2009年10月、パリで演劇を通して再会したフランソワ・ラヴォー氏のことについてはカテゴリー「五叉路」の(11)に詳しく載せている。彼はフランスを愛し、自由を愛し、文化をこよなく愛する典型的なフランスのインテリゲンチャーであり「市民」でもある。僅かな時間ではあったが、彼との出会いは私の「出発点」を具体的に思い起こさせもした。彼の矢継ぎ早の質問の間に発せられた「どうして学生時代にフランスに来なかったのか?」、「もっといろいろ話すことができればよかったが」という言葉は今でも重い。
F・ラヴォー氏のような知性も感性もバランス良く合わせ持ちながら生き続ける人物が今後ますますいなくなっていくような「流れ」を痛切に感じているので改めて取り上げざるを得なくなった。それは、論理性の欠如などという以前に単なる末端肥大症的な感覚の暴走でしかない言動、現象、出来事に接する機会が多く、その度に「人間の境涯」を維持することさえできなくなって「歪み」ながらシュリンクするような「人間」の増殖ばかりが目につくからである。
2014 8/23