私の義弟である科学哲学の大学教授が癌で明日をも知れぬ様態であることを突然知った。彼は良き父であり、良き夫でもあった。そして、優秀な哲学科の教授でもあった。それだけにストレスもかなりのものがあったであろうと思われる。彼が幼い子を抱いている時の笑顔が甦った。命とは、明日をも知れぬものであることをまた改めて思い知らされれた。
幼少期に死にかかり、20代に再び死にかかり、同じ20代に知人の葬式に一緒に出た知人(享年36歳)をその三日後に亡くし、また葬式に出ることになったことなども思い起こされた。18歳の時に祖母の死に水を取って以来、なぜか知人、友人などの死に出遭うことが多いと思っていたが、本来、命とは明日をも知れぬものだということに過ぎないのである。死を対象化して悟ったような冗談を言っているような人々も「まさか」自分の死が明日訪れるとはゆめゆめ思ってはいない。しかし、実情は明日どころか数時間後にもそれは起こり得るということである。そして、死に至る経緯が絶妙に組み合わされ、用意されていればもはや避けることはできない。それを直感できるのは「占い師」でもなく、「預言者」でもない、直観を必要としない「神」(存在し得たとして)でもない、ほんものの「詩人」だけである。
※追記:義弟は2月の初め、亡くなったそうである。
2015 1/15