151.つれづれに一言で片づければ(26)ー32件ー552件

〇原子力発電、何度も言うが、後始末もろくにできないものに手を出すなということで、問答無用なことである。後始末も満足にできない者を何と言うのか?餓鬼というのである。原発推進派の周辺には本当に餓鬼と亡者ばかりが巣食っている。その言動も、要するに、後は野となれ山となれの奇妙奇天烈なマッドなものばかり。「ストロンチウム90は飲んでも大丈夫」と言った教授は今でも大学で教えているのか?実際に自分で飲んでみたのだろうか?マッドサイエンスはすぐに独走するのである。科学などに無思慮に夢を託していれば人類の滅亡は、突然訪れても何の不思議もない。人類の「英知」」を「集めて」?「英知」など果たしてあるのか、それも「集めるられる」ほど存在するのか?

                                                                                            2020   10/16

                                                                                                                                    

〇「道を外しそうな人がいたらみんなで止めような」とは「鬼滅の刃」の中にあるセリフだそうである。今、「上」から「下」まで道を外す者たちが「これが勝ち組」とばかりに闊歩している。そのような状況を打破する意味でも、このセリフはますます重みを増してくる。もうこれ以上、外道を作ってはいけないのである。みんなで止めなくてはいけない時にきている。「ウソをつかない奴は人間じゃねえよ」、これなども外道である。ただし、これは「道を外しそうな人」ではなく、確信犯的外道であるから、注意を要する。

                                                                                                             2020   10/14

〇そもそも「ウソをつかない奴は人間じゃねえよ」などと嘯いている橋下徹という「人間」とまともに話そうとする者がいるのか?話すだけ時間の無駄である。まともに相手にしたり、聞いていれば、自らアホだということを証明しているだけということにもなる。詐術、詭弁そのもので出来上がってしまっている「人間」を面白がるのはバラエティー番組くらいである。唯一あるのは自分の利害だけで、そこには「人々のため」などという思いは微塵もないことは明らか。これだけ「人間」をおちょくっている者もいない。

 彼らの深慮遠謀、お為ごかしに乗れば一巻の終わりである。

                        2020 10/13

後日、「ウソをつかいない奴は人間じゃない」と言っている奴が、「大阪都構想の裏表」だと、誰が聞くのか?この男もトランプの縮小コピー版といったところである。

 

〇日本学術会議について、「法律に基づく政府への答申が2007年から行われていない」? あたかも無用の長物であるがごとき印象操作である。何かと都合が悪くなるので、2007年から諮問もせず放置、無視、排除しようとしてきただけのことであろう。結局のところ、世界に恥をさらしてるのである。もうこれ以上、恥をさらすのは止めてほしいものである。そうでなくともこの7年8か月で日本のイメージはかなり悪くなっているのである。

 ついでに、「はんこ」がどうのこうの、そんな些末なことで何かやっている気になられても困る。これもまた、目くらましの一環である。他にやるべき大事なことは山積しているであろう。

※正確に記するため一部訂正。なお、学術会議会則に基づく提言は過去3年間で80件以上。

※日本学術会議の会員6人の任命拒否問題に関して、国際的科学誌ネイチャーでさえ、米科学誌サイエンスなども問題視している。この問題の大きさを知らないと恥をさらすだけではなく、取り返しのつかないことになる。

                                                                                                  2020  10/10

〇ベラベラ、ギャギャー、味も素っ気もない空疎な言葉と、見てきたようなウソが織り交ざり、それがいつしか「常識」のようなものを形造る。デマをデマとも思わせない陳腐なアイデアのオンパレード。手を変え品を変えた有名無名の「権威ある」詐欺師たちの「一億総白痴化」運動は今なお綿々と続いているということである。全体主義化にはそれが必須条件でもあるからである。「意識ある系」、ものを考えられる人々などは彼らにとって邪魔なだけ、思考停止状態にさせたまま、隙あらば一挙に全体主義国家へ持って行こうとする者たちは、何かにつけて大量の撒き餌で目くらましを繰り返し、その気にさせておいて一網打尽で「我がもの」とするという寸法であろう。気運に乗じて巧妙な「白痴化運動」にもますます拍車がかかる。それに黙ってまんまと乗せられているようでは、民主主義国の「国民」というより、単なる独裁国家の「民の衆」のレベルであることを自他ともに認めているようなもので、極めて危うい。

