相変わらずハウツーものが大流行のようである。こちらが気恥ずかしくなるような微に入り細をうがつ丁寧さである。このようなことで世の中、人生、人間がわかったつもりになっているわけでもあるまいが、対処方法を提示されれば不器用な者はついそのようなものかと納得してしまうのも安易に流される人間のさがである。「ハウツーもの」の類の最大の問題点はそれですぐ「何か」が分かったような気になることである。簡便な小冊子数冊程度で人生の生き死に、世の動静一般が分かれば世話はないがそうはいかない。
また、「ハウツーもの」とは別に、およそ自分の人生とはかけ離れて「かくあれかし」と思われるようなことを人に説いているようなものもある。たとえ内容自体は共感以上のものを感じるものであったにしても、それでいいのかという思いは簡単には払しょくできるものではない。「成仏させる」とは、よくも悪くもその時代に生きた「証」を闇に葬る行為でもある。「安易に成仏させるような文言」というものが引っかかるのは、飽くまでも歴史の中にしかありようがない存在に歴史の流れとは逆行しざるを得ない「自己完結」をむやみに増長させる方向にしか働かないということにもなるからである。そこでは問題が問題になりにくく、なりえたとしてもただ個人の問題として矮小化され収斂されていく可能性が高い。大中小の各個の「自己完結」的美談などにいちいち関わっている時間もない。歴史は間断なき永遠の無化作用でもある。「人生の書」の類もやはり受け取る側の渉猟の度合いによるところが大きく、渉猟が大きければ「安易に成仏」することもあるまい。それは最期まで「行き着くところ」を知らないからである。それが「求道」、「求知」の根本である。
2016 11/13