106.「知恵を持つことに勇気をもて!」

 「Sapere Aude」 サペレ アウデー、これはカントが古代ローマの詩人ホラティウスの言葉を引用したものである。

「知恵を持つことに」どうして「勇気を持て」と言わざるを得ないのか。それが重要であろう。「知る」ということは「ものが見えてくることでもある」。知らないことが当然と、あたかもそれが「強み」のごと思い込んでいる者たち、知られることを何より恐れる権力者等々、どちらにしても、それらに抗して突き進まざるを得なくなるからである。

 

 話は変わるが、ポストモダン、ポスト構造主義、構築主義etc  正直うんざりしている。もともと、それほどのものであるとも思っていなかったからでもあるが、構造主義などの方法論的アプローチなどはその有効性もあるかと思える程度であった。当然、思考作用全般に浸透し得るものなどとは考えてもいない。

  例えば、街全体がポスト・モダンの建築物に埋め尽くされたことを考えてみればよい。それは異様というより狂気の街であろう。実際、ここ半世紀以上ポストモダン、ポスト構造主義の亜流で世界は満ち溢れていた。

 何と、チマチマとした虚しいい小手先の営為。「人間」そのものが萎縮してしまった様相がそこかしこに現れている。これで何かやっている気でいるのかと思われる。だから、「最近は、どこを見ても小粒なものばかり」などと言われるのである。

 今更、ポストモダン、ポスト構造主義でもあるまい。もはやどのように体裁を整えようと弄びの空転、空ぶかしの域を出ない。さらに先に行くにはやはり全体的な根底からの捉え直しと実践が必要なのである。

 

                                 2019 6/24

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