日本の報道管制は次第に露骨になってきている。当初は自主規制の様相を呈していたが、しかし、自主規制を選んだ段階で実質的に緩慢なる自殺の道を歩んでいるのである。そして、自主規制は徐々に広範囲にその強さも増してくる。現状は、もはや報道などとはとても言えないいレベルで、完全な独裁国家並みの報道管制である。様々な大きな動き、問題があるにも関わらず何一つ報道されていないという事実。飽きもせず、国民を白痴状態に置くどうでもいい「ニュース」を垂れ流すだけである。メディアが監視するという重要な役目を放棄したということは、その時点で国民から乖離し、国民を見捨てたということである。当然、国民は既存のメディアを捨て、ネットに走る。それを抜け目のない者たちがまた商売にする。極自然な流れでもある。既存のメディアが戦う姿勢を失い、「自殺」に追い込まれれば、メディアはただ衰退の一途であろう。それにしても、ネット民とは何か?そもそもネット民などというものは存在しないし、国民が既存メディア捨て、ネットに移行しただけで、それは飽くまで一般国民なのである。ネット民などという言葉で無理やり一般国民と分けようとすること自体が自滅する既存のメディアのアガキとも言えるのである。
2025 5/1