Le Profil de Masaru Hirayama
平山 勝
(Masaru Hirayama)
東京生まれ。麻布から杉並に移り住んだのが祖父母の代で100年以上前、古い表札には杉並村高円寺原とあった。2008年、周囲の環境の変化(木々の伐採、騒音等々)も耐えられるものではなくなったので移転した。文化の香りが辛うじて残っていた一角も、もはや完全に消失してしまった。
※このサイトは私の自由を許してくれた亡き父母に捧げる。
以前、大学で教えてみないかという話もあったがお断りし、3、4件あった演劇活動の協力依頼も辞し、今に至っている。スタッフとして協力してくれた者の中には岸田戯曲賞を受賞した者が2名いたことなども備忘録には書き記してある。
※現在に至る一つのエピソードとして、このサイトのカテゴリ「五叉路」の中の「俳諧師藤田あけ烏氏のこと」と題した文章にその一部が書かれている。(備忘録確認のために)
※<このサイトは、主に文化、社会事象、作品についての備忘録で、Facebookなどとはまったく無関係なサイトです。>
作家、詩人、エッセイスト、舞台演出家, 劇作家、プロデューサー、講師。
てんびん社(書籍出版) 代表取締役 平山勝
<てんびん社のお知らせ>
※現在、てんびん社サイトは工事中ですので、以前の出版物に関しては「てんびん社」で国立国会図書館サーチを参照してください。
ーてんびん社の推薦図書ー
〇橋本ルシアの著作
「フラメンコの精髄」(水曜社)
「火焔の王」(水曜社)
〇哲学者マルクス・ガブリエルの著作
「なぜ世界は存在しないのか」(講談社選書メチエ)
「欲望の時代を哲学する」(NHK出版新書)など。
〇斉藤幸平の著書、『人新世の「資本論」』(集英社新書)など
※てんびん社のウェブサイトは現在工事中なので見られません。以前の出版物については、国立国会図書館で「てんびん社」で検索すれば出てきます。当分の間、必要があればこのサイトでもお伝えします。
※GAFAについても、マルクス・ガブリエルの見解と同様である。
てんびん社主・故橋本公平氏を偲んでー
「集団は新たな言葉の姿を求めている。」(中井正一)
「人間の発見しなければならないのは人間の新たな秩序への行動である。(中井正一)
佐藤晋一
1976年-1983年 フランス喜劇を主としていた既存劇団に在籍。この時期に演出家・俳優ニコラ・バタイユ(イヨネスコの発掘者)に出会い、バタイユの仕事に関わる。退団後、フリーとして、演劇、舞踊公演などの演出、作・演出、美術、脚色、作詞、エッセイと幅広く活動。また、多くのライブ公演なども手がける。
(2008年9月パリのユシェット座を訪れ、バタイユの話を劇場の者としたばかりだったが、翌10月ピエール・ノットの芝居の稽古中亡くなった。)
(※ウジェーヌ・イヨネスコ 「禿の女歌手」、「授業」などの作品でも知られる世界的劇作家で、「禿の女歌手」はベケットの「ゴドーを待ちながら」と並んで50年代前衛劇の世界レベルの代表的作品でもある。当時、イヨネスコは自分の作品が上演されることなど考えていなかったとみえて、バタイユが演出を申し入れた時、君は頭がどうかしている、気違い沙汰だというようなことを言ったらしい。1896年アルフレッド・ジャリが自作「ユビュ王」の上演に際し演出に対して明確な指示を出しているのとは好対照である。)
最近の主な作品は、2007年よりフランスの新進気鋭のモリエール賞受賞作家ピエール・ノットの本邦初演作品を2本演出。2007年「私もカトリーヌ・ドヌーブ」(2008年再演)-モリエール賞受賞作品ー 2008年「背中のナイフ」 (これらの作品は訳、翻案・脚色・演出で再演する予定)
2007年 橋本ルシア フラメンコ テアトロ「Cuando he visto el viento」ー風が見えるときー(演出) (フラメンコ舞踊家 橋本ルシアとの舞台創りは少なくとも50本は超える。)
2009年度モリエール賞ノミネート作品「北をめざす2人のおばさん」は「ジェラール・フィリップへの愛ゆえに」とともに4/21~ 4/26の間シアターχで上演。演出は2本とも平山勝。(2009・3/27)
作・演出
「ポトポトポットン」タイニーアリス(1986年)、「ジャメヴュ」(1987年)、「ブレスは2小節で」(1988年)、「真夜中のサーカス」銀座みゆき館(1989年)、「冬眠する男」明石スタジオ(2001年)、「ジャンピングビーンズ」アイピット目白(2003年),etc(以上は再演候補作品のみであるが、初演時とはまた別物になるだろう)
※「真夜中のサーカス」に出演したイトー・ターリのゴムを使った壁に溶け込むシーンや、時間と空間を切り裂くように揺れる変形した大きな鏡の中での身体表現も印象深いものであった。しっかりとした世界観を持った人だった。2021年9月22日死去。「真夜中のサーカス」でテーマミュージックとして使ったブルガリアンボイスが今でも時折響き渡る。
翻案・演出
「死者の書」 折口信夫. 「山吹」 泉鏡花.「月と死神」 ガルシア・ロルカ. シェイクスピア. 「挽歌」(「万葉集」より). 「葵上」 .(東京センタービルに於いて)
J・P・サルトル、 レイ・ブラッドべりー、テネシー・ウィリアムズ、シェイクスピア、 ピチグリッリ、ガルシア・ロルカ、泉鏡花、高田保、井原西鶴、etc
翻訳・上演台本
「女中たち」 ジャン・ジュネ. 「忘却のスター」 イヴァン・ダウディ (共訳)ー本邦未公開、 etc.
