8月、私はラベンダーとクレープマートルに囲まれたところにいることが多かった。そこには葉桜となった染井吉野の巨木もいくつかあった。外に出ると必ずといっていいくらいに同じ葉桜の老木の前で腰を下ろす。そこから見える白、桃色そして橙を帯びた赤い花を見事に咲かせた三本のクレープマートルが様々に変化する天空を背景に織り成す構図が何とも心地よかったからである。成長する過程でクレープマートルには裂けて剥がれた鋭い樹皮は幹に付着する。とても猿が滑り落ちることなどできるものではない。しかし、「脱皮」を終えたクレープマートルの木肌は実に滑らかである。それにしても百日紅ならまだしも「猿滑り(サルスベリ」とは何とも貧弱な譬えである。おそらく、植木職人のような者が言い始めたのがその名の由来でもあろうが、そうでなければその「卑称」には別に理由があるのではないかと思っている。マートルとはビーナスの神木ともいわれている植物である。それにクレープという花の形状を表す言葉がついて作られているのがクレープマートルという名称である。因みにマートルの和名は「ギンバイカ」である。「銀梅花」と漢字を当てればわかるが響きは最悪である。「サルスベリ」、「ギンバイカ」、「犬ふぐり」等々、実に貧相なみすぼらしい和名である。中でも「犬ふぐり」は植物学者・牧野富太郎の命名であるというから驚く。発見者が勝手に命名するというのも考え物であるといういい例である。発見者が視野狭窄的な器量のない者であれば、森羅万象の一つからその豊饒さを奪い去り、世界を委縮させることにもなりかねない。それは決して大げさなことではなく、「もの」、「こと」に対するセンスのなさが世界を狭くしていると言ってもいいからである。牧野に命名された植物は2500種以上、「ムジナモ」などもしかり、一事が万事で想像力に欠ける詩的センスのまったくない植物界の「全能者」が植物に授けた名称を一つ一つはぎ取って再び名づけ得ぬ豊饒の世界に戻したくなる。
クレープマートルは、小さな可憐な花弁を「散れば咲き 散れば咲きして」百日あまりの間、天地を彩る。
2014 8/30