最近、俳句形式の筆のすさびに新たな意味づけをして活用しているのをよく見かけるが、私が10年程前にある俳人から頼まれて寄稿した文章の中にすでにその原型ともいうべきものはある。具体的な活用方法は俳句というより「五七五」の言葉のすさびと呼んだ方がいいだろう。新たな言葉との対面によって引き起こされる自己活性化、あるいは「天狗俳諧」的な言語遊戯がもたらす言語に対する興味、視点、思考回路の転換等々。自らの貧しい言語に呪縛されている人々などには困難というよりそのような機がないかもしれぬが、そうでなければこの「五七五のすさび」を通して何らかの展開の契機ともなり得るのではないかと思っている。
「五七五」の活用も様々で、認知症の防止のために、あるいは写真との併用でスケッチブックに彩を添えたり、果ては一国の首相の怖ろしき「話芸」にまで遣われたりと一方ではブラック化も進行している「五七五」ではあるが、元来、五七調、七五調は心地よいものである。昨今の俳句形式の頻用は、季語にこだわるわけでもなく、そうかといって無季俳句といわれるほどの静かなる「気迫」を感じさせるものでもない。やはり「五七五」のすさびと言った方が適切であろう。しかし、そこには簡便さと心地よさを併せ持つものが放つ軽視できないやっかいな「もの」や「こと」も同時に隠されている。
因みに私自身は「五七五」を文章中で主に強調、転換、閑話休題的に遣っている。
2014 6/17