〇やはり、パリにはいろんな意味でいい悪いは別にして「活力」がある。それに比してご当地東京、日本全国といってもよかろう、その実情は何があっても去勢されたように大方が無反応、隷属隷従が「生きる道」とばかりに日々追われるばかり、若者もただ思うことは「就活」のこと、その後も案の定、作り笑いと馬鹿笑いと貧相な「遊び」に明け暮れて、あたら命の空ぶかし、やがて「終活」を迎え、「棄民である」ことの実情を思い知ることになる。いざとなれば、大方の者は打ち捨てられる棄民であるというのが実情。盲従、隷従の挙句は棄民なのである。幻想、妄想、思い込みが隷属の民の支えである。
因みに、パリの「燃料税反対」は「暴徒化」という言葉だけが踊っているが、気になるのはそれと同時に「展望がない」などという言葉で括るということである。あたかも、反対表明に展望がないと無意味のような錯覚を与えるが、現在問題になっていることについての反対の意思表示で充分であろう。「展望がない」、あるいは開き直って「対案を出せ」などと言うのも言う方の無能の証にしかならないのである。
後日、ご丁寧に日本では消費税増税などでもデモが大々的に起こらないことについて分析している方がいたが、飽くまで一理あるということにとどまる。やはり根幹の領域で「民主」という意味もわからず、自覚もないということなのである。目の見えぬ「民」ばかりではが「民主」にはなりえないであろう。目の見える「民」、すなわち自己の生存がどのように壊されていくかを直感的に、具体的に、知っている人々である。そこでは「現日本」「現政府」が行っているような詐術はまったく通用しない。毎年何万人も自殺者を出している日本、その自殺者は、パリであればそのままデモの規模にもつながってくるであろうと思われる。すべてを自分の責任としてしか考えられないように仕組まれたその罠に気付かなければなるまい。自分の問題と同時に社会の問題も現前とあることを忘れてしまっては、亡者たちの思う壺なのである。
+12/15
〇千利休の死なども権力に近づく者の宿命であると思っている。「侘(わび)茶を完成した者」といわれているが、そのような美意識、精神の在り様を目指す者がなぜ権力に近づくのか、いかなる理由を挙げても解せぬと同時にその危うさ、いかがわしさは払拭できない。
〇何かといえば「粛々と進める」、よく見れば「陰でこそこそと進める」というのが一番適切であろう。
〇アベ友評論家、アベ友作家、アベ友学者、アベ友ジャーナリスト、アベ友裁判官、アベ友芸人、この限りなき悪の連鎖。ここまでくると「アベ友」、「アベチルドレン」などとのんきな括り方で済まされる問題ではない。明確なコンセプトを有する。ありとあらゆるものの私物化である。それは民主政治なるものから完全に乖離する方向である。言って見れば、メフィストフェレスの契約、すなわち「悪魔との契約」である。時代の変遷によっては、悪魔は往々にしてこのような実質的に空疎なつまらぬ、傲慢な者に巣くうものでもある。「悪魔」にとって都合がよいからである。その結果はすでに出ている。全世界に恥の上塗りを見透かされていても、それでもなおわが身が見えぬかのように繰り返される愚行。少なくともこの様「B層」にも見えぬまい。この「アベ」も完全にガラになるまで搾り取られるであろう。やがてその付はすべて国民に回されるのである。第二次大戦後、アメリカがイタリアでファシスト政権に壊滅させられたマフィアを逆に利用したように日本をマフィア化した方がアメリカには都合がよいというだけに過ぎない。これだけ「右傾化している」などという割には実のところ本当の右翼など皆無であろう。その証拠に、これ程の「謀反」に「天誅」など為すものがいないということである。それが見えないのであれば、やはりすべてにおいてリテラシーの劣化、IQの致命的低下ということで、それこそ話にもならない。要するに、何をしているか、何をされているかがまったくわかっていないのである。
11/30ー
〇何が起こっても、減給と謝罪、それで済むのかと思われること頻りある。潔く辞めたらどうか。
