〇議員のスキャンダル、脇が甘いどころか全身がたるんでいるのであろう。それにしてもである、何と周囲の脆弱なことよ。相手は魑魅魍魎の集団で、何でもありということを忘れている。潰す機会を虎視眈々と狙っているのである。こうなれば後はスキャンダル屋の餌食である。これで笑っているのが真「犯人」ということになる。この魑魅魍魎の集団は一方ではまたぞろ「異次元の圧力」などという訳のわからぬ空疎な「目くらまし」をぶち上げている。そこには当然、数学的意味も物理的意味もない。そうかといって、ものの考え方、立場の異なったという意味で遣われる「異次元」でもない。この「異次元」は非日常空間の意味で遣っているのである。すなわち、「異次元の圧力」とは具体的には非日常空間そのものである「武力行使による圧力」ということに置き換わるのである。戦闘、戦争は非日常空間という意味で「異次元」なのである。これでまた喜ぶのは、軍産複合体すなわち死の商人とそのオコボレにあずかる者たちだけ、そして「もっともらしき義」に煽られその気になっている者たちがバカを見るだけということになる。
9/6
〇ヒトラー云々然り、「言葉尻をとらえて」、「失言」などというレベルではあるまい。こんなことを許しているから文化、教養レベルまで疑われるのである。この失言内容にすべては現れている。いつまでも詐欺師の群れに対して、カモがネギ背負って鍋まで持って行くようなことを繰り返しているから詐欺師が闊歩し続けるということである。騙される方も生き方のスタンスが甘いのであろう。
〇いまだに「左翼系メディア」がどうのこうのと言って、何やら大した内容もないことをまくし立てている御仁がいるようであるが、そもそも「左翼系メディア」などどこに存在するのか?この御仁が言っている程度のものが「左翼系メディア」なら自由な言論活動など成り立つまい。この手の御仁とは、例外なく軍事独裁政権が好みである。軍産複合体のパシリとそれに巻き込まれる者たちがいることもいつものことである。要は、「冷静でいる」こと。できれば、「冷徹である」こと。
9/1
〇余程ナチスが身に染みていると見える、またナチス云々である。この麻生何某は家系を辿るとやはりナチスと「関わり」があったとしても不思議ではない末裔である。
※興味のある方は調べてみるとよいと思う。マスメディアではほとんど取り上げられていない。
8/30
〇「議員は悪いことはしないだろう」などという発想そのものがおかしい。そもそも議員を「先生」などと呼ぶこと自体が奇妙奇天烈なのである。彼らは多くの者に尽くすシモベである。だからこそ政治主導も正当化されるのであるが、そうでなければ「すべては」否定されてしかるべきなのである。
8/28
〇早速、政道とは欺くことと見つけたりの四人衆の下卑た馬鹿笑いの写真が載っていた。彼らの笑いと庶民の笑いは常に逆比例していることをゆめゆめ忘れてはならない。どう見ても、薄の穂にも怖じる落武者の影はない、やはり後は野となれ山となれの日本を食い物にしてきた輩であろう。
8/27
〇オワコンが オワコン呼んで 空騒ぎ ー驚き桃の木山椒の木のテレビの痴態ー
〇総じて、政治家とは一瞬たりとも目を離してはいけない者たちなのである。いわんや彼らに任せるなどとはとんでもない思い違い、勘違いも甚だしい。それでは命知らずな極楽蜻蛉の類と同様である。実際、政道とは欺くことと見つけたりと言わんばかりの者たちで溢れているではないか。
〇メディア、専門筋らしき者たちが何だかんだとどのようなことを言ったところで判断するのは自分自身であることを思い知った方が賢明であろう。彼らの言うがまま、受け売りでは話にならない。
〇世は軽重浮薄が趨勢のようである。ライトノベルにライトライター、何かというと「〇〇系」などとしたり顔で分類して気の利いたようなこと言っているつもりの薄「理」多売の売文業者の横行もすさまじい。電通、博報堂あたりのコピーライターの底の割れたコピーに踊らされるのもいつもの通りである。これではすぐに燃え尽きるのは道理。すでに燃え尽きている者が粉飾しようのないものを嘘と「そらし」でカバーしようとするからである。
〇弾道ミサイル発射想定避難訓練、見れば確かに世界の物笑いの種である。ほんとうに頭の方は大丈夫かと聞きたくなる。やっていることは「国民を守る」と言って竹やり持たせて国民を盾にした者たちと大して違いはあるまい。これで米国の言いなりのミサイル購入で税金は防衛費に消えるということを認めさせようとしているのであろう。戦争屋のスピーカー、煽り屋の類のもっともらしい御託がかまびすしく、それを後押しする。やはり、非を非として教訓化できない者は何度でも同じことをするものである。何度も過ちを犯す者を愚者といい、自ら明日を閉じるのである。
8/12
〇「戦場のピクニック」、アラバールとは無関係だが、何でも冗談にする愚かさと、心にカビを生じた凡庸さにとって、そして己の無知を知らない者にとっては、戦場もピクニックと同様、さしたる変わりはないのであろう。どこを見ても、ポスト不条理劇の出演者には事欠かないのが現状である。
〇夏祭りの時期となったが、なぜか「阿波踊り」がそこかしこでやられている。その土地の特殊性もなく、その必然性もない「阿波踊り」で町おこしなどとはあまりにも安易すぎる。夏の風物詩も徳島の阿保踊りばかりというのでは知恵も風情もあるまい。
〇「答弁は差し控えさせていただきまます」、「記憶にはありません」、「廃棄しました」・・・こんな神経が2,3本抜けているような、認知障害の責任能力のない者に、あるいはこれで通る、許されると思っている者に今後どう向き合うか。自ずと答えは出てくるであろう。まず「居場所」を与えないこと、追及し続けること。
〇電気自動車の普及が原発容認の方向に向かうのではないかという予感はかなり前からあった。最近のジャーナリストの指摘の通り、具体的な企業の動きを見ても「すべては仕組まれ」ているとしか思われない。やはりこの「クリーン」もかなり危うい。
8/8
〇よくよく見ていると、やはり「人間」の範疇にはいない「人間」という名称の「生き物」である。ホモ・サピエンスなどという名称ではもはや括れない領域にいる。「人間」というコンセプトから完全に外れてしまっているのである。当然、「日本人」というコンセプトからも本質的にズレている。
8/6
〇「前へ進める」、「前進する」、ほんとうに何にもわかっていない。立っているところは崖っぷちである。前に進んだら崖から落ちるより他に道はないであろう。言語はますます幼稚化し、空回りもはなはだしくなってきている。それは当然、頭脳回路ともリンクしているのである。平気で裏切るというより、幼稚すぎて裏切り行為そのものですら認知できないのではないかとさえ思われる。
〇何だかんだと言っても安倍ご一同様、これで何かやってくれると思う方が危うい。疑惑についても解決する方向で一歩も進むことはあるまい。むしろ、時の経過とともにまたぞろ「陰謀論」、確実にあることをないことにするという意味の「風評被害」の類似コンセプトの類が出てきて、「事」を中和させ「事」自体があたかも実はなかったかのごとくの「流れ」を作り出す。
2017 8/3