企画・構成
1981年、1982年「芸人たちの午後」舞踏とマイムとフラメンコのジョイント(好評につき再演)タブラオ、気球座スタジオ
舞踏 ギリヤーク尼崎 マイム 並木孝雄 フラメンコ 橋本ルシア ギター三澤勝弘
※あれだけ動けたギリヤーク尼崎が肉体的にボロボロになっても、今(2024年現在 94歳)なお踊っている。今は、何もかも捨て去って、「叫び」だけが唯一踊る拠り所なのであろう。フラメンコのエンリケ・エルコッホも足が不自由で動けなかったがフラメンコの巨匠と言われていた。コラソン(心)で踊っていたのである。舞踊は、床運動でも徒手体操でもタップダンスでもない。やはり、心的展開、拡大、膨張がない限り、単なる空疎な振りでしかないのである。
〇上記以外の演出作品は数え切れないが、1980年アトリエ・フォンテーヌで上演された「牝山羊が島の犯罪」作ウーゴ・ベッティなどはいろいろな意味で忘れがたい作品となった。 再演の要望もあり、2005年シアターモリエールで中村ひろみなどの若手で再演した。因みに、1980年の上演時の主なスタッフは、演出 平山勝 美術 孫福剛久 音楽(作曲)つのだたかし 音響 深川定次 <出演>仲谷昇 目黒幸子 石田庸子 草場裕子 制作 工房れん
※先日、不明なテープが出てきたので、再生してみたら井戸の奥から息も絶え絶えにしわがれ声で語り掛ける仲谷昇の声であった。「何だ、仲谷さんか」昨日のことのようであった。この書庫はタイムスリップ、トリップルームである。(2024年5月某日)
作詞
○「ジャンピングビーンズ」劇中歌 歌:三上寛
出演 星ルイス(セント・ルイス)他
( ラロカ・デ・ラ・カーサという名前で作・演出 )
https//www.discogs.com artist 1237853La Roca Casa
一風変わったCDである。同じ歌詞を12通りに三上寛がソウルフルに歌い分けた前代未聞のCDである。
※ジャケットデザイン 平山勝
スファイロスーSFRー001
Japan 2003 Stage&Screen
Lyrics By,Artwork By ラロカ・デ・ラ・カーサ→Masaru Hirayama 井原西鶴の脚本・橋本凱→平山勝 etc
※このCDは三上寛がニューヨークに送ったこともあって一時ニューヨークでも紹介されていた。
※注意:このCDの著作権はすべて当方にあります。
実は、この歌詞で忌野清志郎のバージョンも考えてい
たが、2009年彼の死でそれも消え去ってしまった。
○「四季ーMy love-] 劇中歌 「四季遍歴」
○「コラソナーダ」 劇中歌(スペイン語)劇団昴公演
( ラロカ・デ・ラ・カーサという名前で作詞 )
(終演後、どこでこのCDは売っているのかという問い合わせがあったが、このCDは販売はしていない)
○「ファルーカ」 フラメンコ カンテ(スペイン語)
ーフラメンコ リサイタルー
( エーメ・アーチェという名前で作詞 ) etc
ジャンピングビーンズ
四季遍歴
ブローニュの森
プロデュース公演名:工房れん、エムアッシュ、劇舎、スファイロスなど
エッセイ
随筆「筆に随いて 今」
これは俳句雑誌に特別寄稿として連載したもの。いつの間にか編集担当者がネット上に載せていたので、誤植も訂正し、掲載予定だったものも含めこのサイト(「スケッチ」)に載せることにした。
(※再演予定作品はそれぞれ好評であったものであるが、さらにまた違う世界を構築しうる作品であると思っているので、再演とは言え題名も内容も変わるだろう。)
その他の翻訳劇、創作劇、舞踊、詩劇、実験劇などの演出、作・演出、脚色などの舞台作品は、主なものだけで100作は優に越える。
近々、何らかの形でそのすべてをまとめようと思っている。
