122.つれづれに一言で片付ければ (8)ー18件ー(93件)

〇実質的に国民の20%程度の支持しかない者たちが政権を握り勝手放題。それを許しているのも国民の大半を占める無党派層の責任である。、しかし、彼らの多くは薬物依存のように自堕落で、現実逃避の幼稚さで絡め取られ現状認識が欠如しているか、甘すぎる。無党派層をそのような状態にして置くのも計算の上である。無党派の動きをいかに封じ込めるか、それは今に始まったことではなく戦略として常に研究され続けているのである。要するに、罠にはまった無党派層は現政権の補完層に過ぎないのである。だから20%の支持だけでやりたい放題なのである。しかし、よくこんな安っぽいシナリオに手もなく騙されるものである。これではやはり詐欺師の天下であろう。IQが低すぎると言われても仕方あるまい。

                                     10/14

 

〇「巧言令色すくなし仁」とは昔からよく言われてきたことであるが、今でもそのまま通用することである。口先だけはこの上なくうまく、他人の気に入るような表情で媚びを売る者、このような人間に最も欠けているのが「思いやり」ということを忘れないことである。詐欺師は、常に金に困ったと言いながら、おためごかしを言うものである。増税と社会保障、教育無料化の関係、少なくとも現政権の「彼ら」が言う限りそれは絶対にウソである。実際、社会保障にしてもその使い道はまったく不明瞭である。散々海外で金をバラマキ、国の財産を私物化し、米国の言うがままの防衛費の拡大、そのすべてをまた国民に背負わせる。これでまた騙される国民とは?もはや自業自得としか言いようがない。

                                     10/11

 

〇「保守化」?、それでは「保守」とは何か?「保守」の明確な意味もわかっていないような者が勝手なことを言っているのでは困る。これもまた以前取り上げたことでもあるが、単に「現状維持」を「保守」に置き換えただけなら、とんでもない誤りである。「若者の保守化」?これで何を言いたいのかと思われるが、若者「一般」がしだらもない現状維持の傾向(これでは落ちるだけ)にあるという意味ならわからなくもない。とにかく、わずかな抗議、批判にびくつきながら逃げ回るように街頭演説をして訳のわからぬことをくだくだしゃべっている首相を「保守」というのなら、現在「保守」は存在しないか、死滅しているのである。この程度で逃げ回る者を信用しろと言う方がどう見てもオカシイのである。いざとなればいの一番に逃げ出すだろう。

                                                                                                                                    10/9

 

〇日本の記者クラブなどは世界の珍現象なのであろう。「オフレコ取材」ができなくなるから政府の顔色をうかがうなど、政府のパシリかと言いたくもなる。政府の肝心な「内部事情」など誰が話すか、裏話、オフレコの話の実態などたかが知れているのである。そのような話を流すことで逆にいいようにコントロールされることの方が多いのが実情であろう。裏事情を知っているのがジャーナリストと言わんばかりに、したり顔で話しているおバカな(ポチのポチか?)ジャーナリストを見かけるが、それは単なる政府のメッセンジャーに過ぎないということでもある。さも大それたことを知っているかのような素振りで持って回った言い方をするが、それ程のこともないことがすぐにわかる。そこに真実、事実がなど隠されていることはほとんどないと言ってもよいだろう。「ぶっちゃけた」話など聞かされたところでどうにもならないのである。「言ったこと」、「やったこと」以外には何もないのであるが、場合によっては「言ったこと」も、「やったこと」もないことにしようとするのだから「オフレコの話」などに意味のありようがない。「ないもの」に振り回されているとは「ジャーナリスト」としては悲劇ではあるが、「メッセンジャー」であればそれは日常のことで済まされる。最近では見世物興行師のような者まで「ジャーナリスト」というから一行三文の報道屋程度に見て置くのが一番適当であろう。

 

 記者たちよ!クラブなんか作って集っていないでやることやれよ!「日本記者クラブ」、何か日本以外にもありそうな名称であるが、先進国でこんなクラブは存在しないのである。これもガラパゴス記者クラブとした方がより正確であろう。

 

 因みに、政治屋とつながれば株などで儲けることも可能であろう。餌につられた記者クラブじゃ突っ込みようはあるまい。だから、しだらもない慣れ合い会見なのである。早急に解体すべき。単なる政府見解の垂れ流しなど聞いてどうするのか。それも「アベ・シンドローム」の感染者ばかりじゃ話にもならないのである。

                                       10/7

 