〇大阪万博、経済波及効果2兆円、一体誰が儲かるのか?それもまた言わずと知れた官民入り乱れての山師たちである。一般庶民は無関係、あっても雀の涙ほど、やがてぼったくりの憂き目を見ることになる。オメデタイ限りである。そもそも、「仮定のことについては何も言えない」と断言する者たちが経済波及効果の試算などよくできるなと思われるが、実態は捕らぬ狸の皮算用といったところであろう。「ripple」に乗せられ踊るアホ―に見るアホ―、宴が済めば赤字が出たと社会保障は削られて、消費税はまたアップ。黒字だ、赤字だなどと「ripple」を追って出てくる変動数値など不明であろう。「遅いは早い、早いは遅い」、「平和は戦争、戦争は平和」、こんな相場師ような者たちにいつまでも関わっていても埒が明かない。よく見ればどれもこれも三百代言、三流相場師の面構えである。
※the ripple effect 経済波及効果
〇何をしても、猫も杓子も「覚えていません」、「記憶にありません」、その上、司法もまともに機能せずではお話にならないが、それが実情のようである。現実は、「正義」、「真実」などとは無縁であるかのようにただ「流されている」だけのようにみえるが、それで「済む」はずがないことも必ず現実に現れてくるものである。
〇Ghosn is gone. コストカッターなどという者は、煎じ詰めれば無能の証でしかない。誰もやりたがらないことを平然とやれる者ということに過ぎない。嫌われる役どころを敢えて進んで引き受けて若くして手に入れた地位でもあろう。しかし、それは、有能な経営者とは程遠いものである。それが今回の当然の結論に帰結するのである。ルノーにおいても然り、明確なビジネスモデルを提示できない経営者、コストカッターなど、首切りの意味しかもたないリストラしかできない経営者が現在増殖中である。このような経営者にとっては当然、外国人単純労働者の低賃金労働が喉から手が出るほどほしいのは当たり前である。外国人労働者の流入の限度を定めてなどというのは、この悪しき競争社会では言ったまでのことに過ぎない。この目先のことしか見えない無能な経営者集団を抱き込もうとするのが「単純労働者輸入計画」でもある。
ほんとうに頭脳明晰な者がいなくなった。ただずる賢い、臆面もない品性下劣な者がバカでかい顔をして生きているのである。一矢報いよ、こんな者たちを残して勝手に自殺などするな。
現在、「留学生が増えている」などというのも「日本の人気が上がっている」などというのも実情とはかけ離れていると思った方が賢明である。特にマスメディア一般が政府広報と化しているので、それとはなしにバックグラウンド作りにも加担しているのは敢えていう必要もあるまい。それに乗せられるとどこに持って行かれるか不明というより、99%の者にとっては一つとしてプラスになることはない。
2018 11/20
〇「政府見解」、常にまったく意味不明であるが、何を隠しているのかだけは明確である。それにしてもこんなコメントにもならないコメントをただ垂れ流しているだけのメディアなどは実質的に大本営発表と何ら変わることはない。それにしてもここまで内容のないというのもチンケである。またすべてにおいてメディア側に批判的な視点がないということも異様である。
11/16
〇言うのも飽きたが、次から次へとつい言いたくなることばかりである。相変わらず、何しに行ったのか不可解な、「ほとぼり」を冷ますだけのような外遊、外交の数々。もっともらしい目くらましである。待つことに慣らされた国民には気が付くまい。国会での「説明責任」にしてもまともに行った者など皆無であろう。そもそも「説明責任」とは一体何なのか。丁寧に何度も記憶にないことを繰り返すことなのか。「説明責任を求める」?そんな追及で何かできると思っている方があまい。まともな相手ならともかく相手は陰謀政治家、山師、三百代言、人格障害の類なのである。さらに困ったことには、アベ友シンドローム(トランプシンドロームと同質)が一般化してきていることである。リップサービスでその気にさせるのは朝飯前、自分の目先の損得関係だけで動く者たちの気持ちを十二分に心得ている。
11/15
〇三流経済論「トリクルダウン」が上から下へ流したものは金銭ではなく詐術だけであろう。
「アホノミックス」も「アホノミミクソ」と変わるところもなく、見るのも触れるのも関わること自体はばかられる。が、否応なく降りかかってくる惨禍に等しいので各自各様の行動を強いられるだろう。