 なぜか最近、無声映画が身近なものとなりつつある。あの沈黙に妙に引き付けられるのである。だからと言って、そこから「言葉じゃない」などというわかった風なことを割り出すつもりもない。要するに、「根幹領域」、「根本的なこと」、「本質」そのものにしか共感しない、興味がないというだけのことである。

                                                                                                      2020   10/8

〇SNSなどの匿名コメントは、総じて、「言葉の肥溜め」(CESS  POOL OF WORD) 、極まれに面白い「落とし物」がある程度。誰が書いているのか知らぬが、いつも同じような「手口」と展開、その大同小異の陳腐さ、チンケさ、腐臭につい吐き気を催してしまう。底は完全に割れているし、馬脚どころか喉から尻まで丸見えなのであるが、「本人」はわからないのであろう。万が一、書き手の内容、その真摯さを読み取る力がなければ、「知らず知らずのうちに」自滅するか、ウソに巻き込まれるだけであろう。執拗な繰り返し、それだけが狙いのノイズとも言える。しかし、常に冷静な距離を保てれば、その是非は峻別できる。

 

〇「バカの壁」にしても、「恥ずかしい人々」などにしても、著者自身が一番恥ずかしい人であったり、バカの壁を体現している者であったりするというようなケースが多い。要するに、このような題の付け様でその著者の実態が見えてしまうこともある。耳目を引くことだけを狙った派手な題のものは、その傾向が特に強い。大した必然性もないのに、相手を攻撃している内に、自己暴露してしまうということである。「女性はいくらでもウソをつける」と言った例などもそうであろう。相手を攻撃することに夢中になっている内に、自分が女性であることを忘れているのである。自己矛盾である。それとも、自分はもう女性ではなくなった、あるいは両性具有とでも思っているのか。どちらにしても、普通であれば、これでは全く信用されまい。

 策を弄して墓穴を掘る、よくあることである。

                                                                                                       2020 10/4

 

〇「マキャベリの言葉を胸に歩んでいく」と、菅義偉はその著書「政治家の覚悟 / 官僚を動かせ」(2013年刊行)で言っているそうだ。今時、マキャベリストであることを敢えて明言する者がいるのかと思ったが、考えてみれば、新自由主義というものが大中小の「新種」、「珍種」のマキャベリスト、ホッブズの亜流などを昼夜をおかず増殖させていたということはその流れから当然であろう。奇書中の奇書ともいわれる「君主論」を書いた権力志向の強い、博打好きのマキャベリにとって、万民などは所詮は邪悪なものに過ぎず、野放しにすれば悪しき魂によって行動するものという認識しかない。したがって、「自らが目指す事」に異を唱える者などは、徹底的に壊滅させる対象としてしか捉えていない。そして、その方策、手順などが「君主論」の中で具体的に述べられているのである。このような書が国際政治の指導原理にまで拡大されているということ自体が、国際政治の限界点でもある。トランプ、プーチン、習近平、その他諸々の有象無象の指導者たち。どこがどう違う、権謀術数をほしいままにする怪しげな人間たちであることに変わりはあるまい。逆に、彼らの在り様を具体的に見るという意味ではこの「君主論」は参考になるということに過ぎない。目的のためには何でもありということは、どちらにしても反倫理、反民主主義にならざるを得ないのである。

 マキャベリの言葉を胸に歩む者は、現在「実務的」、「苦労人」、「好々爺風」などというイメージで、その「本体」は隠されているが、やがて、その実態を思い知らされることになるだろう。要は、その幻想に惑わされれば、身動きつかなくなり、死に急ぐことにもなるということである。支配されることに慣れきってしまった民では尚更のこと。

 

                        2020  9/27

 

 

〇未来にまき散らされた冒涜の「飛翔」は、忘却にかかわらず未来永劫、その限界を思い知らすことになろう。

人間の手に負えない、後始末もろくにできないものに手を出せば、かくのごとしである。予想不可能なこの負の遺産は人間の手では決して払拭できるものではない。

                                                                                                   2020 9/24

 

 

〇「日本の立ち位置」? 地上200メートル、幅3センチ程度のタイトロープの上で、バランスを失えば命はないだけのこと。大地の上の「立ち位置」などを想定していると、とんでもないことになる。

                                                                                      2020 9/18

 因みに、タイトロープ上にいるものはすでに「複雑骨折」をしているということである。

 

