116.天皇に対しても無礼な内閣

 宮内庁も「天皇に対して失礼であろう」と言っているが、現憲法を遵守する中で精いっぱいやってこられた天皇に対して「祭祀」だけをやっていればよいなどというのは無礼極まりないことである。それは筋から考えても、ごく「普通」の日本人の感覚からしてもおかしなことであろうと思われる。この安倍内閣については、もはや形容のしようのないほどであるが、改めて「こやつ何者か」一体何なのかと問いただしたくもなる。やることなすことすべて場当たり的で支離滅裂、「何でもあり」の後は野となれ山となれの有象無象の亡者の類か。このような者に限って何かというと「日本」、「愛国心」、「責任」、「安定」、「希望」などという言葉を乱用するが自らの「闇」を粉飾するためにだけ使われる「空疎」な言葉でしかない。要するに、実体のない「名称」を利用しているだけで、日本文化に対する素養も敬意も知識もない。日本国憲法に規定された日本国民の総意に基づく象徴天皇制ですら意に介さない、保守などとはおこがましい「乱心保守」の手合いである。

 「天皇の退位」の扱い方にしても、「憲法の扱い方」にしても、この政権は天皇に対して礼を失するように、国の根本法を弄ぶがごとく恣意的にいじくり回しているのである。改憲をオリンピックの年に合わせるなどとはとんでもないことである。国の根本法の改変をスポーツの祭典に合わせて考えるなどとは本末転倒、便乗戦略とは言えこの愚かさ、病的な「軽さ」、ついオツムの具合を聞きたくなる。そこには傲慢さと「人間」軽視がある。何の根拠もないのに平然と「アンダーコントロール」を宣言した人間である。おそらく「宣戦布告」をした翌日にはゴルフをしているような人間であろう。こんなことはとても許されることではない。だから、狂っているというのである。

 日本人の「お人よし」という一面、これはある意味では世界に誇れる「人間性」でもあるが、それは詐欺師にとって絶好のターゲットでもある。今や、「上」から「下」まで詐欺、ウソが当然の行為であるがごとく、それについてとやかく言う方が不自然であるかのような様相さえ呈している。この「お人よし」が高齢化すると「救世主症候群」、すなわち誰かを助けたい、誰かの役に立ちたいという願望が強くなるようである。そのような人々は、「私を助けると思ってどうか一票入れて下さい」と土下座までされればどのようなろくでもない「政治屋」でも受け入れてしまう人々でもある。人々に支持されているのではなく、人々を騙しているだけの者たち、それは、確かに、反吐が出そうになるような「軽さ」である。騙された方も、騙されたことに気付くのはまだよい方で、残念ながら、身ぐるみはがされても自分は人を助けたと「思いたがっている」のが実情のようでもある。詐欺師たちの阿漕(あこぎ)、「軽さ」にいつまでも付き合っているから、自ら現人神気取りになっているような「人間」を作り出してしまうのである。

 

                                  2017 5/20

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