115.老いたるは皆かしこかり

  「老いたるは皆かしこかり この国に身を殺す者 すべて若人」とは鉄幹であるが、賢いというよりずる賢い「老いたる者」たちは自らの保身のために美辞麗句に満ちた「悪しき精神論」などを振りかざす。先の大戦でも、「特攻」という名のもとに若人を徒に死に追いやった。多くの若人を死に追いやっておきながら、すなわち、未来を閉ざしておきながら未来永劫どうたらこうたらである。我が身第一のこの「老いたる者」たちにとって、若人は一級の「消耗品」に過ぎないのである。それを「悪しき精神論」の類ででいかに美化しようとも、どのように説明しようともそのことに何ら変わりはない。「老いたる者」たちが、「ミーファースト」(自分たちの利害が第一)を巧みに美化、捏造して「ネイションファースト(国第一)」に置き換えているだけなのである。どのような経路を辿ったにせよ詰まるところ、本然的に後は野となれ山となれの「ミーファースト」が行きつく先は、死地である。「ミーファースト」にとって、自分たち以外はすべて手段(=消耗品)であるということを忘れると選択を誤る。彼らにとって我々は単なる「消耗品」なのである。したがって、そうならないためにも、そうさせないためにも彼らの発する一言一句、さらには黙している事柄にもメスを入れる必要がある。黙って聞いているだけでは、やがて「殺される」ことになる。

 実際に、身近な民間企業でも、「死ね!クズ!自殺しろ!」などと罵倒されたりするパワハラが日常茶飯事であると聞く、しかしブラック企業などというのは、ヘッドが無能であるということに過ぎないのである。何ら打開策を見出せぬ無能な「老いたる者」は必ず「悪しき精神論」などを持ち出し、生体の限界を越えてもやらせようとするのである。もはやその時点で展開不能の企業となっているのであるが、そのような会社に「身を殺す者」も後を絶たない。マインドコントロールの一環でもある、作られた「勝ち組」「負け組」などという振り分けに乗せられて、それが常態化し自らの狂気の沙汰に気付かないという場合もある。

「悪しき精神論」などを出したついでに、「死地に陥れ、然る後に生く」(孫子)などというのがあるが、馬鹿なことを言っているものである。そもそも、軍を死地において決死の覚悟で奮闘させてはじめて、活路を見出すなどと言っている参謀は無能なのである。「死地」ができた時点ですでにその参謀の失敗は決定的である。それは参謀の責任なのである。「特攻」なども「決死の覚悟で奮闘」したのではない、単に死にに行かされただけで、兵士自身は100%活路を見出すことはなかったはずである。こんなことはカルト集団でしかあり得ないことである。カルト化することが「最終ビジネス」と心得ている教祖(参謀)たちの単なる延命策のためにだけ若人が犠牲になったということである。

 この世に生まれて、身を捨つる程のものがどれだけあるのか、よくよく考えるべきであろう。それは生涯を懸けて見出し得れば良いほどのものである。思考停止状態でパラサイト的に安易に何者かに身を任せれば、いつでも地獄は眼前に現れる。

                              2019 12/27    

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