忘却のジャーナリズム (R・TWー1)

ジャーナリズムの役割も「忘れて」、SNSについて物申す風な恰好付け方は見苦しい。確かにSNSについては様々な問題があるが、要は大手メディアがジャーナリズムの役割をきちんと果たしていないことにも要因がある。今ここで、茶坊主のような自称ジャーナリスト、御用学者の類については言及しないが、「エコーチェンバー」がどうのこうの、「情報偏食」云々、さも自分たちは「偏食」もせず健全に情報を伝えていると言わんばかりであるが、そうではあるまい。彼らこそ「エコーチェンバー」の状態で、「情報不健康」を作り出している「大本」なのである。そもそも、様々な造語を作り出したり、その場しのぎを繰り返したり、その挙句、真実を告げている者を無視、排除しているのが実情でもある。悪あがきは、もういい加減にして、やるべきことをきちんとやってもらいたい。それとも思考停止状態の「民」と歩調を合わせリードするように「お上」からのお達しがあったのか、「お上」と会食ばかりしていては、紙面も、映像もしまりのないだらしのないものになるのは当然。いつまでも、「由らしむべし知らしむべからず」のお先棒を担いでいては、世界の趨勢から取り残されるのは必定。対峙すべき時に対峙しなくてはその存在意義はない。一方では、お追従者の「新聞を読む理由は、こんなことがあったんだという発見がある」などというキャッチコピーで新聞の価値をアピールしているが、いつの時代の話なのか、紙面のどこを見てもそんなことは皆無である。ここまでスカスカな内容では、資源の無駄で、いっそのこと大手新聞各紙もすべてタブロイド判にしたらどうか。

 各紙の今後の健闘を期する。

                2023 3/28

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