「ティーパーティ」の「トランプ」札は其処彼処 表か裏か「ジョーカー」ばかり。
トランプは突然現れた訳ではない。「自由」と「平等」を標榜するアメリカに以前よりあり続けたアメリカの「体質」の一部で、それを明確に対象化できる人々と、対象化できない人々がいたということに過ぎない。そもそもカードがジョーカーばかりではゲームにならない。トランプのとんでもない言動とは裏腹に姑息な現実的な小賢しさが目に付く、とても「ジョーカー」にはなれまい。自分でも本当の「ジョーカー」になれば長くはないことをよく知っているはずである。そういう意味でも、現在のアメリカではたとえ彼が表舞台に立ってもさほどの違いはないといえる。オバマ然り。しかし、大統領選は大衆の程度の差こそあれ、夢と期待を持たせる「イベント」の参加と拒否権の行使である。
「他に適当な人がいないから」という内閣支持率を見る度に、そこには怠慢と衰退しか見えぬが、長年飼いならされた国民性からそれが何か気の利いた文言に見えているという意識そのものに実は大きな誤りがあることに気づいていないのであろう。要するに、自分が「適当な人」を「育てる」という意識が皆無なのである。あてがわれるものを口を開けて待っているという習性がいつまでも抜けきれないのであろう。
2016 3/19