「元少年A」については以前このサイトでも取り上げたが、予想されたとおりの経緯を辿っている。「神戸連続児童殺傷事件」(1997年)の当時14歳の犯人についての分析は、今でも精神科医・故小田晋氏の見解とほぼ同じである。Aは、小学生の時点で「自分は変だ」と母親に訴えているが、母親はそれをまともに受けることもなく否定、その後有ろうことかアドルフ・ヒットラーの「わが闘争」をわが子に与えている。家庭事情がどうであったかこのことからも見えてくるが、小動物虐待による性的快感は次第にエスカレートし、遂には人間に向かう。そして、一旦そのような回路ができてしまうと元に戻すことは不可能になってしまうのである。そのような回路ができ上がる前に手を打たなければならないのであるが、この母親は放任のみならず増長させる方向で「手を差し伸べ」ていたことになる。実際、猟奇的殺人を繰り返す者が二度と刑務所から自分を出さないでくれと懇願した例もあるくらいで、そのような者にとって「社会復帰」などまったくあり得ないというより無意味なのである。「社会復帰」を御旗にすべてをその方向にもって行こうとするのはあまりにも無責任で危険過ぎる。「元少年A」のような状態に陥ってしまった者は仏教的にも縁無き衆生の最上位で、もはや処すべき術がない。あり得るとすれば俗世間と没交渉なところで生涯を終えるしかあるまい。
最近では、この「元少年A」の本も出たようであるが、その題名、一部の文章からも自己粉飾以外の何ものをも感じることはできない。そして、今このAを崇拝する者さえ現れ、動物虐待を繰り返しているという。(首都圏で9件、兵庫で5件)殺傷によって快感を呼び起こす回路ができ上がってしまった彼らもやがては殺人を犯すことになる。結局、Aの「社会復帰」は未成熟な社会にあって快楽殺人を増やしただけということになる。
ヒットラーも死体を見て恍惚となっていたという。やはりどこからどう見ても尋常ではない人物なのである。「人間」というコンセプトをいとも容易く崩壊させた「人間」失格者とも言える。
※精神科医・小田晋氏については、以前フロイトのタナトス(死(破壊)への本能(衝動)について質問したこともあるので、身近に感じてはいたが、2013年にお亡くなりになっていた。精神疾患の厳しい絶望的淵を検証し続けてきた氏には少なくともAについて希望的観測は微塵もなかったであろう。
2015 10/4