記憶にありません」では済まない、すなわち共同正犯なのである。生き方としては、人間失格である。

                                   2/14

 

〇自己礼賛、自国礼賛ばかりやっている者たちには、先がない。あっても衰退の引き延ばしだけであろう。自己展開、自国展開が可能なのは、良きところ、反省考察すべきところを明確に見極め対峙しながら、ダイナミックにそのすべてを「我がもの」とすることである。大した根拠もなく、自己完結の思い込みだけで、常にビクビクした守りの体勢からは何も見えず、何も生まれない。それは騒々しいだけの空ぶかしで、実質的に一歩も前には進まないのである。いつまで己に酔っているのかと思われる。酔狂には程がないとみえる。

                                    2/12

〇言動が乱れているということは、思考回路も乱れているということである。当然、顔付もその乱れの影響で濁ってくる。場合によっては、回路そのものに欠陥がある場合もある。森について、「余人をもって代えがたい」などと言えてしまう、言わざるを得ない事情そのものも大きな問題である。どのような「裏事情」「裏ワザ」があるのかということにもなる。このような陳腐で類型的な言葉でしか擁護できないこともまた問題である。森の無教養に近い思いあがった言葉の遣い方は、「昭和の価値観」、「男尊女卑」などという括り方ではとても捉え切れるものではない。単純過ぎる。これは彼の精神形成上の基幹領域に「神の国の者である」というカルト的狂信がごく自然に溶け込んでいるのである。したがって、彼にはどのような局面においても、自己肯定しか存在しないのである。反省、考察の深化などの自己否定を伴うものには全く無縁である。自分自身が「そのまま」で是なのである。すなわち、展開不能の精神構造を持った者ということになる。これでは100年経っても200年経っても変わることはあるまい。基礎科学に欠陥のある者に未来はない。基礎哲学が欠けている者にも先はない。緩慢なるカルトはいつの間にか全身に転移しているのであるが、本人はそれと気付いていない。その時点で、物事の是非を鮮明にさせない方向に動かされているのである。「批判ばかりしていても」などということが極自然にまかり通るのも、この日本特有のカルトの洗礼を受けていることに起因する場合が多い。議論が成り立たないのもこのカルトの影響は大きい、議論自体を根本的に否定する意識が基幹領域で自動的に作動するようにセットされてしまっているのである。その事例と検証を上げれば、際限がない。

 

                                                                                              2021 2/11

 

〇1.「息子とは別人格」と言いながら、「父として、調査に協力するようにと申し上げた」、別人格であったら「父として」ではなく、首相として答えるべきであろう、東北新社の社員と総務省の官僚との関係について聞かれているのである。彼らは「推定無罪」の領域にはいない者たちである。「推定」で「有罪」は成り立つのである。「薄汚い」などと言われても仕方あるまい。結局、それは国民が下す裁決なのである。だから、彼らはメディアコントロールに躍起となる。昨今では、三文芸人、オワコンにまで手を出し、駆り出している始末。どちらにしても、やがて、裁決流るる如しとなろう。

2.「WHO」?Who are you? 何をどう言っても、やっても後の祭り、もはや信用されないということである。何でもありと、生きてきた者たちも、それをやったら終わりということを思い知らされることになる。

3.巷では、今、救急車のサイレンの音がない方が不自然なくらいで、その合間を縫って静かに素早く霊柩車が通り過ぎていく。わずか小一時間の間に、これである。真実らしく発表される数値と現実は乖離しているということだ。数値は客観性を保証するものではない、数値から、様々な様相を検証、解析しない限り、数値のマジックに簡単に引っかかることになる。

                                                                                           2021 2/7

 

〇現在、森喜朗の舌禍騒動で荒れているようだが、これは舌禍、口が滑ったというレベルのことではない。この人間の思考回路そのものなのである。したがって、反省、謝罪などとは、ただ言ったまでの話。そのようなことは以前からわかっていたことでもあるが、「他に適当な人がいないから」などという未成熟な反民主主義的回路をインプットされた状態のまま、しだらなく許してきた結果がこれだということに過ぎない。これは何も森個人に限ったことではない、日本特有の珍現象でもある。すなわち、半ば寝ていることを期待されている「民」を相手に、まともに議論も説明もする必要がないかのごとくすべては人間主義的に矮小化あるいは歪曲化され、それに呼応するかのように「民主主義風」独裁国家が出来上がってしまったということでもある。当然、この手の人物ばかりが集うところとなったが、それもすでに至る所で破綻を来している。どのように取り繕っても、これで済むと思う方が異常なのである。もう時間の問題であろう。

