86.松元ヒロの登場にほっとする

 このサイトでは、ジョルジュ・ビゴーを取り上げた頃にも、なぜ松元ヒロのようなことをする者がいなくなってしまったのかを問題にしたことがあるが、実際、松元ヒロの登場は遅いくらいである。今後、まったくこのような人材が現れないのであれば作・演出・出演で私自身がやらざるを得ないかなどと思ったくらいであるから、彼の登場にはほっとしているというのが正直なところである。だらしない馬鹿笑い、よだれのような笑いばかりでは白痴の白痴化はさらに進むだけであろう。風刺の効いた心地よい笑いは、ワサビの効いた酢の加減も舎利もいい寿司を食っているような感じでもある。さらに後味もよくいつまでも残る。要するに、エスプリの効いた笑いの喪失は食が及ぼす肉体的影響と同様に精神にも多大な影響を与えるものである。そのことについては私自身が身をもって知っていることでもある。笑えればいいという話ではない、笑いの質が問題なのである。そこでは題材の扱い方、センス、デリカシーなども大きな影響を与える。カップヌードルのような笑いに慣れてしまった者はやがて身も心も病んでいくことになるが、自覚症状がないのが厄介である。

                                                                                         2017 12/16

 ※その後、彼のような活動をしている者を何人か確認できたが現状のテレビでは難しいというより不可能であろう。今はそのようなこと自体が大きな問題なのであるが、それとは別に独自にライブ活動などもどんどんやるべき時にきている。因みに、ほんとうの社会風刺は知性とセンスが必要で、よしもと系のノリで押し切れるものでもない。たとえば、宗教などを題材にした場合、特にイスラム教などは冗談では済まされない、扱い方次第では命も危ないことになる。しかし、ウーマンラッシュアワーの村本らの活動をようやく最近になってキャッチできた(あまりテレビを見ないので)私としては、今年最後の時に松元ヒロ、ウーマンラッシュアワーの村本の存在を確認できたことにほっとしている。ウーマンラッシュアワーのテンポは往年の漫才コンビ セント・ルイスを彷彿とさせるものがある。(セント・ルイスについては別のカテゴリーでこのサイトでも取り上げている)

 松元ヒロを引っ張り出した6チャンネルの金平茂紀、ウーマンラッシュアワーを取り上げた5チャンネルの玉川徹の両氏には今後もジャーナリストとしてより一層頑張ってほしいと思っている。ウーマンラッシュアワーの村本大輔については12月26日付けの日刊ゲンダイも取り上げていた。

 

                                                                                              2017 12/28  

 案の定、その後の深夜番組で村本はお里も知れる大人げないキッチュたちに袋叩きになっていた。彼らの似て非なるキッチュであることが鮮明となることもある意味では必要かもしれないが、私などにはまったく必要ない。聞くまでもなく、見るまでもなく明々白々なことなのである。

 後日(1/17)、太田光が村本大輔を擁護していたが、太田の気骨には感心した。また一方では、村本の知識不足を指摘する声もあるが、それはそれで当然で、脇が甘かったことも事実であろう。しかし、この程度で老獪な者たちが向きになって攻め立てることなのか、その余裕のなさで逆に現状の「意図」、「危うさ」が見えてくる。固陋(ころう)の愚者が必ず言い出す「攻めて来たらどうする?」今の憲法で充分対応できる。どちらにしても愚者、詐欺師の類に憲法をいじらせては絶対にだめだということである。

後日(1/25)、大人げなく向きになって村本大輔を攻め立てていた田原総一郎は今度は村本の勇気をたたえていたというから、その言動そのもののレベルもわかる。                                   

                                   

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