68.恒産なき者は・・・

 アルバイトをしながら好きなことをする、夢を持つなど、夢中になれるものがあるということはそれ自体決して否定されるべきことではないが、継続、展開するなどは極めて困難である。よく、貧しいながらも「思うこと」を成し遂げた成功談などが美談として取り上げられることがあるが、それは「努力の賜物」などというより奇跡の一種だと思った方がいいだろう。はっきり言えばフリーターなどをしながら何かをしようとしても大方が物にはならない。もちろん「趣味の領域」として捉えていればまた別である。「恒産なきものは恒心なし」とはよく言ったもので、明日の食糧もままならないところでは「まともな」精神状態を維持することすら困難で、そんなところで文化的営為など成り立ち得るはずもない。文化的営為などは「遊び」の時間の充分にある、あるいはそのような時間を得ることが可能なところにしか芽吹かないからである。食うや食わずでそれに関わろうとしてもできるもの、やれることは自ずと知れている。実際、「一級」の「芸術家」と称される者で家庭環境が貧困層という話をあまり聞いたことがない。

 考える余地も与えぬ、思考停止状態を作り出す昨今の労働環境は、統治戦略の一環でもあろうが、結局は「自分の首」を絞めることにしかならない愚策である。ワーキングプアを大量に出しているという一事を見てももうすでにその社会総体の弱体化は見て取れる。ワーキングプアなどというものの実態は肉体、精神ともに衰微していて実のところ何の「戦力」にもならないだろう。そのような者たちをさらに鞭打っても実質的には社会に何の進展ももたらさすこともなく、逆にその可能性さえ奪っていく。企業のブラック化とは指導者の無能の証であると同時に社会のブラック化でもある。そこでは文化的営為など所詮は「お笑い草」なものでしかなく、思考は停止状態のままただ空ぶかしを繰り返すだけ、勢い余って進み出しても思うに任せず瞬く間にクラッシュ、よくしても崖っぷちからのダイビングを余儀なくされることになる。このような社会状況は恒産なき者をますます芸術・文化から遠のけ、文化的営為とは無縁な集団として作り上げて行く。恒産なきところに真に文化が育まれることがないのは自明の理で、それはそのままその社会の質の劣悪化につながっていく。空疎な美辞麗句を並べて立ててもそれは夢のまた夢の夢。それともそれは1%の富裕層の次世代限定の夢の委譲なのか。そうだとしてもそれが本物であれば自ずとそれを生んだ基層を裏切らざるを得なくなる。

 どちらにしても恒産なき者は日々の糧を得ることで追われているだけというのが実情であろう。そうかといって恒産はあるが「小人閑居して不善をなす」では仕方がない。

                                                2014 11/18頃

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