 井の中の腐れ蛙ばかりでは、何が起きても収拾はつかないどころか、腐れ水を跳ね上げるだけで厄難を広げていることすら気が付かないだろう。腐れ蛙は一掃するしかあるまい。

                                                                                                2021 2/6

〇しかし、いい大人が、反省、謝罪の繰り返し、小中学生でもあるまい、それで済む話ではない。時代によっては首が斬り落とされても当然の不祥事ばかりである。責任感も緊張感もまったくなし。これを許しているのは誰なのか?今、炙り出されてくるのは、どこを見ても、こんな人間にだけはなりたくないという反面教師のオンパレードである。すべてが地に堕ちているのは否定しようがあるまい。

 

〇「クラブハウス」?要するに、井戸端会議、backstaires gossip、の域を出ない仕掛け、時間の無駄。コロナ禍の時流に乗ったビジネスということか?

 

〇新型コロナウィルスのようなロゴマークを付けているものがあったので、つい見てしまったが、その下には「世界とつながろう」というようなキャッチコピーがあった。笑えないブラックギャグである。コロナ禍以前に作ったものであろうが、ここまで重なるとは思っていなかったのであろう。

                                                                                            2021 2/4

〇「日々悩み、考えながら走っている」、こんなことを今、改めて大衆の面前で言うオツムの具合とは?大方の人間がそうであろうことを知っていて、敢えて私も同様であると「寄り添う」振りをして、言い訳をしているのである。自らの無能無策を弁解するような「寄り添い方」は為政者として失格である。「国民の不安解消にあらゆる方策を講じる」、「方策」とは、はかりごと、手立て、策略であることを忘れるべきではない。これは、不安の原因そのものを取り除く方向でとにかくやれるだけのことをするという意味ではないのである。不安の原因そのものではない、「不安解消」に、あらゆる「手立て(はかりごと)」を「する」と言っているのである。とにもかくにも、本来ならこのようなセリフは一国のヘッドが絶対に口にしてはいけないことである。万が一、多くの者がこれで納得しているのであれば、やはり「全滅」もあり得るであろう。

                                                                                          2021 2/3

 

〇黙止、黙会、黙浴、黙煙、黙視、黙識、黙考、黙食、黙行、・・・「黙」の連続である。中には聞いたこともない「黙」もある。その内に、「黙」と「距離」が習い性となり、どのような精神変容をもたらすことか、気になるところでもある。

All is silent    all is lost ・・・  a lost city・・・・・・・・?・・・・・・・the start of new life?・・

                                              2021   1/26

〇「これで20年飯を食っている、40年飯を食っている」などと得意げにもれ出る陳腐なセリフが今でも時々流れてくるが、つい「だから?」と聞きたくなる。そのことだけで人品骨柄は推して知るべしである。それは「飯を食う」ためなら「何でも」してきたと言っているに過ぎないのである。「何でも」とは、それこそ「何でも」で、「未必の故意」の殺人まで含めてである。長くそれで飯を食っていたことなど、何の価値にも言い訳にもならない。どのような生き方をしてきたかが問題なのである。それだけであろう。概して、このようなセリフを吐く者は、顔、セリフの吐き方にもよるが、人でも食らいそうな者が多い。

                                                                                             2021 1/25

 

〇レディー・ガガは、以前から何とはなしに好きであったが、4年前にトランプが当選した時にはトランプ・タワーの前で抗議していたらしい。彼女に限らず、一級のアーティストは直観的に見抜く力を持っているものである。それは、学者、評論家などの百万言よりも本質的な領域で人間を捉えていることが多い。

