116.Much ado about nothing 2020ー空騒ぎー

イランとアメリカ、一瞬、これは第三次世界大戦の始まりかと思った者もいたのではないか。しかし、第三次世界大戦は必然的に人類の最終戦争となる。しかし、そこまで愚かでもなかったようである。それは、理性的なところがあったからでも、「大人」であったからでもない、単なる「損得計算」である。中には、第三次世界大戦など起こるわけがないなどと高を括っている者もいたようであるがそれも甘過ぎる。「損得計算」に長けたトランプであれば、そこまでするかどうかわからいないが、それでもツイッター的オツムの勢いで何をしでかすかわからない。弾みで不測の事態を引き起こす可能性も十分あるのである。現に、今回の開戦寸前状態がいい例である。イランは意外に冷静であったが、それでも旅客機を撃墜してしまった。こんな時になぜ旅客機を離陸させたか疑問も残るが、アメリカの手の内が読めれば納得はできる。「損得計算」に感情「操作」が加わり、自らもその感情に絡め取られれば、冷静な理性的判断はできなくなる。そして、さらに今回のように実際に「誤作動」「誤射」が生じれば、後はミサイル作動の連鎖で止めようがなくなる事態になる。それはおそらく一瞬間であろうが、そこで、誰が止めようというのか。名付ける間もない第三次世界大戦は人類の最終戦争となり、世界の終焉寸前で止まったにしても残っているのは死地ばかりということにもなろう。

2020年、東京オリンピックの年に第三次世界大戦の開戦ともなれば、この数年オリンピック、オリンピックと騒ぎ立てていたことも含め、そのお祭り騒ぎは一挙に吹き飛んでしまっていただろう。幸いにも、そうではなくなったが、次に何が起こるか予断は許されなくなった。「世界は笑い興じているうちに幕を閉じる」と言った者がいたが、そのような瞬間でもあった。この時期の世界の動きに内在する限界点が、根本的な転換、リセットを求めているのであろう。

一期は夢よ、ただ狂えのごとき空騒ぎも、それに付随した「経済効果」などと称されるものについても、今後は通用しなくなるであろう。

 スマホに張り付いている内に、状況把握もままならぬまま瞬時にこの世から消え去ることもあり得る時世である。世界を楽しみたければ知性、感性を打ち鍛えるしかあるまい。

 

 

 2020年、各々方のご無事とご自愛を祈ります。

                               2020  松の内

※後日、案の定、なぜこんな時に旅客機を離陸させたかということについて、アメリカの関与を手の内として読み取っていた私の見解を裏付けるデータや分析が次々と出てきたが、多くはまたうやむやなまま闇の彼方なのであろう。しかし、個人ではない国に対しては常に「推定有罪」で充分なのである。旅客機撃墜後の反政府抗議行動に対するトランプの喜びの応援ツイッターなどもあまりにも幼稚で露骨である。その幼稚さを見ていると、もちろんそれだけではないが、全米の精神科医がトランプの精神鑑定を求めているのも頷ける。いかなる法廷が無罪としても、トランプは推定で有罪なのである。法を平然と犯す者が自分の意に反する者を「無法者」呼ばわりし、「無法者」として仕立て上げる。フェイクの塊のようなフェイカーがフェイク、フェイクと騒々しいのはどこでも共通しているようだ。そもそも権力者に「推定無罪」など在り様がない、「推定無罪」は、飽くまで個人に対して適用されるものである。

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