124.つれづれに一言で片付ければ(10) 25件 (137件)

〇ほんとうに「オリンピック」、「リニア」など一体誰が必要としているのか、私などはまったく必要ないと思っているが、やはりそれで濡れ手で粟という者たちがいるのである。その彼らが一番必要としているだけなのである。それについてさらに具体的に根拠を挙げて「五輪とリニアは極道の米櫃(米びつ)」と指摘する者さえいる。さもありなんである。「世界の祭典」、「近未来新幹線」などと浮かれているとその付けを回されてしまうのは誰かを考えるべきであろう。「経済効果」?まだそんな言葉に踊らされているのかと思う。因みにJR東海の大ボス葛西敬之は日本会議所属の安倍晋三の財界応援団長を自任している人物だという。安倍ー葛西ースパーゼネコン。また同じ構図である。

                                      12/24

 

〇政権批判などではいい切れ味をみせる某タブロイド紙が日馬富士の暴行事件については一方的に相撲協会の立ち位置で、すなわち既得権益側の位置で連日まくし立てていることについては正直「大丈夫か?何かあるのか?」と言いたくもなる程のレベルの「汚点」である。これでは発行部数も落ちるであろう。

 連日とは、12/20日前後から翌2月中旬まで1か月半、「一方的」に相撲協会側に立った見るに堪えない内容であった。担当記者のオツムの具合は大丈夫か?この記事内容で他のすべてを貶めている。それとも、もともとこの程度のものなのか?(2018 2/某日)。どちらにしてもこのようなスタンスでは間違いなく読者は離れる。

 

〇「お笑い芸人」はほとんどが「狼」の類で、テレビに出るようになると首輪を付けられ「犬」になるというようなことを某若手の芸人が言っていたがそのとおりであろう。首輪の鎖はどこにつながっているかって、もはや言うだけ野暮。彼らの言動を信用するしないなどというレベルは問題外の話で、彼らの「空気を読む」仕方にも規準にも問題はある。言ってみれば、それは詐欺師の手練手管とさしたる違いはないということである。

                                      12/21

 

〇「公益財団法人」とは? 相撲協会もしかりであるが、とても「公益財団法人」などとは言えないものが多過ぎはしないか。どこかで政権政党とつながり政治的な動きをしないと成立し得ない内容の組織である。

 

〇安倍何某はお笑い芸人らと会食したそうだが、実際にテーブルに乘って食べられたのはお笑い芸人の方であろう。やがて骨までしゃぶられることになる。実は恐るべき会食なのである。

                                                                                                                                    12/17

〇現在、演劇などの舞台の観劇料は総じて5000円から10000円前後である。これでは生活に追われている一般客などは遠のくばかりであろう。税金に文化的な費用まで考える国などとは真逆な方向に進んでいる文化行政、そればかりか世界にバラマキ、社会保障費なども削減し軍需費に回す政権である、下手に文化レベル、民度などが高くなっては困るのであろう。

                                                                                                                                    12/15

 

〇A級戦犯の爺さまが身も心もアメリカに捧げて手に入れた命と地位、まったく同じ手法で辛うじて延命している政権であろう。アメリカの意のままに改憲というのは目に見えている。何が「押し付け憲法」か、今度はまた「押し付け改憲」ということに過ぎないであろう。それにもかかわらず、もっともらしい大言壮語の数々。日本の「首相」?「同盟国」?アメリカ合衆国日本州の州知事という役どころが一番似合っている。それにしても大統領を見つめる目は気持ち悪い程で、「普通」の「州知事」ではない。

 追記:この「州知事」様をチャーチル、ドゴールに比する酔狂な御仁がいるのだからこれまた恐れ入り谷の鬼子母神である。

〇「社会を斜めに構えて見る」?、そもそもまともに社会を見たことがあるのかと聞きたくもなる。何かイイカゲンな「若者」に媚びたようなことを言っているようにしか思われないのだが、もともと斜めにしか見られない者が斜めに見たところで何の変わり映えもしないであろう。むしろ展開の仕様のない我田引水的な限りなく縮小し続ける世界しか得られまい。