 〇これがこの「本体」の偽らざる実態である。ここまで見せつけられて、その実情、茶番が見えぬとは、普通であればあり得ぬこと。「多様化する価値観」などという流れの中で、「普通」、「常識」、「良識」というコンセプトがほとんど意味をなさず、機能しなくなってしまっているという証左にもなろう。今、「普通の感覚」を持つということが、逆に極めて困難になっているのである。煎じ詰めれば、「多様化する価値観」の流れの中で、殺人もそれなりの価値観をやがて見出し得るのかということでもある。カルトでもない限り「ポワ」という一言で殺人を正当化することもできまい。もちろん法律にも「人を殺してはいけない」などと言う文言は一言もない。「普通」、「常識」、「良識」というコンセプト自体がいいように加工され、えぐられ、変質して、殺人が「普通」、「常識」となることは避けなければなるまい。「価値観の多様性」などということをすべて「是」とすれば、そこに「魔」が入り込むことは避けられない。

                                                                                                    2020  9/17

 

 

〇八百万の嘘つき神に魅入られた者を継承するという者が、当代きっての「こっくり」仕掛け人では何もない、出てこないのは当然。実のところ、見識がない、内容皆無を、逆に「何でもあり」の武器として渡り歩いてきた者であろう。そうでなければあれだけの「異形」はあり得ない。こういう役割の人間が、センターの椅子に座っても実質的に間が持つまい。やがて、見るも無残な結果となる。じっくりと見させてもらう。

                                                                                                      2020 9/13

 

〇やはり民主主義を育むのは至難の業なのであろう。怯懦で怠惰な精神には全体主義は安き広き門である。だから、すぐに流される。全体主義に導く者、導かれる者たちの言動を見れば、如実に表れている。総じて、両者とも緻密な論理思考に欠けるが、共通しているのは鬱屈した感情の隙に入り込み増殖を繰り返すことである。感情のはけ口でしかないようなものについても御大層な「論」に仕立て上げ、それを思い込み、思い込ませる。思考停止状態で他者に判断を委ねれば全体主義は一瞬にして巨大化するのである。

                                                                                                        2020 9/10

〇「継承」するとは、確かに、この間に作り上げてきた「官僚支配とマスメディア支配」をそのまま継承するということである。これは民主政治とは乖離するばかりで、実質的に独裁政治をさらに盤石なものにするということに過ぎない。こういう最重大事項は抜きにして、単に名を成した者ということで、その下積み時代を面白おかしくバラエティーの乗りで取り上げるしかないマスメディアとは、隷属を自ら宣言しているようなものである。しかし、肝心な問題、犯罪をすべてスルーして何を言っているのかと思う。こんなことを許していたらとんでもないことになるのは目に見えている。

 また、薄汚い提灯持ちの売文業者が雨後の筍状態である。

                                                                                                      2020 9/8

 

〇久し振りに「Earth’s Cry Heaven’s Smile」(サンタナ)を聴いた。つい何度となく聴いてしまった。様々なことが蘇るが、そこには回顧的情趣は微塵もない。今でも自分の中で息衝いているものとどこかで通底し、共鳴してしまったのであろう。そういうことが何気なしに面白いのである。

邦題「哀愁のヨーロッパ」、こんな演歌のような題名で分かったような気になっているようではお話にならない。「Earth’s Cry Heaven’s Smile」やはり、質もパワーも違う。

                                                                                                                                  2020 9/7

 安吾よ、心配する必要はない。「青春」は持続するだけではない、むしろ高まる。青は深海のごとく深みを増し、春は魂の復活である。

 

〇淡路島が手配師の島になったらしい。淡路島から取り寄せているオリーブ、玉ねぎは大丈夫か?その内に腐るのではないかと心配している。しかし、やっていることは手配師そのものというのが、やたら多くなった。何かスマートなことをやっている気にさせて巧妙に搾取する。これもまた朝三暮四のサルを相手に言葉巧みに行う怪しげな商法である。こういうのに限って真新しい英語表記の名称を遣うが、何ら新しいコンセプトはない。要するに、彼らのやっていることは手配師以外の何者でもないのである。

                                                                                                 2020 9/6

〇9月5日、午後の5時の全天空、それはまさに悪魔的であった。何が起こっても不思議ではないような不吉な予兆、偶然そうなったというより、蓄えられたものが必然的にそのように噴き出して来たような、奇怪な様相がいくつも現れていた。預言者、占い師ではなくとも、普通であれば、その感知し得たものに身震いすることであろう。こんな空は見たことがない。

 

