49.「演出」という言葉の根本的な誤用

 「演出」という言葉を様々なところで目にするが明らかに誤用、すなわちよくわかっていない皮相的な遣われ方をしているとしか思えない何とも意味の不鮮明なわかったようなわからないようなものが多い。言葉の辞書的定義としては「脚本、シナリオに基づいて、その芸術的意図を達成するために演技、装置、照明、音楽、衣装などを統括指導すること。」などとあるが、「演出」とは明確な世界観の提示と切り取り作業でもある。「演出」とは一つの世界観であると同時に他者である俳優との関係性を媒介にして再構築させる世界観でもある。それ以外はすべて二義的要素である。それが演出とは人生の確認などともいわれる所以である。

 日本での「演出」という言葉の遣われ方を見ているとそれだけで欧米との演劇の質の違いがわかる。要するに味噌も糞もいっしょなのである。たとえば、「ヤラセの演出」、これは単にごまかしのトリックといった程度の内容であるが、それに「演出」などという言葉を遣うものだから余計に世人は「小細工」、「トリック」、「効果」などの類が「演出」だなどと思い込まされてしまう。中には「ヤラセ」=「演出」などと思っている者もいるだろう。「演出」というのは「ヤラセ」でも「効果」でも「ごまかし」、「めくらまし」でもない。因みに欧米で「やらせの演出」などという言葉の遣われ方があったとしても、その「演出」にmise en scène もdirectionも遣うことはあるまい。遣うとしても製作という意味が強いproductionであろう。それに「インチキ」、「細工」、「ごまかし」などという意味の単語がつく。言葉のニュアンスを理解していないということはそれだけその対象に対しても明確な判別もなされていないと見るべきで、味噌も糞もいっしょではその内に糞を食わされることにもなりかねないのはあらゆるところ同様である。

                                                  2013 11/8

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