                                                                                                 2021 1/24

〇日夜、新型コロナの医療に献身的に従事している、最前基地にいる医師たち、その一人でもある倉持仁医師(宇都宮市のインターパーク倉持呼吸内科)に対して、「テレビに出ないでください。コロナが拡大したのはテレビに出たため、責任とってください」と書いた紙が貼られていたり、誹謗中傷のハガキ、カッターナイフが入った封筒が送られてくるという。もはやこういう者たちに対して分別臭い対応は無用であろう。「頭悪すぎ」なのは当然。もはや「人間」失格などというレベルではなく、ここまでくると鬼畜の類である。自らの愚かさ故に堕ち切った者たちである。現実的には法的処理しかあるまい。因みに、汚い字で書かれてあったというが、筆跡鑑定をかわすために利き手ではない方で書いた可能性がある。「頭悪すぎ」に拘泥していると、金沢の知事のような例もあるから、要注意。総じて、彼らは「政党サポーターズクラブ」のメンバーのごとく意図的で、確信犯的である。

                                                                                       2021 1/20

〇TBS「報道特集」内容は全面的に納得、支援する。まさにその通りである。これは報道の基本であり、まだこのような報道番組があることに一条の光を見る。それ以外の「報道番組らしきもの」などは、言ってみれば、「買われた者」の口から、時には過激に「飼い馴らされた」内容を垂れ流す「報道らしきもの」というのが妥当で、報道などとはかけ離れたものである。

一言付け加えれば、そのような中にも「良心」に従い、できるだけ誠実に関わろうとする番組も僅かではあるが、ある。皆無ということではない。

                                                                                      2021 1/16

 〇「私が考え込んだり、迷ったりしたらすべてに影響する。飽くまで進める」、「私の立場では、今年難しいとは口が裂けても言えない。」これは何もインパール作戦参謀などの弁ではない。現在のオリンピック開催作戦参謀の組織委員会での年頭挨拶である。異を唱える者はすべて重要ポストから外され、「難しいとは口が裂けても言えない」と突き進む。その先に見えるものは?犠牲になるのは?精神構造も含め何もかも驚くほど変わっていない。

このコロナ禍は、綿々と続いている人間の欲望の本源的な様相を微に入り細を穿って炙り出す。

                                                                                                         2021 1/14

 

〇相変わらず、「批判ばかりしていてもどうしようもない」、「対案を出せ」、「当事者意識が希薄云々」等々、お里が知れることもわからずしたり顔の御仁たちが多い、いつの間にか立ち位置をスライドさせられていることに気付かないおバカたちである。一つのテーゼは、様々な批判を経てよりよく展開することすら知らないのである。「対案を出せ」などというのは愚か者の証明、そもそも政権与党として行政に直接関与していない国民の側に具体的な対案を出す必要などあるまい。もし明快な対案を出した場合はどうするのか、数で押し切るつもりであろうが、それこそ「分断」を深めるだけである。「当事者意識が希薄」?にしても、自分の問題として考えなくてはならないといった程度ならわからないこともないが、そうではない。自分の立ち位置を忘れ、為政者(権力者)と同体化して、その方向で考えることが「当事者意識」ということらしいので、笑えるのである。地頭の悪い奴がよく陥るケースである。為政者と同体化などといっても「深み」はまったくない。為政者の方も、どこまでほんとうかわからぬ身辺事情をさらして同情を誘う、その内に民の方は「あいつの苦しい気持ちもわかる」などというところがオチで、やがてそれで一本締めである。「苦渋の選択」の苦渋ばかりが独り歩きをして、その苦汁をわかることが「当事者意識」だと勘違いしているのである。肝心な選択されたことの質、正否、については、議論も正確な説明も情報開示もなく、全く深められていないのである。

民は之に由らしむべし、これを知らしむべからず(論語)

 民は従わさせればよく、説明する必要はないという意味だが、現在の為政者の姿そのままである。さらに、公然とマキャベリズムを信奉すると言っている者が大衆に薄気味の悪い媚を売っているというのが実情である。要するに,「俺はあんた方を騙すよ」と言っている者のやりたい放題を許しているのである。

※マキャベリズム:目的のためには手段を選ばない、反道徳的なことも結果が良ければ正当化されるとする権謀術数。

                                                                                       2021  1/13

 

〇「新成人」、成人式で浮かれた姿が画面に出ていたが、急性アルコール中毒で救急搬送されても、たらい回しで病院には入れず、2時間3時間後、その内に霊柩車に移し替えられ、焼却ということにもなりかねないのが今の病院の実情であることを知っておいた方がいいだろう。このコロナ禍で、通常なら、助かる命も助からないことになるということである。