                                                                                                                                     12/9

〇神社関係者のそれも姉弟の「覇権争い」の刃傷沙汰で死者が出た。現在の神社関係の内実をよく表す象徴的な事件でもあり、さもありなんと思われる。さらに敷衍すれば、明確な哲理もない民間信仰の域を出ない「民族宗教」の類の限界をよく表している。「現世利益」的なものにしか目がいかないしだらなき結果である。

                         
                                                                                                            12/8

〇何度も同じことを言うことになるが、相撲取りの暴行事件の連日の報道、それ以外に追及するものがないかのようである。視聴者をなめ切った姿勢である。

〇 恥を知らないというより何が恥なのかもわからない人々がゾロゾロとゾンビのようである。やはり「人間」は死んだのであろうか。

                                                                                                                                          12/6

〇「人づくり革命」、「幼児教育無償化」、「大学無償化」、一体どのような「教育」をするつもりなのか?教える側の質もかなり問題になるだろう。現政権が「人づくり革命」などと言い出すと何か薄気味悪いものを感じてしまうが、確かに「只より高いものはない」、というより「只より怖いものはない」というのがこの「人づくり革命」にはある。「革命」?従順なアンドロイドでも作るつもりなのか、少なくとも、発展的に未来を切り開く豊かな人材育成とは程遠い。相も変わらず言葉だけが滑っているだけなのである。滑るのは言葉だけではなさそうで、転ぶのも十八番のようである。しかし、そんなことを物ともしない、それこそが発展不能の反復回路しかないアンドロイドのようなのである。もはや「人間」の域にはいない「もの」としか見えない。

                                                                                                                                           12/5

〇この病的な「明るさ」、「軽さ」は何だろう。「闇」を見つめる気力も胆力もないから底なしの「闇」に飲み込まれて行くのである。「異常であること」がわからない異常さ。

                                       12/3

 

〇しかし、何かというとオリンピック、オリンピックと騒いでいるが、北朝鮮しだいではアメリカの出方しだいでは、それですべてはすっ飛んでしまうのである。そのようなこととは無関係に「寿ぐこと」や「オリンピック」などが成り立ち得るとでも思っているだろうか。この浮かれ、イカレ具合は一体何なのか。「圧力」をかけることしか「能がない」者たちが「他の問題」によってさらに突き動かされて限界点を超えればどうなるのか、当然のことが起こるだけである。

 ここで言っているオリンピックとはもちろん「東京オリンピック」のことであるが、来年早々行われるピョンヤン五輪にしてもチケットはほとんど売れず、出場辞退の有力選手も続出し、中止の声もあるという。そのような現状には一言も触れず、何かと言えば「ピョンヤン五輪」を「目指すこと」とカウントダウンばかりをしている報道ニュース、これもまた一事が万事である。

 

〇日馬富士の暴行事件、起こるべくして起こった問答無用の事件で、言い訳がましい弁解、それも柄にもない「礼節を教えるため」などというのは笑止千万。白鵬にしても土俵際での万歳三唱に至っては「心技体」云々の次元ではなく、この人たちの頭は大丈夫かと思わざるを得ない。貧困国からの出稼ぎ労働者がなりふり構わずがむしゃらに手に入れた地位に我を忘れた所業と捉えればそれまでのことであろうが、そこにはそもそも「心技体」などありようもないのである。特に「心」についてはその言動からすべてが現れている。言ってしまえば、彼らの「心」は欲望で埋め尽くされているだけで、それがもたらした結果の一つでしかないのである。実際、一つとして「自分の言葉」がないではないか。

 

〇記者の質問に対して「『仮定』については何も申し上げられない」と言うかの珍なるスポークスマン。それでは、自ら無能であると言っているようなものである。それでどうして人々の安全など守れるのか、実際には都合の悪い「仮定」については答えず、自分たちにとって都合のいい「仮定」は陰に陽にどんどん進めているというのが現状である。因みに、「検討している」、「あらゆることを想定して具体的に進めている」というのは何もやっていないということである。

 

〇「悪を描いた」?笑わせるな、所詮は「偽悪」の範疇のキッチュ(まがいもの)であろう。「悪を描いた」などと大言壮語するなら「絶対悪」を描いてみろ。相対的な「善悪」すらまともに描き切れない「偽悪と偽善」が現状なのである。その中で「偽悪」だけ取り出してもキッチュにならざるをえないのは当然である。キッチュ相手の金儲けと言ってしまえば、それまでだが、キッチュ文化を支え続けているという意味ではその罪は重い。キッチュがそれなりの面白い一面を見せていた時期はとうに過ぎているのである。