〇頭が腐れば尻尾まで腐るのは至極当然。日々伝わってくるのは、オクサレのオンパレードである。新潟のどこぞの教育の長が、このコロナ禍を救うために戦争を起こせば、武器が売れて経済が回るというようなことを言ったという。朝鮮特需などをイメージして言っているのであろうが、この程度のレベルのオッサンたちが多過ぎるから何度でも愚行を繰り返すのである。何度謝罪しても、意識はこの程度で変わることはない。

〇「ユーミン」という歌手について、思いつめた大学教員がいたようだが、それは買い被り過ぎであろう。大体、音楽関係者に知性を求めても無駄である。政治学者らしいが、そんなことをしている間に、もう少し自身の知性を深めるべきであろう。研究の合間に、ピアノソナタを自ら弾いてバランスを保っている者もいるのである。これは後日判明したことだが、授業中に政府批判をしたことについてまで言及している者がいたが、それは何ら問題はなかろう。政治学者であれば当然である。

 

〇イチローが、日本球界には尊敬できる者は一人もいない、人間として尊敬できるのは王さんくらいであると言ったことについて、ある野球通は、よくぞ言ったと嬉しかったと言っていた。野球にさしたる興味もない私ではあるが、野球関係者の人物を見ていれば、実情はそんなものであろうと思われた。

 

〇これだけボロボロにされたら、修復には軽く10年単位の年月を何度となく必要とするであろう。あらゆるものを私物化し、税金を周辺に流し、湯水のごとく使った結果がこれである。これを評価している者などは、それこそお里が知れるというものである。現状は至る所がすでに「焦土」と化している。ここに至るまで知らぬ存ぜぬで、「彼ら」にいいようにさせていた者たちの責任も大きい。

                                                                                                                                                                                  2020   9/1

 退陣表明後、また内閣支持率が上がったという、未成熟な民ばかりで本当にやりやすいであろう。これでは「オレオレ詐欺」も手を変え品を変えはびこるわけだ。

 

〇この間の人々の動き、反応を見ていても、為政者にとって、これほど扱い易く、便利な「民」はいないだろうと思われる。因みに、「街角の声」には毎回驚かされる。ほんとか、嘘だろ、何を見てたの50年、いい年をして止めてくれ、と言いながらのけ反り、ずっこけるばかり。その内に、ついつい、芝居づいて、「あわれな民よ!」「今宵、朕のために集いたる愚かな臣民どもよ!」「とこしえに、朕に傅くがよい」などと言い出してしまう始末。何かと言うと、「上から目線」などと言う割には、自らの意識は自立した市民などとは遠く及ばず、飼いならされた臣民以下、とても民主主義国家の国民とは言い難い者たちばかりなのである。メディアよ、故意にこのような臣民のような民ばかりを「街角の声」として選んでいるのだとしたら、それは罪深い「ヤラセ」であろう。

 やはり、民主主義がほんとうの意味で根付くことがなかったということである。全体主義に流されるのは容易で、民主主義を育むことは至難の業ということのわかりやすい例証でもある。環境問題を含め、新型コロナも「やれるものならやってみろ」と言わんばかりに人間の傲慢さ、愚かさを刺し貫いたように思われる。

 「彼ら」(新型コロナ「たち」)の復讐劇はこれからで、止めることはできない。それが止む時すら誰も答えることはできない。それが「ほんとうのところ」である。享楽的文化生活は、まさに終焉の時で、そのすべてはやがて消え去るか、変質を余儀なくされる。

                                                                              2020 8/29ー30ー31

                                                                                                                                           

〇辛坊治郎、いつ見ても笑い仮面のジョーカーである。言動も変わるところはあるまい。お粗末。三浦瑠璃、要するに、話すことに「論点のすり替え」が多過ぎるのである。これでは信を置く者はいない。松本人志、顔もバックも怪し過ぎる。いつまでもつまらぬギャグを飛ばしていないで、極悪人の映画を主演・監督で作ってみてはどうか。地で行けばいいのである。もっとも、笑いなしでは金が出ないかもしれぬが。しかし、彼らを使う側も何を勘違いしているのかと思われるような使い方をしているものが多い。要するに、アンテナそのものが錆びつき、傾いているのである。

どこを見ても、「桐一葉・・・」である。                  

                                                                                                      2020 8/27

〇先日、友人から、外出を控えている間に、以前から読もうと思っていた全集を完全に読破し、新たな発見もあったという連絡があった。わずかばかりの援助金に踊らされてフラフラ歩き回っている者より充実度は確かに違うであろう。