〇私は芥川賞作品などここ30年近く読んだことがない。読みたいとも思わないからである。「本屋大賞」に至っては敢えて言う必要もない。どうもノーベル文学賞にしても辞退するくらいの作家にしか興味を持たないようである。日本では、スポーツ選手の金メダルのノリで村上春樹がどうのこうの騒いでいるが、バカバカしいの一言である。村上の読者も、もしそのようなことを期待する程度のものしか持ち合わせていないのならそれまでのことであろう。要するに、インテリジェンスと問題意識の深みに関わることである。かたや、カズオ・イシグロには作家として必要不可欠な書く必然性と問題意識、インテリジェンスが具わっている。ノーベル文学賞を受賞したとかしないとかということより真に作家と呼べる作家であると思われる。現在の日本では、売文業者ばかりでこのような真に作家と言い得る者は皆無に近いと思っている。ノーベル賞云々より、辛うじてライトノベルと似非文化に慣らされた頭でどこまでついていけるのか、自らの置かれた「位置」を考えた方がよかろう。

                                    10/6

 〇「希望」「幸福」「美しい日本」・・・こんな言葉を前面に出さざるを得ないというのは何もないという証左なのである。このような言葉を遣うところは危険であるということは以前にも言ったことがある。要するに、希望がない、幸福ではない、汚れているという裏返しに過ぎないのである。希望はいつでも奇望となり、危望となる。幸福も同様、やがて荒福となったかと思うと叩福(こうふく)にもなる。それはあるかないかわからぬものにすがるからである。すべては現状を直視するところから始めねばならぬ。さもなければ何度でも詐欺師の餌食になるだけである。ただ愚かでしかないものを愚直というのも詐欺師の詐欺師たるゆえんである。

 

〇西部邁が「安倍首相は『真の保守』ではない」として、「保守」とは何かについて検証し、現在の「保守」の意味を取り違えていることに警鐘を鳴らしていたことを知って(10/3 ダイヤモンドオンライン)わが意を得たりと思っている。まさか西部邁とある意味でも見解が一致するとは思ってもみなかった。

 

〇「リベラル派」? 一体誰のことを言っているのかと思ったが、 「彼ら」のことを言っているのなら、いつからリベラル派になったのか?もともと彼らはリベラルでも、リベラル派でもない。リベラルという意味をもう一度検証する必要があろう。もっとも、自由と民主とまったく相いれない者たちのグループを自由民主と称するのと同様の政治用語というのならわからぬもないが、今この言葉をあえて遣うのは「無党派層」を考えてのことであろう。「リベラル派の排除」という使い方でさも反民主主義的イメージを作り無党派層の分断、切り離しを「謀る」。しかし、その謀り事に反してリベラル派も際立ってくる可能性も出てくる。現在は真の保守がいないと同時に対抗勢力もいないということを明確に抑えて置く必要があろう。まともな保守がいないから対抗勢力も育たないのである。現政権は表向きは「政治の真似事」をしているが、内実は「烏合の衆」と言うより「詐欺師の衆」と見る方が妥当であろう。このような集団に対しては今までの「革新勢力」などというコンセプトでは対抗できないのである。その場限りのすり替え、虚言、甘言は日常茶飯事で容易にかわされてしまう。明確に物事を言う保守と同時にその対抗勢力としてリベラル派がその位置を占めるというのが健全な本来の在り方でもあろう。そうでなければいつまでもその場限りの言い抜け集団に牛耳られ、何をされてもわからない半ば認知症状態のまま生きざるを得なくなる。現政権は保守でも何でもないことを明確に抑えて置く必要があろう。彼らの訴えるすべてに対して、「それじゃお前は何をした」、「何を偉そうに恰好つけているのか」、「それはお前の事だろう」、「詐欺師の世迷言」と大なり小なり多くの者がそのように感じているのである。一寸先のことさえ実は誰もわからない、わかったようなことを言っているのは一番危ない。今、ほんとうに感じていることだけを頼りに御用の筋の「電波芸者」たちのもっともらしい文言に乘せられずに判断することである。このような状況では「デマ」も活況を呈するので細心の注意が必要であろう。彼らがいかに取り繕ってみても、彼らの国会での醜態、醜悪なやり取りを決して忘れてはならない。あれがすべてで、今後も何をやらせても一事が万事であることは間違いないのである。

 因みに、「保守対保守」という構図を示しているところがあったが、現政権は保守でも何でもない。まず保守を明確化させるところから始めるべきであろう。それと同時に「リベラル派」も存在意義が際立ってくる。「詐欺師の集団」に対抗し得る「リベラル派」などは在り様がない。だから国民の「受け皿」なるもの自体が形成されないのである。たとえ作られてもがたがたでひび割れているということになる。言ってみれば、何でもありの詐欺師の「手法」が「リベラル派」を浮かび上がらせないのである。すべてに関して明確な言語を避け、それに代わって根も葉もない感情的言語ばかりが遣われる。曖昧言語にならされるということは思考回路も曖昧になっていくのである。結局、焦点はぼやけ、何も進展せず、同一地点を回転するばかりである。時系列的に着実に進展するのは情報を遮断された国民不在の「独裁」体制だけと言うことになる。

                                      9/30

 

 

