お笑いタレントが仮面を片手に難しい顔をしている写真があったが、何とも滑稽であった。その写真は、仮面を取ったほんとうの俺はこうなんだとでも言いたげであったが、仮面の怖さを知らないのであろう。結論から言えば、仮面を取ったからといって「本体」が現れるわけではなく、現れるのは「新たな」仮面である。それを「本体」と思うのは錯覚で、行き着くところには何もない。また、仮面をうまく着脱して世の中を渡り歩いているようでも仮面を取り外しているつもりになっているだけで、仮面は外れていないとうより仮面そのものが顔と一体化してしまっているか、または仮面の下の仮面を自分の「本体」と思い込んでいることもある。
凡夫は安易に「仮面」にたよることより「直面(ひためん)」(素顔のまま)で、言い換えれば、誠実に生きることを考えるべきである。自分が何者かであるがごとくに錯覚した時点で仮面に振り回されることになる。それは見るも哀れなものである。
選び取った仮面は、その時点でその人間の「すべて」であると同時に無である。仮面とは別に「自分の本体」などというものを実体としてとらえることはできない以上、その仮面と異なる「本体」は想定はできても措定することはできない。せいぜい他人には絶対に監視できない「箇所」と言うほどの意味しかもたない「部位」が唯一「自分の本体」と思い込めるものでもあろう。
2017 2/25