 

〇テレビは、今や北朝鮮の国営放送並みの「明るさ」、「力強さ」、しかし、中身が知れる「カラ元気」である。この「明るさ」、「元気」はやはり異様である。いくら臭い物に蓋をして明るく騒いでみたところで悪臭はもれているのである。その内に悪臭の本体が溢れ出すことは目に見えているが、その時になれば今度はそれについての「嗅覚異常」
、「視覚異常」、「視野狭窄」などがまことしやかに取りざたされるのであろう。

                                       11/30

〇「国の覚悟」?「どのような国」のどのような「覚悟」なのか、まったくわからぬ。ただ極限の虚しさ。

〇「バカ!」、「バカ!」と言うのは余程気持ちがよいとみえる。「俺もバカだけど、バカが多過ぎる」などと何か言った気になっているが、何も言ったことにはなるまい。そして、当の本人は実はバカだとは思っていないというところがミソなのである。「何と言っても一番バカなのが、自分がバカじゃないと思っている奴だ」とは、何も今始まったことでもない、紀元前からそうなのである。要するにリテラシーの問題ということか。

 

〇信用できない最たるものの中に「政府発表」、そして「〇〇省認可」などもあるということだけは確かである。当然、「テレビで言っていた」、「新聞に書いてあった」ということなども、「事実」以外の「内容」を「そのまま」鵜呑みにすること自体がそれこそそのまま「アホの証明」ということにもなる。

                                       11/27

 

〇しかし、子供に「暴力はいけないよ」と言われる相撲取り、また「嘘つきは泥棒の始まり」などと言われてしまう「先生」、「長」、「大臣」などなど、こんな情けない大人たちが真顔で「教育云々」とは「頭の方は大丈夫か」と言いたくもなる。

                                       11/26

〇最近、ふと大橋巨泉の功罪について思うことがある。それは考えるという程のことではないが、巨泉以後もその亜流でしかない者たちが一億総白痴化に拍車をかけただけという負の方があまりにも強過ぎるように思われる。巨泉自身はその時代と共に「自由」をそれなりに満喫したであろうが、結果的に真摯に考える者たちを「排除する」ことになったということは否めない。「チャランポラン」、「無責任」、「イイカゲン」、「遊びの」の謳歌、「妙な生真面目さ」に対する一時的なアンチテーゼを突き付けたにせよ、凡夫は本来的に真面目にはなれない者たちである以上、限度を超えればもはや際限もなく堕ちるだけなのである。その隙を縫うようにカルトも雨後の筍のごとくで、今ではそのカルトが集まり渦を巻いて「暗雲」を作り出している。ケント・ギルバートなども巨泉の番組で顔を売ったオカシナ米国人タレントの一人であるが、最近の言動を見ていると、つい悪乗りもイイカゲンにしろと言いたくなるのである。

                                         11/25

 

〇政治屋の政治資金で自著爆買い、本屋べストセラーランキング狙い、よくあることである。それは何も政治屋に限らない。乗せられる方が単なるアホということになる。バックに「出版宗教」の類がつけばベストセラーランキングなどは容易いことである。こんな本がベストセラーと思うことがよくあるが実情はそんなところである。

 

〇連日の日馬富士暴行報道、今の日本には相撲取りの暴行報道しか報道するものがないかのようである。もっと大事なことがいくらでもあるであろうと思われるが、日本の「買われた」マスメディアとはこの程度なのである。日々あきれ返っていると同時に、また薄ら笑いを浮かべている者たちの顔が浮かび上がる。さらに、オリンピック、オリンピックと見世物に気を取られていると肝心のパンの方もいつの間にか削られることにもなろう。すでに巨額の血税を武器購入代金につぎ込んでいるものが社会保障など眼中にないのは一目瞭然。彼らの言葉は皮膚表皮のようにおそろしく軽い。トランプのツウィッターしかり、「ポチ」のツウィッターしかり。そのまま行けば世界は「軽く」壊れる。

                                2017  11/22

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