 今の惨状は、「感染症時代は終わった」という占い師のような御託で、保健所などを減少させた結果でもある。「天災は忘れたころにやってくる」と言ったのは物理学者・寺田寅彦だが、一方では、邪神に取り付かれたような者たちがオメデタイ妄言を発し、それに惑わされる者たちもいる。危機管理上においても、どちらが重要かは明らかであろう。この期に及んで「大丈夫感」、「希望的観測」を至る所に印象付けて、実際は泥棒を見て縄を綯うようなお粗末な対応、それでは結果は目に見えている。

 以前、「ストロンチュウム90は飲んでも大丈夫」と言った学者、「アンダーコントロール」宣言の帝王気取りの御仁などと同様、今回も御多分に漏れず、腐る心さえ持ち合わせないオクサレどもが溢れている。中には、ごたごた言ってないで、さっさと太平洋に消えてしまえと言いたくなるような者など枚挙にいとまもなく、様々である。

                                                                         2021  1/11

 

〇パシリしかできないような者が、いつの間にかアタマになっている。最近よく見る光景であるが、これは、悲劇にしかなりようがない。政治屋、底の割れている売文業、すなわち山師でしかない彼らの駄言、駄文、偽言を真に受けてその気になっていると、どちらにしても酔生夢死、死んでも直らないバカでthe endである。

                                                                                                         2021   1/9

 

〇「メディア アーティスト」? 少なくとも「芸術」とは程遠い、技術的遊戯の領域で、これはメディアをミスリードし兼ねないメディア コントローラーにしかなり得まい。当然、電通などと一体化しつつ時の権力に絡め取られていく方向でそれなりのことをするだろうが、それ以上にはなり得ぬものを、その作りそのものの中に持っている。「芸術」を、「人間」を超えたなど勘違いしたAIそのもので、単なる「反人間」、「非人間」の領域にいるということを自己証明しているようなものである。

                      2021 1/7

 

〇2020年12月31日、東京都のコロナ感染者数1337人で過去最多となった。年頭に予感した通りの年になってしまった。2021年は、私の予想が僅かでも外れることを期待している。

 

〇最近、共和党議員がトランプについて「芯まで腐っている」と言ったそうだが、新自由主義とポストモダンとアメリカン アンチインテリジェンスが合体すればいつでもこのような「人物」は現出する。それは彼ら自身が意識するとしないに関わらずである。その成り立ちからして、腐るような「芯」さえあるかどうかも不明である。そもそも彼らに「芯」を求めても無意味なのである。昨日まで言っていたことなど平然と翻し、今日言ったことなど明日にはどうなっているかも不明である。また、それについての責任など問題外というのが共通している。「芯まで腐っている」と言われる者、腐る「芯」さえ持ち合わせていない者、それは日本でもアベを筆頭にあらゆる分野で芋づる状態であることを忘れるべきではない。

                                                                                                    2020   12/27

 

〇日本学術会議の組織云々より、東京地検(特捜部)、大阪地検(特捜部)の組織を解体、検証、検討するのが先決であろう。全く信用できない、存在理由さえ見出し得ぬ弊害ばかりが多い組織となった。当初より危惧されていた通りの組織に成り果てたということである。組織自体の徹底検証が絶対に必要。

                                                                                                                                                                                           2020  12/24

〇実話風「裏話」、あたかもそこに真相があるかのように思わせているが、それこそまったくエビデンスはないのである。要するに、都合よく作られた話で、誰に都合がよいかが問題なのである。まことしやかに流されるデマと何ら変わるところがない。こんな当たり前のことを改めて言わざるを得なくなるほど薄気味の悪いことが多過ぎる。

 

