78.監視するのは我々国民である

 間違っては困る。権力側が国民を監視するなどとはとんでもないこと、国民が権力の動きを監視するのが道理である。今後は、何一つ信用できない以上、権力側が発信する一言一句、発話、表情仕草「印象」画像に至るまで細大漏らさずチェックする必要がある。それは、もはやその言動がウソかほんとうかという次元ではなく、ウソをどのようについているかということである。それを明確に把握して判断の基準にするということである。隠せば隠すほど見えてくるものが必ずそこにはある。したがって何と言われようが追及の手をやめてはならないということである。嘘、糊塗、ねつ造、すり替え、隠ぺい、ありとあらゆるものが出尽くした感があるが、最近では奇声、咆哮、身振り手振り、声の抑揚、アクセントの位置、薄笑いなどにもかなりの変化が見られ、ついこちらの方が薄笑いを浮かべたくなるような始末である。言ってみれば、確実に推定有罪ということである。それでも、他に適当な人がいないからという理由で、国民を確実に裏切っている者たちを支持するのであればもはや主権者ではあり得ないだろう。常に目先のものにとらわれ、騙され、おびえる無思慮な臣民である。

                                 2017 6/11

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