〇高齢者の自動車事故を頻繁に報道するメディア、それによって実際は高齢者よりも25歳以下の者の方が事故発生件数は高いのであるが、客観的な数値より感情的なものが優先され、その挙句に「高齢者から免許を取り上げろ」ということになる。そして、それを根拠に政策が決まってしまうという何とも不可思議な国なのである。これは何も高齢者の自動車事故に限らない日本の実情である。繰り返されるメディアの報道を見て「高齢者から免許を取り上げろ」と一瞬でも思った者は、いつの間にか現状とは反したことに向けられコントロールされている恐ろしさを知るべきである。

 

〇政権担当者のメッセージはいつまでも無言で垂れ流し、国民の疑問でもある野党の発言、動きに対してはもっともらしい疑問と批判を浴びせるマスメディア、どう見ても狂っている。逆であろう。普通の感覚、常識を持っている者ならこの政権に「義」がないと思うのが当然なのである。そうでないと言う者はその不整合さそのものをいやが上にも露呈させざるを得まい。後はいつもの糊塗、ねつ造、すり替え、虚言の繰り返しである。

                                                                                                                                      9/29 

〇「はしたない解散」とは言い得て妙。「大義」云々の話ではない。「国難突破解散」とは笑止の沙汰。「疑惑突破解散」と言った方がよいだろう。何度でも言うが、その美辞麗句とは裏腹に何でもあり、何でもする者たちである。ねつ造、糊塗、すり替え、隠ぺい、嘘、でっち上げは日常茶飯事で、国民はだます対象でしかない者たち。彼らの言っていることを真に受けること自体が問題なのである。100%虚言しか言わない者がこの期に及んで何を恰好をつけているのかと思われる。四の五の言わず早く消え去るべきであろう。みっともないの一言。保守とは名ばかりで、日本の美意識すら理解できないとみえる。私利私欲に目がくらむとここまでくるものだと人生の教訓にさえなる事例である。

                                                                                                                       9/26

〇北さん、トラさん、シンさんの三バカトリオがやたらと「売れている」らしい。巨大スポンサーはMICの1「社」のみ、すなわち軍産複合体である。馬鹿笑いしている内に世界の幕が下りないことを願うが、抑えがきかない者たちだけに弾み、勢い、ミスキックが怖い。

 

〇解散について「総理の専権事項」などと臆面もなく言う者たちが舵取りしているのである。このままでは間もなく座礁であろう。知的レベルも見るも無残、狂っているのかアホなのか、もう一回基礎から勉強し直した方がいいような者が権謀術数と根回しだけで偉そうに仕切っているのであるから最悪である。これを許しているは誰か?

再度問う、「総理の専権事項」とやらを明確に説明してみよ。どういう解釈をしているのか。歪曲以外の何ものでもない。大学で肝心なところをろくに勉強もせず世事ばかりを身に付けた結果であろう。

                                                                                                                     9/25

〇無党派層、特にそれを根拠に棄権する層とは一見恰好がよさそうであるが、単にイカサマ師、魑魅魍魎たちの「罠」にまんまとハマっている者たちということに過ぎない。言ってみれば、イカサマ師の補完層なのである。このままいつまでもイカサマ師たちを闊歩させていては、いつの間にか素っ裸で逆さづりになっているということにもなりかねないのである。

                                                                                                                        9/24

〇「息をするようにウソをつく」とは私がこのサイトで遣った表現でもあるが、100%口から出まかせばかりの「御仁」の映像、文言を垂れ流すマスメディアとは改めて一体何なのであろうか?まったく意味のないというより、垂れ流される内容に吐き気さえ催す始末である。

 

〇普通であること。「それは変だ」、「それはオカシイ」と思えること、それが唯一の国民の武器であろう。どのように言いくるめても嘘はウソ、変ものはオカシイのである。「普通であること」がオカシイという世間体を作り上げることが「彼ら」の主な目的なのである。

                                                                                                                             9/23 

〇「電通」などの実態は、やはり下層労働者の集団なのだと思わざるを得ない。さらに言えば、基本的に権力に奉仕する「走狗」の集まりといってもよいだろう。総じて、「大手企業」などに勤めてる者たちの世間体を気にした空疎な内実は人間の領域を逸脱した、それこそ「鬼」の領域に足を踏み入れることで辛うじて維持されているのであろう。「働き方改革」、「人づくり改革」、「教育無料化」などでさらにこの悲惨な実態を麻痺させ常態化させるするつもりなのである。スマホのゲームに取りつかれた「もの」なども、どう見てもヒューマノイドにしか見えない。一つの様態がすべての様態で、現実的には足元も前方も見ていないのである。 

                                                                                                                            9/22

〇「森友、加計学園問題」を「小さな問題」という国政担当者、つい「オツム」の方は大丈夫かと思ってしまうが、この手の輩が実に多い。これが根本姿勢で、国民など騙す対象としか見ていない証左である。ついどこの選挙区かと思ってしまう。

                                                                                                                             9/18

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