「赤心 片々」とは、私が、かなり前に愚道和夫老師より授戒を受けた時に、色紙に書かれてあった言葉である。このサイトでも遣っている「両忘」という言葉にも相通ずるものがある。わかりやすく言えば、「思うところ」に「疲れを知らない子供のように」関わって行く姿勢そのものを言い当てたものである。ただし、子供が熱中、夢中になっている様相そのものとは自ずと質が違う。
老師は2014年94歳でお亡くなりなったが、私が出会ったのは老師が70歳半ばの時である。その「正法眼蔵(道元)」の講義は実に新鮮であった。この「正法眼蔵」の英語訳も自ら手掛けておられたくらいであるからその講義がいかに明快であったかは想像に難くないであろう。どのような質問にも、言いよどむことは一度もなかった。この方には、言語道断(仏教の深い真理は言葉では説明できない)というような、悟りすました風情は微塵も感じられなかった。芭蕉の句を例に、私が質問したことについても共感をもって答えられていた。その封書には平山勝先生とあったので、何ともすごいお方だと思ったことを覚えている。一時も驕り高ぶることのない真の求道者である。このような、実際に「百尺竿頭一歩を進む」方と接点を持てたことはやはり「有り難い」ことであったと思っている。
2020 12/26
戒名 徹山勝道の名で記す