R・TW-17効果で 埋め尽くされた映像

最近、昔の映画を観る機会が多くなったが、緩やかな流れの全編ワンカット撮影の映画などを見ているとその行間を埋める作業が何とも心地よい。これでもかと趣向を凝らした、間断なく埋め尽くされた映像を観ていると煩くなるのである。これでは想像力が貧困になるのも頷ける。作り手自身に確固たる世界観があるというより、ただ間が持たないということだけで作り出されたような、テンポとアクション、過度な装飾、場面転換にしか思えないのである。そこでは必然的にケレン味ばかりが浮き上がり、空疎なものとなる。それは舞台においてもウケ狙いばかりが主眼となって時空を歪め、舞台を貶める。観客の方も自己の想像力の貧困さに気付くこともなく、間(魔)を埋める想像力の醍醐味もわからず、与えられ埋め尽くされた空間を指をくわえて観ているだけといった具合いであっる。エンターテインメントとは所詮そんなものという御仁もあろうが、そこに明らかな民度の差(文化レベル)があらわれる。気分転換、遊び、気晴らしの中に、自ずとその人間の質的差異が生じるのである。そこに今の本当の自分自身がよって立っているところが現れているというだけのことである。様々な切り貼りばかりが目につき、間口だけは広いが奥行きのないないものが至る所に現われている。特に昨今では、さらに奥に行ってみたくなるような作品に出遭うことは稀である。それは「奥ゆかしい」などという範疇には収まり切れるものではない。

因みに、最近、奥に行ってみたくなった映画は「PERFECT DAYS」である。平山は、平山についてさらに多くを語りたくなっている。(4/15)

 

           2024  3/14

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