現在、ピエール・ノットはThéâtre du Ront Point(ロンポワン劇場)所属の劇作家として、また自ら作品を上演する”Les gens qui tombent”というグループも立ち上げて活躍している。2010年、2011年にも「Et l’enfant sour le loup」で往年の大女優との共演で成功を収めている。(「メッセージ」3参照)
2008年9月パリ、(国立)コメディ・フランセーズにて
劇作家ピエール・ノットと平山勝
ピエール・ノット 平山勝
2008年9月 コメディ・フランセーズ事務局長執務室にて
Pierre・Notte(ピエール・ノット)の本邦初演作品(平山勝演出)
〇「Pour l’amour de Gerard Philipe」(「ジェラール・フィリップの愛ゆえに」)2009年4月 シアターχ
〇「2petites dames vers le nord」(「北をめざす二人のおばさん」)2009年4月 シアターχ
〇「Les couteaux dans le dos」 (「背中のナイフ」)2008年11月 銀座みゆき館
〇「Moi aussi Catherine Deneuve」(「私もカトリーヌ・ドヌーブ」)2007年4月シアターχ 2008年再演 池袋あうるすぽっと
※内容についてはこのサイトでも取り上げているので「メッセージ」10,11,12などを参照
※参考資料ー作品紹介を兼ねてー
「私もカトリーヌ・ドヌーヴ」作/ピエール・ノット
ー日本初演(2008年)からわずか10か月後に再び「私もカトリーヌ・ドヌーヴ」と向き合うことになった。さて、これが期待以上のサプライズだった。おそらく初演の時には、民間劇場部門のモリエール賞受賞作品という立派な肩書に、何かを理解しなくてはという気負いがこちら側にあったのかもしれない。あるいはシリアスな状況下に次々に挿入される澄んだ声のシャンソンに戸惑ったのかもしれない。観終った時に自分の言葉で作品を語るには消化不良感は否めなかった。
ところが、今回は見えた。舞台上の登場人物の心象風景がくっきりと見えた。カトリーヌ・ドヌーヴという絶対的にして甘美な虎の威を借りて自分のおぼろげなアイデンティティを支えようとする姉ジュヌヴィエーヴ、母親がまだ母親でなかった頃の歌手人生を引き継ぐかのように歌い続ける妹マリー。彼女の自己確認は口を開いた皮膚の下からにじみでる赤い血。そして、母親は思う通りにならない家族に間断なき小言の散弾を浴びせ、レモンケーキを焼き、娘の血だらけの下着を洗う。家族で唯一の男子、長男はといえばたまに実家に戻ったかと思うと映画の引用と母親の文法の間違えを指摘するときににしか口を開かず、ケーキの種にふくらし粉をひと袋丸ごとあけてしまう。文字にすると破壊的で悲愴感に満ちた家族の姿。しかし、舞台で目にする彼らは、力強く歌い、テンポ良く罵倒しあい、その過剰な不器用さゆえの滑稽さが切ない。手にはカッター、肉切り包丁、ピストル・・・あたかも死と戯れているように見えながら、聞こえてくるのは声にならない、もっと生きたい、もっと存在したいという切実な声。自分と違う誰か、ここと違うどこか、言葉にできない欲求をもてあまし、もがき、苛立ちをぶつける彼らは決してあきらめていない。むしろ生に対する熱烈なラブコールにさえ思える。それほど今回観た舞台は演出にも役者の演技にも力が漲っていた。個人的な好みを言えば、母親役を演じられた山下清美さんの小気味よい独特のセリフ回しが戦前のパリの下町女を演じて右に出る者がないアルレッティを彷彿とさせ、ヌーヴェルバーグ以降の映画の引用が散りばめられた本作で、時代遅れの存在感をひときわ際立たせていたように思う。
ーフランス語通訳・翻訳 人見有羽子氏の文章よりー
私は、人見氏とは面識もないが、的確に作品を捉えた文章で白眉なので記録に残すことにした。