〇コロナが猛威をふるっているというのに、いまだに議論、その合間に会食、肝心なことを問われれば、専門家は答えを出しているにも拘らず「専門家のご意見を伺いながら進めていく」と言う。しかし、実際には、感染拡大と「go to」との関連性にはエビデンスがないなどと、行動変容を求めるどころか実質的にはgo!go!go!なのである。やはり、そこでも重なってしまう。自分たちは宴会、兵士たちにはもっともらしい正論を吐き、最悪の条件下で突撃を強いる。その挙句にgo to hellとなってしまったことに対する何の反省もないどころか、自己正当化とさらなる国民の犠牲を美化する。国民には「経済が回らぬ」とう大義名分で「旅に行け」、「食いに行け」と指図し、肝心の最前線基地の医療など立て直す気もなく、とどのつまりが最前線基地崩壊寸前のまま、「マスクしろ」、「しゃべるな」、「近づくな」、「用もない動きは止めよ」と国民に求めるだけ。支持率低下で、ようやく「go to 」一時停止。今更停止したとて収まるはずもないことはわかり切ったこと。危機管理上では最悪のことを想定して行うのが常識であるにも拘らず、その常識を通そうとすると「煽る」と言い出す世界の非常識が蔓延している特殊な国でもある。特殊国家の情報弱者、無関心自堕落派は都合のいいように持って行かれるだけである。

 最前線基地は崩壊寸前のまま、検査もろくにせず「経済を回さなければ自殺者が増える」とばかりに、go!go!では全滅は必至であろう。

相変わらず、自分たちは「宴会」、国民に「命じている」こととは真逆のことを平然と行っている。

 

「水際作戦の強化」?水際作戦で成功した例はないと専門家は明言していた。

                                                                                           2020 12/23ー24

 

〇最近は、どこを見ても、「アッと驚く為五郎」!、「ええェっ!と驚く為五郎」!・・・目のやり場に困りつつ目を落としてみても、止まらぬしゃくりのように、そこでも「デへェーと驚く為五郎」!・・・こりゃダメだ!と黙々・・・モクモク・・・

 湯気を上げても、所詮はうどん屋の釜、ただただだらだらと勇ましい責任転嫁の逃げ口上を繰り返すだけ。ごまんといる山師のような言うだけ政治屋の「上意下達」をありがたく聞いている者が果たしてどれだけいるのか?

寅次郎の口上が聞こえてくる。

「見上げたもんだよ屋根屋のふんどし、大したもんだよカエルのションベン」

「四谷赤坂麹町、チャラチャラ流れるお茶の水、粋なねえちゃん立ちしょんべん」

「けっこう毛だらけ猫灰だらけ、ケツの周りはクソだらけ」

 

〇ミサイル配備だって?その前にやることは山ほどあるだろう。医療同様、操作、指令する者がいなくては稼働できないのである。医療崩壊が何を意味するのか?最前線基地が崩壊するということである。もうすでに、自衛隊幹部が5人コロナで倒れている。まだわからのか、戦いはすでに始まっているのである。ミサイルなどは無用の長物。かえって、滅亡の契機ともなる。中途半端、半可通、生兵法は大怪我の基なのである。どちらにしても、軍産複合体は人類の絶滅要因であることは間違いない。

                          2020 12/22

〇恵比寿が、住みたい街ナンバーワンだそうである。もっともである。いろいろもっともらしい具体的理由が書かれてあったが、そんなことより何より、その街に入る玄関口でもある駅で流れる曲がいいのである。「第三の男」のテーマ曲である。この駅に降りると何とも心地よいのである。それに比べると、高円寺駅の「阿波踊り」、例の「踊るアホ―に見るアホ―」である。劣悪なCMを無理やり聞かされているような不快感がある。誰も住みたいとは思わないだろう。わずかなセンスのなさは、相乗作用、連鎖反応を起こし、やがて街全体のイメージを貶めるのである。誤った「町興し」で失うものは大きい。

                                                                                           2020   12/21

 

 〇このまま行けば、対新型コロナウィルス戦は先の大戦同様敗退する。それについては、以前このサイトでも取り上げたが、先の大戦について何ら反省、教訓化できていない点、都合の悪いところは見ないまま今に至っていることが、現在露骨に現れているということでもある。教訓化できないということは、何度でも愚行を繰り返すことになる。最近、そのような視点でより具体的に取り上げている方がいた。真珠湾攻撃、ガダルカナル島の戦闘、インパール作戦などを例に、その作戦、戦略的ミスがどのような経路で成り立ってしまったかを語っていた。具体的面では参考になった。

 このまま行けばと言ったが、大戦時も今更止められない、変更できないと突っ走った結果であること考えると、このまま突っ走るつもりであろう。新型コロナウィルス後とは、言ってみれば、対新型コロナウィルス戦の敗戦後ということになる。どの程度の敗戦となるのか。

 

                                                                                                        2020 12/20

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