「立ち位置」などという言葉も元はといえば舞台の演出用語である。したがって、私などはこのブログの中でもごく自然にわかりやすい譬えのひとつとして頻繁に遣ってきたが、最近ではよくこの言葉をみかけるようになった。
「インディペンデント擁護のサプライズの少ない結果となった。」これはパリ在住の「映画ジャーナリスト」のある映画祭の受賞結果にについての「コメント」である。「映画評論家」ではない「映画ジャーナリスト」という肩書であるがその実態は「噂のような批評、批評のような噂」、何かあるようなないような実のところ何もないという批評と噂話のあわいを縫うような明確なスタンスもない無責任な「感想」といったところであるが、よく見ればそのコメントからその立ち位置と軸足の位置までわかる。彼女にとって「サプライズ」とは有名諸氏の耳目を集めやすいもののことなのである。無名諸氏の斬新な視点、社会問題を捉えた「地味な内容」はそもそも眼中にないのである。これでは常に後追いを強いられるだけで、ほんとうの意味で耳目を驚かせるようなことはできない。しかし、またここで諸外国在住という日本人に頼っているだけという日本のメディアの情けない状況について敢えて述べる必要はないだろう。
最近は、「〇〇評論家」という代わりに「〇〇ジャーナリスト」ということが多いようだが、逃げを打っての「わかりやすい」印象批判、単なる感想程度のものを「したり顔」で流布させられてはますます文化衰退に歯止めはかけられまい。
2014 9/21