112.つれづれに、一言で片付ければ(3)ー7件ー

〇忖度(そんたく)政治に、幇間(ほうかん)外交、子供だましの印象・情報操作、空疎な「めくらまし」ばかりであった。その目くらましが過ぎて自分もその目くらましにかかる。自業自得の不徳のなせる応報である。すべての言動が独裁志向の者に特有のものであったが、その命運も尽きた。今後は何をやっても無駄であろう。やればやるほど墓穴が大きくなるだけである。支持率の上昇とは、墓穴のカモフラージュと同時に、それが実情であるなら支持者の墓穴ともなるということであろう。

※最近、訳のわからぬ怪しげな世論調査が頻繁に行われている。2000人程度の、それも回答率70%を下回る意見を「世論」とされても何の意味もないが、印象・情報効果としては大きい。それも誘導尋問のような操作を行っていることも容易に納得できる。驚くほど「すべて」が印象・情報操作だけに腐心する者に特有の言動である。簡潔に言えば、「すべて」において国民不在なのである。国民とはだます対象に過ぎず、いかにだますかが最大関心事であるようだ。「詐欺師」の最大手ということか。

 

〇森友問題、「ウソつき」、「詐欺師」たちが寄ってたかって面倒な相手を「大ウソつき」と言う。ウソつきが「大ウソつき」と言うのだから、そこには大きな真実があるということにもなる。トカゲのしっぽに向かって「大ウソつき」とウソつきが言うのであるから、これは話にもならないが、ただならぬ問題があるということの証左でもある。

※敢えて言うまでもなく、「ウソつき」が終始一貫ウソをつくことも、正直者が常に正直であるということもないのは言わずもがな。それは我々が即自的にありようがない対自存在であることからくることでもある。ここで言っているのは「ある事柄」に関連して欺瞞に満ちた言動をしている者が同様のことに関して相手に向かって「それはウソである」といっているような場合を言っているのである。そこには簡単に収めようがない看過できないものがあるということである。

 反証できないことを根拠に、「それは事実ではない」ということはできないのである。アベ君たちもそのくらいはわかりなさいよ。

 

〇しかし、石原の百条委員会での対応は醜悪の極、「ほとぼり」外遊中のアベとそのお仲間と同格。大問題が起これば肝心のところはすべてこの調子であることを庶民は心しておくべき。要するに、責任は取らないのである。政治屋たちの批判にもなっていないイチャモンには、よく「邪道」、「〇〇劇場」云々などが出てくるがどの面さげての「ご意見」かと思われる。つい、おつむの具合は大丈夫かと聞きたくもなるが、こんなのが世の中にはびこっているのであるから常に問題が起きるのは当然であろう。そして、「知らない内」に「共謀罪」の閣議決定である。大方は、明日は我が身の火の粉とも知れで・・・

 

〇要するに、これは民主主義政治とその反体制政権であるアベ政権との戦いでもある。この政権がその気になって憲法のみならず「アメリカの押し付け」を嫌い、独り歩きを始めればやがてはアメリカにつぶされるのである。それがいつもの筋書きであろう。このアベ反体制政権の「親米」はさらに質のよくない「反米」を常に隠し持っているから尚更である。その点については世界視野ではすでに確認済みであろう。やはり知らない、知らされていないというのはバカを見るだけである。編集されたテレビ、新聞、雑誌等の受け売りだけではもはや通用も対応もできまい。

 

〇「森友学園問題」について、「問題が広がり過ぎているようで」などという見解が何気なく出てきているようであるが「広がり過ぎて」困るのは誰なのかを考えれば、その「もっともらしさ」も手に取るようにわかる。どのような些細なことでも重大な問題を含むものは「広がり過ぎる」ということはなく、人為的作為、操作で押しとどめることはできない。

〇「私の記憶に基づきますと、お会いしたという認識はありません。」、これは現行犯逮捕されない限り白を切りとおす者の参考ともなるものであろう。たとえ、物的証拠が出てきても「私の記憶に基づきますと、やったという認識がありません」とでもなるのであろう。これでは精神疾患、認知症の世界である。目的のためには手段を選ばぬ、責任能力もない者が「重要な位置」にいるという悲劇。そう、概して目的のために手段を選ばぬ者とは責任能力が欠如しているか、責任回避能力が図抜けている。

〇WBC、こちらは○○億円プレイヤー、あちらは○○○億円プレイヤー、それは国際見本市である。

                              2017 3/15ー3/24

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