エベレストがクサイらしい。登山者のゴミばかりではなく、放置された排泄物の臭いのようだ。人を寄せ付けない豪壮な姿からは想像もできないが、岩肌にこびりついた登山者の排泄物の臭いが鼻につくそうである。今まで何人の登山者が訪れたのであろうか、今では地元の人々は、ごみはもちろん、排泄物も持ち帰ってもらうようにしているということである。あのエベレストがこれである、人々が大挙して訪れる富士山などは推して知るべしである。霊峰富士も実は臭いのであろう。近づき過ぎても、却って見えなくなることもあるが、遠すぎても見えないものもある。その距離を見定める知性と想像力は必要不可欠であろうが、実情からまた違うものが見えてくることもある。
臭いものには蓋をするということがある。それはまだ臭いと感じるからそうするので、金に目が眩めば、やがて鼻めくらともなり、その臭いさえ感じなくなるのではないか。そうこうしている内に、良し悪しの区別さえつかなくなるというのが、大方の人間の本然的傾向でもあるなら、気付いた時に、気付いた者が止めるか、声を発しなければ至る所で「糞の山」ができるということである。ウンコ、ウンコ、ウンコの山などと下種な笑いでいくらごまかしても、糞はいつまで経ってもクソで、そこにある巨大な糞の山が消えることはない。況や、それが放射性物質なら10万年は有害ウンコである。そこに地殻変動でも起こればさらに目も当てられない。
いつだったか、高層ビルの立ち並ぶ街の歩道で位置を確認している時に、どこからともなく汚水の臭いがしてきたことがある。1000世帯分あるいはそれ以上の汚水が短時間の内に何トンも流れ込んでいるのであるから当然であろうと思われた。高層ビル街もいくら蓋をしても、実のところは臭いのである。だから、綺麗に撮られたニューヨークの摩天楼などの風景を見ても、まず臭いが先に来る。高層ビルの最上階の展望もよく知っているが、やはりすぐに飽きる。余程、欲に目が眩んでいるか、認知障害でもない限りいつまでも「間が持つ」という空間、場所ではない。私には無縁の世界であると思われた。だからといって、「アホと煙は高いところが好き」などと嘯くつもりもない。最近では、ロケット打ち上げ競争が盛んであるが、いつか、月が臭うなどということにならないことを願っている。そんな気分で、夜空を仰ぎ見ると、月天心は満月ではなく三日月であった。
2024 2/17