125.つれづれに一言で片付ければ(11)11件(148件)

〇お笑い芸人とは、他人を笑わせるのではなく自分が笑う「芸人」のことを言うようである。

 

〇サイコパスに認知症では、手が付けられまい。それが一国の舵取りという恐ろしさ、いつ沈没してもおかしくない。それと100%同形という御仁の国も同様であろう。

 

〇「はれのひ」、「うつくしいひ」、「うつくしいにほん」等々、今時小中学生でもつかわないこんな修飾語をつけた言葉をつかうのは詐欺師の類しかいまい。まったく画一的な独創性のない誰のための成人式かわからないような式はやめた方がいい。

 

〇ただ目立ちたいだけの人々、何ともみっともない。その醜態、見透かされているのがわからないのであろう。

 

〇「政を為すは人にあり」とはそもそもが有り難き事なり。大方の様は、政とは欺くことと見つけたりというのが実情であろう。殊に昨今の詐欺が群れをなして地を這う様に驚き呆れている。詐欺の中の詐欺師はよく見れば舌の先も二枚どころか三枚四枚に長く別れ、その声も内容の軽重にかかわらず途方もなく軽い。

 その他でもそのような例には枚挙にいとまがないが、最近でも「経済評論家」と称する権力におもねる相場師、香具師、占い師の類ではないかと思われる者がいたが、無知で無恥な御仁に限って講釈好きなものである。しかし、「上」から「下」まで、ウンコの山である。我々はウンコの山に囲まれているようで、取りあえずはウンコの山に押しつぶされないように気をつけるしかないが、世の中には酔狂な御仁もいるようでその巨大なウンコの山を裏で支えているから、あいた口もふさがる暇がない。

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〇以前にも言ったことだが、このままでは馬鹿笑いの内に庶民の「小さな幸せ」は幕を閉じることになりかねない。大手マスメディアの劣化のほどを見れば一事が万事であろう。世界の情勢に反して夢と希望ばかりを取り上げること自体がおぞましいのである。そのことで逆にそのおぞましい内実が丸見えになってくる。すなわち、大ぼらということである。大衆にほらを吹くなら大ぼらの方が効き目があると言ったのはヒトラーである。いつでもヒトラーは親しげにあなたのそばに寄り添って来ることを忘れてはならない。

  現在、ヒトラーの亡霊は世界中を彷徨っているようである。ゴーストからスピリットへさらにそれに「具体的な形」を与えてしまうのは人間の際限なき欲望である。言い換えれば「経済的発展」の飽くことなき希求そのものを問題視しなければならない時代なのである。金融資本主義などの過熱がもたらすもの、それは「人間」そのものの破たんでもある。自分たちだけが良ければいい、自分たちが「第一」、自分たちだけが助かればいいなどという発想自体には希望も夢も、安定、平安さえ入り込む余地はなく無縁なものである。

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〇「格好をつけない」のも「恰好」の内、恰好を付けない「振り」である。もし徹頭徹尾格好を付けない「本音」で生きている者がいたとするなら遅かれ早かれ自己解体は避けられないだろう。実際は「本音」などというのも多くは「加工」されているのである。人間は本来的に欺瞞的である。だから、それにいかに向き合うかでその価値が決まるだけなのである。恰好を付ける付けない、「自然体」云々、「本音」論議などどうでもいいのである。人間と人間の違いは、人間と動物ほどの違いもあると言った人もいたが、それはある面の実情である。

 

〇「朝までテレビ」の司会者は相変わらずで、ジャーナリストでも何でもないこの男は、やはり単なる「電波芸者」と言われても仕方がない。その上、パネリストの平均的質が以前にもまして落ちている。その中で一番気になったのは、井上何某が言った「日本が攻められたらどうするんだ?」ということである。それに対する他のパネリストはまったく批判するどころか、改憲反対を唱えていたお笑い芸人に対して寄ってたかっての「あら捜し」と大人げない攻撃。これも一事が万事、日本が攻められたらなどという「仮定」には答えられないのが現政権の姿勢であろうが、それが「改憲」云々なのである。今さら「押し付け憲法論議」などは問題外、そんなことは憲法をいじくるまでもなく、法律に基づいた処理で済むことであろう。どちらにしてもこの手合いに改憲を任せたらすぐに「緊急事態条項」を盛り込み、乱用、独走は目に見えている。すなわちいつでも戦争ができるということになるのである。それが問題なのである。うどん屋の窯のような「言う」だけの言ったことに責任もとれないような者たちの話などいくらやっても無駄。こんな番組はまったく必要ない。特に田原では話にならない.。しかし、大学で何を教えているのかと思われるような教授が多過ぎる。

 まあ、製作費もない安手の深夜番組とみればその無内容さもお笑い草ということで終わりであるが、この番組自体がパロディ化できるだろう。

 

                                       2018 1/1

 〇戦争を知らない、想像力もない若い者たちに一体何を託すというのか。「自己否定」を繰り返して挙句の果てに何も得られなかったオヤジたち、いつまでも劣化し腐臭を放ち始めた「自己否定」に
拘泥している場合ではなかろう。今何をすべきか、死する前に何をなすべきか、もはや安らかな死など望むべくもないことを知るべきである。

 そこかしこの神社に貼られている「国民の手でつくろう 美しい日本の憲法」というポスター、これはすべてウソである。言ってみれば、「我々」がつくる「美しい」日本の憲法に国民は従いなさいという全体主義国家建設のコピーなのである。

                                                                                                                                         12/27

〇存在の在り方自体が憲法違反といってもいいような人間の問題についてはまったく問題にもせず、まるで何事もなかったかの如くのマスメディア一般の姿勢そのものはとても先進国のレベルのものではない。そのことについても批判、問題提起どころか一行のコメントすらないというのはやはり異常である。

〇テレビは肝心なところはすべてに「ボカシ」がかけてあり、多くは無視、さらに問題点も「ピンボケ」である。そう思って見ていないと現実はまったく違うということになる。まさにオーウェルの「1984年」に近くなっているのが実情である。

                                            2017 12/25

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