 

〇「二類相当」?何を今頃ボケたことを言っているのか。それは新型コロナウィルスの感染症法上の位置づけのことであるが、現段階でもこんな姑息なことばかりしている。何のために?それは、わかり切ったこと。

                                                                                         2020 8/25

 

〇今一番欠如しているのが、常識、良識である。しかし、「冷静に物事を見ていくことが大切」などという者に対して、それが陳腐な「常識論」であるかのように言っている者がいるようだが、この現状の読みの浅さ、立ち位置の危うさは、まさに新自由主義とポストモダンが生み出した何でもありの「奇形」である。常識のなさ、良識のなさが今の混迷した状況を作り出しているのである。

                                                                                           2020   8/24

〇「歴代最長」で何を騒いでいるのか?もう少し本質的なことを伝えられないのか?「横綱在位歴代最長」とは訳が違うだろう。為政者に対してもアスリートを扱う乗り、この幼稚さは異常で危険。これなども、長く続けていればいいというものではないという好例であろう。

 地元では、祝いの横断幕が県庁など公の施設に掲げられたようである。これなども常識、良識の欠如、というより「未成熟」の典型である。

                                                                                                                                                 

〇「新型コロナウィルス警戒」に「熱中症厳重注意」、さらには「光化学スモッグ注意報」、今、何気にこれだけの負荷が同時にかかっているのである。これに加え、台風、地震がさらに頻度を増しやって来る。また、コロナ禍は思ってもみないものを誘発させることにもなる。例えば、毎年の狂犬病予防接種に来なくなった飼い主が増えているということは、狂犬病になる犬が増えるということである。狂犬病に罹患すれば今でも確実に死に至る。何も狂犬病に限らず、コロナ禍によって、今まで普通に行ってきたことが止められることによって生じる弊害は測り知れないものがあるだろう。同時にその反動で生じる闇の領域も増すことになる。ソーシャル・ディスタンス(奇妙な、危うい造語)などもそうである。keep a safe distance ということを言ってるのであろうが、ソーシャル・ディスタンスと言えば、社会的に排除の対象となるものから距離を置くというコンセプトも取り入れることにもなり、やはり危ういことにもなる。現にそういう事態が起きているであろう。すなわち、闇の領域を必然的に拡大させているのである。「ステイホーム」、「ウィズコロナ」然り、安易に使っているが、どれも「彼ら」の戦略上の言葉であることを知っておく必要がある。

 「もうピークは過ぎた」(政府分科会)?これでは負けるな。また一方では、「専門家に聞いてもわからないので、わからない」とい大阪府知事、それでは何のための知事なのか。いざとなれば、覚悟もない、責任感もない、自分の役割がまったくわかっていないということになる。

                                                                                               2020 8/22

 

〇「公務復帰?」、「あなた」以上に国民は疲れ切っている。具合が悪くても病院にも行けない、行く時間がないというのが大方の実情である。しかし、「言うだけ」、「やっている振り」だけでよくぞここまできたものである。これだけ「やっている振り」ばかりだとやはり疲れも尋常ではあるまい。異常なことをしていれば、それは必ずどこかに現われるものである。しかし、それは当然の結果である。「あなた方」は、現在の巷の実情をご存じか?「今日の最大の目標は、無事に。家に帰れること」なのである。それが、今生きている者たちの偽らざる真情でもあろう。メディアがよく映し出すヘラヘラ笑っている庶民の姿など実はあり得ぬこと、言ってみれば、「やらせ」の嘘と言ってもよい。現状は、戦場さながらである。それは決して大げさでもなんでもない、日々の生活の隅々に「戦場」は行き渡っている。

 それにしても、PCR検査をなぜ増やさないのか?その説明たるや、お為ごかしの詭弁としか言いようがないものである。情報開示はせず、肝心なことはすべてふせて、国民のためになることには金は使わず、極力避ける。これで通るか?民主国家を成り立たせる国民の不在もさることながら、やはり実質的には独裁国家なのである。八紘一宇のカルト的全体主義。明快さ、合理性とは対極にある世界である。これがさらなる展開を拒む最大の難点である。

 