巷では、「分断」、「ねじれ」、「PTSD」などとわかったようなことを言って騒ぎ立てているが、結局この人たちには何も見えていないのであろうと思われる。そのような言葉で括ってみても集約させてみても何も捉え切れないのである。「分断」「対立」は常にある。今までなかったのような「物言い」はすべて嘘か錯覚である。「ねじれ」などもデモクラシーそのものに元々内在する要素である。「PTSD」、特に元軍人であれば戦争という極めて異常な事態に遭遇しざるを得なかった者たちの崩壊してしまったバランス感覚の狂った修整行動である。これも戦争の惨禍の一つであって「PTSD」などと称して収まるものでもない。今後もこのような狂気の沙汰はまだまだ続くことであろう。
〇巷では、サバイバルナイフで相手の左胸を刺しておいて「殺すつもりはなかった」、運よく一命は取り留めたものの、これで「殺すつもりはなかった」で済むのか?「ぶっ殺してやる」と言った時点で明確に殺意はあると思っている。その時点で相手がどのような反撃に出てもおかしくないのである。脅かすつもりだったなどと言い訳が成り立つのは日本ぐらいであろう。渋谷のハロウィン狂乱騒ぎにしても、今後はおもちゃの銃であろうが「フリーズ」と言っも向かってくれば場合によっては撃ち殺さることにもなりかねない。この「ノリ」でどこでも通用すると思っているいるとかなり危険である。このままいけば渋谷の狂乱騒ぎもいずれ死傷者が出ることになろう。
単なる「ノリ」ではなかろう、まさに精神病棟そのままである。これが笑える、楽しいのであればかなり「ヤバイ」。頭がもう「ヤラレテイル」ということである。
〇ホンジュラスからの難民の大移動、すでにこの中にアメリカ側からも軍関係者、もしくは極秘任務の者が潜入していることは誰の目にも明らかであろう。すでにトランプは「テロリストが潜入している可能性がある」と難民に対する攻撃の正当性を事前に告げているのである。実際にテロリストかどうかも不明のまま、また多くの犠牲者が出ることは間違いないであろう。
煎じ詰めれば、難民を出しているのは、一体誰なのか?それがすべての元凶でもある。今、この地球上で自分たちだけが「ファースト」などと言っていること自体、人類は否応なく破滅の道を進むしかなくなるということの証左でもある。
ホンジュラスからの難民の大移動、死から逃れ再び死へと追いやられる行進である。この血の行進の全責任はトランプとその支持者にある。
〇どのような仕事をしている者であれ、政治、社会的事象について発言するのは一市民として当然のことであろう。「余計なことは言わずに自分の仕事をしていればいい」などというのは一見もっともらしいが一市民としては怠惰であり義務を怠っているということになる。歌手であろうが土木作業員であろうが一市民として感じている、思っていることを言うのは至極当たり前のことである。その生業で有名か無名などとは無関係に、その生業とは別に人間として、一市民として言わざるをえないことはあろう。「専門家」などに任せっきりでは危うい、「専門家」などが「正当な見解」を述べているとは限らないという事例は枚挙にいとまがないのである。
「国民が一々口出しするな、軍のことは軍に任せて置け」などと勇ましいことを言っていた「軍事の専門家」である軍幹部がなした結果が先の大戦の悲惨な結果でもある。そして、そのような者たちが一旦崩れだすと無様であるというのは、軍人などの精神文化レベルの低さに基因するとすでに指摘されているとおりである。総じて、「専門家」と称される者たちの核心的な領域は脆弱な場合が多く、わかりやすく言えば「専門バカ」、中には言葉の操作だけでに終始する空疎な「商売人」もいるということである。
〇安田純平氏に対する非難のツイートを見ていると、どれもこれもなぜか十人同色で、正論気取りの偉そうなものが多いが、総じてうだつの上がらない小役人的な内容である。民主主義国家における個人と国家の在り様がまったくわかっていないということである。実人生ではびくびくしながら生きて他人の自由な行為についてはここぞとばかりに異常に反応する。そんなに自由が怖いか?とつい言いたくもなる事例である。
