「自分がどこにいるのかを想像力を働かせてください」とは、台風19号の接近にともない、あるいはその前後の状態について使われた一部のメディアのメッセージである。メディアが「想像力を働かせて」などという表現を使ったのは珍しいことで、なぜもっと他のことについても使われなかったのか不思議なくらいである。自分が今どこに「いる」のか想像力を働かせるということはすべての事象、問題に当てはまることである。そして、飼いならされたポスト構造主義の蔓延などで「主体的」などという言葉も死語に追いやられてしまったのかと思われたが、その重要な「こと」がまた甦っていた。実際に、その「主体的」という言葉なども一部メディアでは使われていたのである。案の定、現実的には「安心」、「安全」を委ねていた機関も、重要な緊急時にはほとんど機能せず、いともたやすく自分のいる場所(位置)が死地を呈することとなった。主体的な関りを捨て去り、思考停止状態のまま、目先の欲に駆られて、想像力を働かせずに生きるということは死神と伴走するようなものであることを、今までのコンセプトでは捉え切れない今回の災害は思い知らせてくれた。それは、これまでのすべての欠陥、問題点を露呈させたともいえる。さらに、これが今後、毎年繰り返されるということも知らなくてはなるまい。
2019 10/17
「思い知る」ということが、亡くなった方たちに対する残された者たちができる唯一の供養である。
※災害の度に、寄付を募るのは結構だが、本当に必要としている人々に届いているのか、明確にすべきであろう。そして、まず自らが寄付すべきなのである。見ていると、貧者の一灯ばかりが目に付く。ボランティアもその多くは貧者、いざとなれば貧者の善意にすがり、一方では情け容赦もない増税、その挙句に自己責任、どこまで図々しいのか測り知れない恐ろしさである。
追記:このサイトでも以前から言っていることであるが、日本は火山国で地震大国、さらに台風、津波、その上に原発がウオーターフロントに立ち並び、タイトロープの上を歩いているようなものである。勇ましい、美辞に酔っているより足元を見るべきであろう。少し視野を広げればすぐにわかること、いくら勇ましいことを言っても放置すれば自滅する確率の方が圧倒的に高い国である。現在は、法治国家というより弱者切り捨て「放置国家」と言った方が適切かと思われるくらいで、テロリストでさえターゲットにするには哀れを催すほどではなかろうかと思われる。