世中を捨てて捨てえぬ心地して
都離れぬ我身なりけり
捨てたれど隠れて住まぬ人になれば
なお世にあるに似たるなりけり
白洲正子氏は、以上の歌は「西行の偽りのない感慨であったに相違ない。そういう生活態度を、西行は肯定しつつ、反省もしているがけっして改めようとはしなかった。見ようによっては『世中を捨てて捨てえぬ」暮らしぶりに大変な自信をもっていたような印象をうける。そして、いわば中途半端な生きかたのままで、大きく豊かに成長をとげて行ったところに、西行の真価は見出されると思う。」と述べている。やはり白洲氏の慧眼は並ではない。
ー「西行」 白洲正子よりー
本来的に半端ではない者が「中途半端である」ということを明確に意識し,それをよしとするまでにはどれほど身も心も引き裂かれたことか。そして、現実的には負の領域の方が多い「中途半端である」ことを終生我が身に引き受けるということなどは余程の覚悟なくしてはできるものではない。しかし、そこに辛うじて自らの「源泉」を見出し得たのかもしれない。それは、分別の射程圏外の心の働きと言う意味での「業」ともいえるもので、そもそもが世の得失などとは無縁なものである。
2014 6/2