世論調査を正確にしようと思えば時間と費用がかかるのである。どうしても「正確さが必要とされる」選挙の結果予想などには多くの時間と金が費やされるのは当然のことである。したがって、その数値も現実的にほぼ一致するのである。ただし、それ以外で明らかにある方向にもって行くためとしか考えられない頻繁に行われる、言ってしまえば安手の扇動と言ってもよいような「世論調査」の信憑性については誰も不信感を持つのは「誤解」でも何でもない普通の感覚である。しかし、そのような必要な時間も費用もかけない世論調査の正確さ自体に瑕疵があるものについて多くの者が「正しく反映していない」などと言ってもそもそもが反映のさせようもなく、「マスコミは真実を歪めている」とは言っても「事実」すらまともに伝えることができないマスコミに「真実」は荷が重過ぎるだろうと言った程度のことに過ぎないのである。よく言えば、菅原琢が言うような「「政治報道でのデータ分析の貧しい現実」がある。
また菅原琢は、「数字そのもではなく、その数字が生まれ、報じられる背景が重要です。世論調査であれば質問を確認する。そしてその数字に着目する理由を批判的に想像し、解釈を鵜呑みにしないことが大切です」とも言っている。しかし、誰が「背景」を読み取れるか、いかに誘導尋問のような質問を分析できるか、その数字に着目する理由を批判的に想像できるのか、批判的に想像するから「歪めている」と言っているのではないのか。まずそこまでできれば申し分ないが、「大衆」に多くは期待できまい。それを承知の上での正論である。しかしながら、煎じ詰めれば、マスコミの提示する数値、解釈をそのまま鵜呑みにするなと言っているのであるから、そのことに関しては正しい。
※菅原琢:東京大学先端科学技術センター准教授
2014 3/5