「生きて虜囚の恥をさらさず」などの呪縛がいまだに解けない者がいるのか。ツイートが大同小異であるということは発信元がほぼ同一なのであろう。因みに、生きて虜囚の恥をさらしたのは時の最高権力者である。
〇現代日本の鬼女の実像、わざわざ巷間を探し回る必要はない。権力に群がる女たちを見れば一目瞭然。やはり権力の「魔力」であろう、困ったことにメフィストは「魔力」を与える者の能力の有無を問わないのである。悪魔は身も心も捧げる者ならアホでもそれを手中に収めさせるが、結局のところその代価は想像を絶するものとなる。この間、権力の中枢でうごめく者たちの様相をライブ感覚で見せつけられたが、醜悪以外の何ものでもない。それは生々しい悪の標本でもある。悪の「仕込み」から「発酵」、「醸造」に至る全過程、その結果生み出されたものがたとえうまかろうがまずかろうが悪は悪なのである。そして、その負の仕返しは必ず現れる。
〇単なるマッチ-ポンプ屋なのか、自分で火をつけたことも忘れて人々から見える高台で火消し役を印象付ける。ああ言えばこう言う、そう言えばああ言う、どう言っても自分以外はフェイク。「葉隠れ論語によると、どんな悪い事でもいったん自分がやらかしてしまった以上は、美名をつけて誤魔化してしまえ、と諭しているそうだ」。葉隠れ論語を持ち出すまでもなく、どこでも奇怪な「人間」の考えることは同一である。ホンジュラスからの難民の大行進に向けて軍隊がテロリストが入り込んでいるという理由で発砲するのではないかと懸念している。
2018 10/28
〇「食いたいもの食って、飲みたいもの飲んで、それで体こわして税金で云々」御存、天下に知れわたった品性下劣な「大臣」の言だが、そもそも誰が食いたくないもの食って、飲みたくないもの飲むのか?そんな者は一人としてしていないだろう、たとえ摂生している者でもそうである。浮浪者、飢餓状態にある者以外にそんなことをするはずもないのである。実情の多くは、高価な良質なものを買えず安物を多量に摂取するしかないことに起因しているのである。
10/27
〇イケメンはホストにしか見えず、ブスはやはりブスである。臆面もなくよく自分の顔の大写しを載せるものだと感心させられる御仁が多いが、自分のことはそれだけわからないものなのであろう。「みごとな顔」に出会うのは名もなくそれほど裕福でもない人々の中の方が多い。40歳を過ぎなくとも顔には責任がある。「すべて」読み取られているのがわからないのであろう。もっとも鉄のような面の皮した御仁もいるから読み取られていようがいまいが知ったことではないのかもしれないしれない。が、隠した方がいい一番の恥部は実は顔なのである。
〇南青山を久しぶりにぶらついてみるかと思っていた矢先、南青山住民の児童相談所建設抗議、反対の声、その内容のどれもがこの住民たちの安っぽい自意識、エゴだけ、それを見せつけられて興ざめしてしまった。もう二度と行くことはあるまい。「ブランドだ」、「一等地だ」、この程度の意識しかないのである。要するに無粋なのである。粋ではない野暮な街に 敢えて行く気はしない。南青山は何のことはない成り上りの「田舎者」の街だったのである。ブランド志向などというのは詰まるところ内容が空疎であるという証でもある。彼らの言動から文化レベルも見える。貧相である。
10/25
〇自衛隊のパレードが全国そこかしこで行われているようだが、軍事オタクは別にして一般人がどのような神経で見ているのであろうかと思う。もし、火器、戦車、戦闘機等々、これを花火大会を見るような感覚で見ているのであれば最悪である。これは飽くまで殺人兵器、部隊の示威行進なのである。その抵抗感、違和感を徐々に緩和させていくのがその主な狙いであることはすぐにわかる。どちらにしても、このような軍事パレードを企画する側の意図は見え見えなのである。平和ボケした国防意識だけで「愛する」?「お国」?を守れると思ったら大間違い。それはそのまま無謀な亡国の兆しともなる。要するに、ものを知らな過ぎるということに尽きるのである。
その内に、ディズニーランドカラー、ショッキングピンクの戦車のパレードが見られるのではないかとさえ思っている。
2018 10/22