大方の推理小説、推理劇などというものは、要するに、「マダムの手すさび」程度の領域を出るものではないと思っている。アガサ・クリスティー然り、よくもまあこれだけ微に入り細をうがって人殺しの手法を日々考えていたものであると思うが、ただ単にそれだけである。しかし、「人間」の闇の領域について少しでも思いを馳せれば「何でもあり得る」のが「人間」でもある。制御し得る能力が希薄になれば、あるいは「制御」そのものが「利害」に直接関与してくれば何でもするのである。「人間」の恐ろしさと同時に「すばらしさ」を理解し得る者にとっては「主婦の手すさび」程度では納得、満足できないというのは至極自然な流れであろう。そして、今やその程度の「小手先技術」を成り立たせていた世界そのものが変質、瓦解を始めているから尚の事である。
2015 12/5