                                                                                            2020 8/20

〇8月15日は父の命日でもある。日米開戦前夜に帰国した加藤さんという人がどういう人であったのか詳しいことは知らないが、この時期になると父母(故人)の話に必ず登場する人物であった。「そこの縁側で、声高に話すのよ」、「日本がアメリカに勝てるわけがない、アメリカを知らな過ぎる」ってね。「憲兵隊がくるよ、やめておくれ」と言いながら、おばあちゃんは血相変えて来るし。そんな母の話を聞きながら、父は「今思えば、アメリカに長くいた人だから、いろんなことを知っていたのだろう。日本とアメリカの差は歴然としていたんだろう」という風なことをいつも言っていた。世界情勢をよく知っている者には、最初から負け戦だったのである。どんなことをしても勝てる見込みがないから731部隊、人間魚雷、特攻隊などを作らざるを得なくなるのである。言ってみれば、それらはすべてどうしようもない「貧者」の最終兵器である。「神」をいいように利用し、徒に民を死に追いやり、自らが生き延びることしか考えなかった中枢にいた無能な者たちの「とが」は否定の余地がない。無謀だと知りつつ追い込まれていった有能な者たちも数多くいたことであろう。どちらにしても、戦争は無能の証にしかならないということを思い知るべきである。そして、再度戦争が起きれば、日本の国土そのものが消失する可能性の方が高いということである。すでに、日本は原発関係にしても実験場化しているのである。コロナ禍の感染研の動きにしても然りである。地球環境の変動による異常気象、地震・・・今後は「野菜が高騰してます」程度ではすまないであろう。

 どのように暗くとも明確な現状認識がなければ、道は開けない。明るいことを考えていれば何とかなるという希望的観測ばかりでは、かえって闇の深さは測り知れなくなる。

                                                                                     2020 8/15

 

〇8月15日.終戦記念日を前に、「民」はマスクとアルコールだけを武器に変幻自在な未知の最強の敵に対峙しているが、「指令本部」は「後退」、「死守」を「命じ」たかと思うと、今度は「経済?」を御旗に「突撃命令」である。いくら「民」でもさすがに呆れ返っている。中には何をとち狂ったか、「コロナは単なる風邪」という酔狂な者まで現れる始末。さらに、肝心なことを追及できない、自主規制の罠にはまったメディアがどうでもいいことを何かありげに垂れ流すものだから、「民」はますます「モヤル」ばかり。また一方の奥では、例の自己正当化の権化のような歴史改ざん主義者が、東条英機などの美化、正当化、「神話作り」にこそつき、暗躍しているようである。「嘘も繰り返されれば、真実となる」ということをご神託のようにそのまま実践している者たちが「現にいる」ということをSNSなどの利用者は知っておいた方がいいだろう。巧妙に、さまざまな隙間にデマの類を埋め込み「あったこと」を「なかった」ことにし、「なかったこと」を「あったこと」する。何のために?すべては、己の目指す全体主義的世界の構築である。油断をすれば、終戦記念日はすぐに開戦記念日、すなわち終焉の時となる。

                                                                                        2020 8/13

 

〇ノーベル賞学者の一票も、正直者の一票も、山師、太鼓持ち、コソ泥、亡者の類の一票も同じ一票というのが民主主義の限界であることを知りつつ、なお民主主義をよりよく展開するにはどうするかを考えるべきなのであろう。山師、太鼓持ち、コソ泥、やくざ、未成熟者、亡者の代表でしかない者たちを国民の代表のようにしてしまうことの怖さを痛感している。民主主義から愚民政策へ、その段階ですでに全体主義の土壌も道筋も出来上がっている。コロナ禍に気を取られている内に、いつの間にか百鬼夜行の谷底にこけているでは洒落にもなるまい。

 

 

〇「意識高い系」などという言葉を「でっち上げて」さりげなく揶揄し、排除する手法は愚民化政策の一環を担う広報企業・機関の陳腐な戦略であろう。こういう言葉で「真面目に物事を考える」者たちを何気なく茶化し、隅に追いやる隠微な常套手段でもある。これでは、操作しやすい軽佻浮薄な者が一般化するだけで、喜ぶのは、愚民化政策を狙っている者たちだけである。最近、「平和活動していたら『意識高いね』と引いた視線にモヤる若者」とあったが、「意識高いねと引いた視線」とは意識が低いだけである。すなわち、ものを考えることができない者たちということに過ぎない。そのような者たちが「引いても引かなくても」関係ない。飼いならされた自己正当化しか頭にない者たちの「引くこと」を恐れていては何もできないだろう。「縁なき衆生」に一々「モヤる」必要もなければ、自らの道を閉ざしていることもわからぬ「意識低い系」の者たちと一緒になって干からびることもない。

                                                                                                               2020 8/9

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