97.「テレビは観るものではない、出るものだ」

 「テレビは観るものではない、出るものだ」とは蓋し至言である。タモリも以前のタモリに戻ってきたなと思った。テレビはほとんど観ない私としては、タモリがいつ「戻ってきた」か正確に知る由もない。こんなことを言うと、タモリのことであるから「かわすか」、「とぼけるか」、「茶化す」かするであろうが、こういうセンス、エスプリの効いた言葉は他のタレントには絶対と言っていいほど出ないのが日本のテレビの実情なのである。

 そう、テレビは観るものではないのである。出るものなのである。したがって、出る機会のない者、出るつもりのない者にとって、テレビは観るものではないというだけのことに過ぎないのである。さらに言えば、たとえテレビを観ることになっても百害の中に一利はあるかなしかとみれば誤ることもないであろうということである。

 

                             2018 10/9

 さらに付け加えれば、タモリが赤塚不二夫などに認められテレビに出始めた頃、タモリの芸について周囲の者から頻繁に言われたという「テレビを見ている人にはわからないよ」という「アドバイス」、この当然と思われるようなお為ごかしの「アドバイス」、これがテレビそのものを劣化させ続けていることにいまだに気が付かないのである。すなわち、テレビの視聴者を完全になめているのである。最悪の政治ショーから低俗バラエティー番組、お涙頂戴の廉価制作番組、誰がまともに見ていると思っているのか、バカにしながらしようがなく「街の雑踏」の効果音としてテレビをつけて、うるさければ音は消しているのが大方の実情で、その中には完全になめられた「死んだような人々」もいるということに過ぎないのである。「死んだような人々」を標準にしても仕方あるまい。

 

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