観る前に、作品について書くのはと思ったが、ヴィム・ヴェンダース監督の作り出そうとする世界が、私の二十歳代の時に今後の生き方に対し思い描いていたこととあまりにも一致しているので、その原風景がまた勝手に歩き始めてしまった。当時も、そして今でも私は世間一般とはかけ離れていた。だから、よく、「君は一体何になりたいの?」と聞かれたものである。言ってもわからないだろうと思っていたので言わなかったが、要するに「私自身になりたい」ということであった。だから、仕事選びもできるだけ自分の時間が持てることが最優先されてきた。さすがにトイレの清掃員までは思いつかなかったが、管理人などが選択肢に上がっていたので、採用面接に行くと、面接官は履歴書を見ながら「大学院?!駄目だよ、君みたいな者がこんな仕事選んじゃ、これから日本を背負って立つ若者が、冗談だろ、ここは退職した者が来るところだよ」と言われたことがある。決して冗談ではない、本人にとってはそれなりに真剣だったのである。「レンズ磨き」などがあれば、そちらに行ったのかもしれぬが、とにかく、できるだけ人に煩わされることなく自分自身の時間というものが作れるかどうか、それが最大関心事であった。その後、紆余曲折を経て現在に至るが、原風景はそのまま生き続けている。
小津安二郎の世界の「平山周吉」は、ヴィム・ヴェンダース監督によって再び「生きる」ことに焦点を合わせ、笠智衆から役所広司に手渡された。キャスティングもベストであろう。これは求道者風の仙人でもやはり違うのである。
私もまた、何度となく公園で、木漏れ日を見ながら、握り飯を食ったことがある。何か、「本来無一物」の心境になってくる。20代前半、千々に乱れる心を、収まり切らない怒りを書籍やジャンリュック・ゴダールの映画で中和させ、時間に対峙するかのように能楽に魅入られた日々、そして、いつしかベルイマン、小津安二郎の時間の流れに戻る、ある意味では、そんな日々であったような気もする。「パーフェクトデイズ」、それは行き着くところであると同時に、すべての出発点でもあろう。
2024 1/11
※映画「関心領域」は、現在の世界状況とも重なり、各自が他人事として捉えられない問題として様々なかたちで強いインパクトを与えたのであろう。(3/11)
※映画「オッペンハイマー」、この人物を取り上げること自体が、すでに多くの矛盾を抱え込むことになる、それはいかなる映像処理をしようとも決して乗り越えられる問題ではない。むしろ、そのような映像処理をすればするほで核心の問題から遠ざかる。オッペンハイマーが「原爆の父」であるなら「その母」は?リーゼ・マイトナーのことを言っているわけではない。もっと、比喩的で拡大解釈でき得るものである。この場合の「母」とは、言ってみれば、世界情勢そのものであろう。しかし、オッペンハイマー自身も認めているように、それは「悪」そのものなのである。その「悪」を見せる、さらに魅せるとなるとなると、そこには抜き差しならぬ大きな問題が自ずと現出してくるのである。オッペンハイマーの個人的な懊悩に焦点を合わせ描こうとすれば、原爆の誕生の結果もたらされた結果については、沈黙、もしくはスルーするしかあるまい。アカデミー賞7部門受賞もアメリカの姿勢、趨勢がみえる。(3/31)
追記:案の定、共和党議員リンジー・グラハムが、「イスラエル軍のガザでの作戦を早く終わらせるために長崎や広島のようにすべきだ」と発言。この「オッペンハイマー」という映画がアメリカ人の下意識にあるものを押し上げた好例でもあろう。(4/2) ※リンジー・グラハムはトランプの腰巾着といわれている。
さらに言えば、アカデミー賞授賞式会場でのこと、図らずもこの「オッペンハイマー」という映画の出演者、ロバート・ダウ二・Jr、エマ・ストーンの授賞式での行為は「気のせい」では済まされぬものを露呈した。そこには有色人種に対する根深い「差別」がある。こういう瞬間を見逃していると判断を誤る。様々な理由が考えられても、最終的には原爆を落とせたのは白人種ではない有色人種だったということが大きな要因にもなっているのである。対ドイツ戦を考えていたとはいえ、ドイツ国内に原爆を落とすにはとてつもない大きなハードルがある。それは白人種だからである。そういう点を見逃して、我々日本人が対峙すべきものを忘れ、曖昧さの中で己の位置もわからず、自己に酔っていると世界とのズレ幅は増すばかりである。どちらにしても、オッペンハイマーは登場してはならない最悪の科学者であったことは間違いない。自らも認めているように「悪魔になった」のである。人類を滅亡に誘う悪魔なってしまったのである。
実は、2001年私の作・演出で上演した「冬眠する男」も、天才的な科学者が登場するが、彼は自らの研究の恐ろしさに気付き、失踪してしまうのである。オッペンハイマーも途中退場し、失踪すればいいだけのことであったが、人間的にはかなり脆弱な面があったのであろう。どちらにしても、今後どのような恐ろしい展開になるかすべてわかっていたはずである。それを止めるには・・・少なくとも悪魔にならずにすむ方法はあった。